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三本足の「ヤタ、ガラス」

white-outに消えたオンナ~「ねェ好きな子、いるの?」

「ヤタ、ガラス」という不明な飛光体「ねェ好きな子、いるの?」
何気ないその「ねェ好きな子、いるの?」がとても気になった。これがどこで使われていたのか、まったく忘れたしまったそのフレーズが脳で疼く。

それが広告か、ネットかテレビか、そしていつもの記事の中の一フレーズ、キャッチコピーかも判らない。それほど、ありきたりな語句だったが、これだけで一編の映画ができると思った。

もしできたら「Netflix」あたりに売り込むのもいいじゃん、今風だし。いまどきの、あり来たりの純愛恋愛小説でもないし、といって大都会ビル一角に棲むサラリーマン家庭の一人っ子少女(中1)「真那華」が読んでる人気キャラクター漫画ヒロインに投影した、その声優ハスキーVoiceとも違う、そのすこし外れた違和感を醸していたとか。(もしかして好きな子ってアレだったの?)

また、とんでもない地方田舎の風景の中の一軒家、冬になると一面の銀世界が広がる風景より隔絶した暖炉の部屋で、自家製パン窯で焼いたピザを食べ一時の幸福感に浸る。それとは大幅に違った「映画」プロットじゃなきゃいけないし。

そんなことを中一少女「真那華」に訊いたら、なんていうのか、幾通りの答えを用意してみた。

その一つが「白拍子」という鎌倉時代にいたシャーマンの巫女(また男)だった。

「もしかしてもしかして、そーなの、違うの、どうなの」???

そんなこと云いたそうな顔してた。だいたい「マナカッカ」が、喋ると何か予感がするんだ。

予感・・・

そう、よ、か、ん。空気が動く、でも風じゃない。空気、空気なんだ、気というか、目にみえない透明な粒子の気(け)、みたいな。

ほら、煙りだってアレ、粒子なんだ、それに雲とか水蒸気とか、みんな細かい粒なんだ。だからその「気」なのさ。

いつも「マナカッカ」のそばにピッタリ寄り添っている「フワリート」が、そういった。

「あしたはアメか」、南西の黒い雲空を見上げて、そう叫んだ。

こんなとき古代記などに登場する鳥がいた。それが黒い「カラス」だった。


■三本足のヤタガラス

八咫烏が三本足であることが何を意味するかについては諸説あるが、依然不明である。

故事来歴によれば、八咫烏の三本の足はそれぞれ天(天神地祇)・地(自然環境)・人を表し、神と自然と人が同じ太陽から生まれた兄弟であることを説く。

同じく熊野地方に勢力をもった熊野三党(榎本氏、宇井氏、藤白鈴木氏)の威を表す説。また旧来、三本足の意味が、古来より太陽を表す数が三とされてきたことに由来するとする見方は、宇佐神宮など太陽神に仕える日女(姫)神を祭る神社(ヒメコソ神社)の神紋が、三つ巴であることと同じ意味を持っているとする説。

意外にも『古事記』や『日本書紀』には八咫烏が三本足であるとは記述されてない。有力説として八咫烏を三本足とする最古の文献は、平安時代中期(930年頃)の「倭名類聚抄」であり、この頃に八咫烏が中国や朝鮮の伝承の鳥「三足烏(さんそくう)」と同一視され、三本足になったと理解する。 元々日本神話にあった「神の使いとしての鳥」の信仰と中国の「太陽の霊鳥」が融合した可能性がある。また遠く文明発祥「メソポタミア」の地に伝来する神話など、それらも考慮する必要もあった。※部分ウィキペディア引用

「ギルガメシュ伝説」

伝説「ギルガメシュ」は紀元前2700年ごろに実在したウルク王として、早くから神話的人物としてシュメールの伝承に登場する。

さまざまな粘土板に記されていたそれらの詩を整理して、まとめられたのがこの物語である。
その伝説によると、ギルガメシュはいまから5000年以上前にウルクの王となった。ところがしだいに暴君となっていったため、ウルクの住民たちは神々にギルガメシュをこらしめてほしいと願いでる。(まるで黄門さまプロットだが、そもそも神話の類は、その定型パターンが一つのセオリー)。

さて話は「エンキドゥ」という野人をつくり、ギルガメシュと対決させることになる。それを訊いたギルガメシュはエンキドゥのもとに娼婦を送り、ウルクの町におびきよせる。町にやってきたエンキドゥとギルガメシュは戦うが、まもなく二人のあいだに友情が芽ばえ、力を合わせて森にすむ怪物フンババを倒しに出かける。

(wikipediaによれば 「エンキドゥ」『シュメール語: - Enkidu』 は、『ギルガメシュ叙事詩』の登場人物で、ギルガメシュの無二の親友。ギルガメシュと同等の力を持つ存在として神々が創り出し、元々はギルガメシュに対抗するものとすべく地上に送ったとされる。そうなると両者は敵対同士になるが・・・)

エンキドゥに娼婦、というのはその意味に苦しむが、両者が和解し、「怪物フンババ」を殺しにかかる。という筋なら、レバノン杉の番人フンババ打倒(今で云う政府軍)の筋書きはわかり易い。その当時の「レバノン杉」は近隣諸国もうらやむ国家資源として珍重され、またレバノン国は、それを取引材料として巨万の富を得ていたという話が残っている。(それはいまでも実話に近い)
(エンキドゥに娼婦と、白拍子変じて娼婦はルーツが同じか)。

愛の女神「イシュタル」はギルガメシュのそうした姿に夢中になっていたが、ギルガメシュはイシュタルを拒絶し、エンキドゥもイシュタルの気まぐれな態度を非難する。
イシュタルと神々はそうしたエンキドゥに腹をたて彼を殺してしまう~。

定番「『ギルガメシュ叙事詩』だが、5000年の使い廻しで、脚色もあるだろうが、原本がどれか(楔粘土板?)不明という観点からして、神話定型定番として、語り継がれた、と納得するしかない。

早い話が、恋の三角関係のようにも思える。ギルガメシュはエンキドゥのもとに「娼婦」を送る、というのは、この女神「イシュタル」のことだろう。だったらエンキドゥとイシュタルが恋仲になり、肉体関係を結び、それがバレた・・・。となれば輪姦強姦の沙汰をおもっえば人間憎悪が一気に高まるというのも理解できる。それはまったくおどろおどろしい筋書きだ。

友エンキドゥを失ったギルガメシュは、永遠の生命をあたえてくれるという泉を求めて、大洪水の唯一の生存者ウトナピシュティムをさがしに旅に出る。その途中、ギルガメシュは「シドリ」という女性に出会い質問される。(検索では、電位式の天才シドリ、とあり、この筋と辻褄があわない。モチーフはルネサンス期のイタリア。パリアノの権力争いはメディチ家やボルジア家などの貴族の政争が元になっている。人名や地名にはイタリア語の響きが見られる。)。

その後もギルガメシュは旅をつづけ、ついにウトナピシュティムをさがしあてる。だが結局永遠の生命は手に入れることは不可能であることに気づき、ウルクにひき返して、死を受け入れたのだった。と話は結ばれているが、支離滅裂といっていいくらいで、それが「神話」である、としても説得力がない。だから、神話なのか?


ヤタガラスの寸法

近世以前によく起請文として使われていた熊野の牛玉宝印(ごおうほういん)にはカラスが描かれている。咫(あた)は長さの単位で、親指と中指を広げた長さ(約18センチメートル)のことであり、八咫は144cmとなるが、ここでいう八咫は単に「大きい」という意味である。

定説では、そう説明されているが、個人的補足として、雅楽楽器「篳篥」がほぼ、このサイズで収まる。すなわち、天空で鳴く黒鳥は神の化身、変じて音節音楽は、その「祝詞」の代弁旋律として、昔の人は考えた、そんなことを推理してみた。

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マナカッカ 通説.1

いつも「マナカッカ」のそばにピッタリ寄り添っている「フワリート」が、そういった。

ねえ「フワリート」、あたし黒いカラスじゃいや。白、がいい。神社の巫女さんがいい。鎌倉時代でもなくてもいいから、私、シャーマンの巫女さんになりたい。つれてって「フワリート」。

「ねェ好きな子、いるの?」、そんなことを云いたそうな眼差しを向けて語りかけたような気がした。

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白拍子の原義とは: その名の起源は、伴奏を伴わず平音域の素声(しらごえ)で歌舞を演じたことから素拍子(しらびょうし)と呼ばれたことに起因する説と、白い装束(水干・長袴)を着けて演じることに起因するという説の二つがある。

白拍子 社会広報としての旅芸人(吟遊詩人)
歌、音楽、吟遊詩人 祈祷師 
11世紀にトルバドゥールが登場。騎士や宮廷風の愛などをテーマにした曲を歌った。北フランスに伝播し、12世紀後半にトルヴェール(Trouvère)へと変化し盛んになり、ドイツではミンネザングを歌うミンネゼンガーに変化した。

日本では
『万葉集』には「遊行女婦」として記載があり、古くは巫女舞などによる宗教の伝播に際して行脚中の巫女が舞う宗教芸能として扱われた。

奈良時代から平安時代にかけては遊女として芸能一般に従事する女性を指した呼称であったことが「更級日記」にて語られている。

白拍子
平安時代末期から鎌倉時代にかけては白拍子などが有名である。『平家物語』巻ノ一「祗王」では「鳥羽院の時代に島の千歳(せんさい)、和歌の前という2人が舞いだしたのが白拍子の起こりである。
初めは「水干」を身につけ、立烏帽子をかぶり、白鞘巻をさして舞ったので、男舞と呼んだ。途中で烏帽子、刀を除けて、水干だけを用いるようになって白拍子と名付けられた」と解説している。

(水干、スイカンは、男子の平安装束の一つ。名称は糊を付けず水をつけて張った簡素な生地を用いるからとも、晴雨両用に便利なためともいうが、いずれにせよ簡素な服飾であることからの命名のようである。 狩衣に似て盤領の一つ身仕立てである。ただし襟は蜻蛉で止めず、襟の背中心にあたる部分と襟の上前の端につけられた紐で結んで止める。 ウィキペディア )

身分制度の厳しかった江戸時代において、芸人は蔑まされる存在ではあったが、旅の制約のあった一般庶民と違い、旅芸人は関所手形を持っていなくても、芸を見せて芸人であることを証明できれば、関所を通過することができた。定住を基本とする共同体においては、旅芸人のような漂泊する者は異端であり、そうしたマレビトの来訪は、神であり乞食の来訪として、畏敬と侮蔑がない交ぜとなった感情を生じさせた。明治以降も旅芸人は季節の折節に村々に現れては芸能を見せ、日本人の暮らしの季節感を彩る存在だった。

『伊豆の踊子』は、川端康成の短編小説。川端の初期の代表作で、伊豆を旅した19歳の時の実体験を元にしている。
孤独や憂鬱な気分から逃れるため伊豆へ一人旅に出た青年が、修善寺、湯ヶ島、天城峠を越え湯ヶ野、下田に向かう旅芸人一座と道連れとなり、踊子の少女に淡い恋心を抱く旅情と哀歓の物語。孤児根性に歪んでいた青年の自我の悩みや感傷が、素朴で清純無垢な踊子の心によって解きほぐされていく過程と、彼女との悲しい別れまでが描かれている。


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