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天才は、忘れた頃にはもういない?

日本の月探査衛星が将来の月惑星探査に貢献することを目指し、小型の探査機によって、月への高精度着陸技術の実証を目的として打ち上げられました。

テスラ自動車のイーロン・マスク氏のロケットも健在ですが、これまで宇宙探査は、国家事業として莫大な資金を投入してやってきたという歴史を考えれば、「余った金でロケット」という思考回路は、誰にもなかったでしっよう。
そんなことを考えればやはりて天才の一人なんでしょう。それで、昨日は、マスクの幼少期のネタ本があったので、それを転載しました。

いやいや意外や意外、いじめられっ子で引きこもり、なんて現代病の手本みたいな幼少でした。そんな話で思い出すのがすイギリスのアランチューリングという数学者がいましたね。
■アラン・マシスン・チューリングはイギリスの数学者、暗号研究者、計算機科学者、哲学者である。 電子計算機の黎明期の研究に従事し、計算機械チューリングマシンとして計算を定式化して、その知性や思考に繋がりうる能力と限界の問題を議論するなど情報処理の基礎的・原理的分野において大きな貢献をした。

チューリングの業績を紹介する時、チャーチ=チューリングのテーゼと計算可能性理論への貢献がまず第一に挙げられる。特にアルゴリズムを実行するマシンを形式的に記述したものの一つである「チューリングマシン」にその名を残し、人によっては前述のテーゼを「チューリング=チャーチ」と呼称するべきであるとする者もいるほどである。また、任意のチューリングマシンを模倣(エミュレート)できる「万能チューリングマシン」は、同分野の基本的な定理のひとつである停止性問題の決定不能性定理と関係する。さらに、理論面だけではなく、実際面でもコンピュータの誕生に重要な役割を果たした。「コンピュータ科学の父」および(チューリング・テストなど)からは「人工知能(AI)の父」とも言われる。

第二次世界大戦中、チューリングは、ブレッチリー・パークでドイツの暗号を解読する仕事をしていた。歴史家で自らも戦時中に暗号解読に従事していたエイザ・ブリッグズ(英語版)は次のように述べている。類まれな才能が必要で、ブレッチリーで天才が必要とされていた。チューリングは、まさにその天才だった。
ジャック・グッドも次のように述べている。
チューリングの最も重要な貢献は、私が思うに暗号解読機 bombe の設計だ。彼はあなたも使えるアイデアを持っていた。要するに、やや不合理な訓練されていない耳でも聞き分けられる論理的理論で、すべてを推論できる。bombe はエニグマの暗号文で使われたと考えられる正しい設定(ローターの順序、ローターの設定、プラグボードの設定など)を、適当なクリブ(平文中に含まれているであろうと思われる単語やフレーズ)を使って探索する。
生年月日: 1912年6月23日
出生地: イギリス ロンドン メーダ・ベール: 1954年6月7日,死亡
ウイキペディア

チューリングの暗号解読によってドイツが敗戦し、世界戦争が終結した、とまで評された。

これもまた天才の中ので天才でしたが、現代の天才が「イーロン・マスク」は稀代の天才か、という昨日の記事でした。

■1971年に南アフリカのプレトリアで生まれたマスクは、人見知りで内向的だったものの、記憶力に優れた聡明な子どもだった。読書が大好きで、みんながパーティーで集まっているときも、1人で書斎にこもって本を読んでいるようなタイプである。ときどき白昼夢を見ているような状態になり、周囲の人が大声で話しかけても返事をしなくなることがあり、社会性が低かったマスクは、友だちの評判は良くなかった。
2021年になってマスクは、自らが「アスペルガー症候群だった」とテレビ番組で明かしている。
人付き合いが苦手なマスクはオタクのようなタイプで、スポーツなどで活躍して学校の中心にいるような社交的な少年ではありませんでした。ニューヨーク・タイムズの記事によると、マスクが通った南アフリカの高校の同級生も「マスクは親しい友人がいない孤独な少年だった」と述べています。マスクは少年時代に体が小さかったこともあり、いじめられやすかったそうです。当時通っていた高校のチェスチームの集合写真を見ると、最前列にあどけない顔をした小柄なマスクが写っていました。

そんな記事を読んでみると、昨今の「ギフ〇テッド」とかアスペル〇ガー症候群
といった現代病の一つとして挙げられるようでした。そしてこれも同様に知能指数が高いということ。
※IQの平均値は? 一般的には、IQの平均値は90から100ほど、基準値は100といわれています。 110から130の人は優秀な傾向が見られ、130を超えると「非常に知能が高い人」と判断。 いわゆる天才と呼ばれる人は、IQが130以上の場合が多いようです。参考

このnote記事でも、そうした人たちの偉人伝を書いてきました。とくに思ったのがバイオリン奏者「渡辺茂夫」(1941年6月26日 - 1999年8月15日)でしたね。国内の名声はともかく、渡米先アメリカで不遇な扱いで茫然自失してしまった才能は早逝なことあって残念でした。

他の音楽家としてピアノ「辻井伸行」氏とか、やはり練習量が桁外れに違います。それと、古くは欧州の科学者コペルニクス、やニュートン、近現代でアインシュタインなど、それに入るでしょう。

じゃその高性能IQというのは、どういうカタチ、なのかと「脳標本」を分割保存し、それを、いくつかに分けた、という動画がありました。
その「アインシュタイン脳ブロック」というのが、世界に出回っていて、そけを持っていることが、科学者として一つのステータスみたいなシンボルのようでした。意外なことに、アインシュタイン脳は、特に重かった、ということではなかった、という当時の見解でした。

その「イーロン・マスク」氏の脳がどうこうしたというのではないのですが、その幼少の病が「アスペ〇ルガーシンドローム」ということですが、あの「グレタ、タウンべリ」氏が同じだったのを思い出しました。その両者間の
他の共通項はないにしても、凡人とは異なるアクションで「他を圧倒」するという特異点で一致し、その理由は、やはり知脳指数が高いのでしょう。

新旧、様々な天才タイプを挙げましたが、それらの共通点は、なんといっても圧倒的な「読書」「練習量」ですね。多くの知識を吸収し、手にした楽器を何時間でも弾く、それがもしかすると天才あまたの要因ではないかと思いました。(だとすれば天才のカテゴリーは後天的な要素で、他より多くの時間を費やす、圧倒的な情報量の蓄積と思いますが、それが簡単にできない特異体質、だからそれが天才なんだ、ということでしょうか?)

映画 「イミテーション・ゲーム」
『イミテーション・ゲーム/エニグマと天才数学者の秘密』の脚本家グレアム・ムーアは、自身を「チューリングおたく」と評する。チューリングの存在を知ったとき、「まるで伝説のように」感じた彼は、ティーンエイジャーのころからすでにスペースキャンプやプログラミングの合宿に参加したという。その生涯を映画化することが人生の目標になるほど、チューリングの生涯は、ムーアの心を揺さぶった。

「脚本家になったら、毎年でもエージェントの元へ行き、『第二次世界大戦後に自殺してしまった同性愛者のイギリス人数学者の映画を書きたいんだ』と言おうと思っていたんです」。ムーアはこう続ける。「そして彼らはこう答えるんです。『それこそがハリウッド大作だ!』と。しかし実際はそうはいきませんでした。代わりに『お願いだから書かないでくれ。そんな映画に投資する人なんていないから』と言われました」

そんな経緯があったものの、プロデューサーであるノラ・グロスマンとイド・オストロフスキーが、アンドルー・ホッジスの著書『エニグマ アラン・チューリング伝』の映画化権を取得すると、ムーアはその脚本を書く契約をした。それも無報酬で。そして、彼はチューリングの正義のためにひたすら書いた。「敬意をもって、正しく書く責任がありました。歴史的な正確さは、とても重要だったのです」

しかし、正確さの追求は簡単なことではなかった。第2次世界大戦中のチューリングの記録は消されていたからだ。戦後、彼や彼の同僚の活動についてのあらゆる痕跡は歴史から抹消されるか極秘扱いにされてきた。

未公開シーンになったあの日
「ブレッチリー・パーク(訳注:大戦中に英国政府の暗号解読施設がおかれた)の関係者はみな、秘密を守ったのです。チューリング自身が、同性愛者だからという理由でわいせつ罪で法廷に立ったときも、彼は手を挙げて『わたしは戦争の英雄だ』とは言いませんでした。彼は、『事実について争うつもりはありません。しかしその上でわたしは無罪を主張します。わたしの行いが罪であるべきでないからです』と述べたのです」

チューリングについての数少ない情報のうち、よく知られているものといえば彼の死に関するものだろう。1954年6月7日、わいせつ罪による服役を逃れるため「化学的去勢」(女性ホルモンの注入)の施術を受けた後、彼はアパートの自室で青酸化合物中毒でなくなっているところを発見された。

自殺のために食べた毒入りりんごを持ったままで。この世を去ったチューリングの姿を、撮影チームは撮影した。しかし、実際に使うことはしなかった。

「この映画は、チューリングの人生とその素晴らしい業績に焦点を当てるものです。彼の自殺を描くよりも、その人生と業績に絞ったほうがより倫理的で、かつ責任を果たすことになるとわたしたちは考えました」

これはムーアが本作の脚本の執筆中に下した多くの苦渋の決断や、経験に基づく推察、そして歴史の発掘作業のひとつにすぎない。『イミテーション・ゲーム/エニグマと天才数学者の秘密』についてあなたがまだ知らない事実はほかにもあるのだ。

観客とのイミテーション・ゲーム
この映画の、大きな見どころのひとつはその構成だ。この作品はチューリングのブレッチリー時代、彼の最期の数日間、そして彼がクリストファー・モルコムと暗号学に出会い、その両方と恋に落ちた少年時代を、行ったり来たりする。

この構成はチューリングという人物の人となりや、彼がとった行動の理由をより忠実に描き出すためのものだ。

「チューリングはコードと、パズルとゲームに取り付かれていました」とムーアは語る。「わたしは、この映画が全体でひとつの“イミテーション・ゲーム”になるようにしたいと思っていました。その答えがチューリングの心理そのものであるような」

マシーンに込められた愛
本作のなかで最も感動的なのは、チューリングがジョーン・クラークに、彼が開発しているコンピューターに「クリストファー」と名付けたことを告げるシーンだ(チューリングの初恋の人の名を取っている。ジョーンはそれを知らないが)。しかし、実際のところ、その機械は「ボンブ」(もしくは「ヴィクトリー」)と呼ばれていた。変更はムーアの発案だったそうだ。

このアイデアは、チューリングの伝記の著者であるホッジスや、その他の大勢の歴史家によって共有されたある信条に基づいている。それは、チューリングのコンピューターと人工知能への執心は、18歳の若さで亡くなってしまうクリストファーとの友情に由来するというものだ。

「チューリングは、自分の技術があるひとりの人物の心を生かし続けることに役立つかどうか、ということをたびたび書いています」とムーアはいう。「彼の全人生をかけた人工知能の探究は、ほとんどのクリストファーを取り戻すためにあったのだと思います。あの機械にクリストファーと名づけることは、彼の願いを明確に描くためのひとつの方法だったのです」

ブレッチリーに乾杯!

映画のおよそ3分の1は、チューリングとジョーン・クラーク(キーラ・ナイトレイ)、そして彼らの同僚である暗号解読者たちが、ドイツ軍のエニグマ・コードを解読するために休みなく活動していたブレッチリー・パークの暗号解読施設で展開される。しかし、ブレッチリーでのシーンのほとんどはスタジオで撮影されたものだ。

唯一の例外はチューリングと彼の仲間たちが酒を飲み交わしたバーでのシーンである。「あの店は特に難しいロケーションのひとつでした。(撮影地を決めるのには)苦労しましたよ」とプロダクション・デザイナーのマリア・ジャーコヴィクは振り返る。「わたしたちは、このシーンはここで撮影すべきだと思ったのです」

ブレッチリーに乾杯!
Lasting Memory
母校によみがえる魂
20世紀初頭のイギリスで多くの少年たちがそうであったように、チューリングも全寮制の学校に入学した。彼のシャーボーン校でのシーンは実際の校舎で撮影されたが、ムーアはほんの少しその場所に恐怖を感じたという。

「ホールを歩いていくと、1920年代にまで遡るすべての生徒たちの学級写真が目に入ります。そして、そこにはチューリングがいて、クリストファー・モルコムもいるのです」。彼は続ける。「それを見て、少し寒気がしたのをを覚えています。」  WIRED



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