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棲みつくネコ、「ミーシャ」へ^^

居間に同居(棲みつくネコ、ミーシャ)の追悼

これは自身のドキュメントだが、以前読んだことのある、「タマ」(画家横尾忠則)の記述を借りて、その記事を掲載した。

それは、私の心理的悲嘆な感情を誤魔化すための方法でもあった。その記事を書いた直後、早速、スキをいただいた宮澤大和さんより(演劇作家)コメントして、「辛いのであまりかけない」と言い訳コメントを送った。

そして昨日、火葬を済ませて一応の区切りとした。であっても家の中には、その痕跡が残っていて、簡単には消せるものではない。

かなり昔のことで「犬」を飼っていた。猟犬ダルメシア種で、なかなか、健康には気を使ったが当時は、ペット類の市場はなく、餌でも工夫して与えていた。結果的に1年という短命で亡くなった。死因は寄生虫のようだった。

この時も辛く悲しい、思い出があり、もうペットは二度と飼うまいと決めていた。

それから30年後に、娘(次女23)が子猫を、どこからか貰ってきたという。口には出さなかっが、「飼わない」という気持ちに変わりはなかった。

物事には「成り行き」というのがあって、反対者(口にはしなかった)は自分一人で、あとの家族は全員肯定者だった。愛くるしい子猫の顔しぐさを見て当然、飼うことになったのは必然だった。

昨今、ペットショップ以外の、DYY店でも、犬猫は売られている。それに付帯して、膨大な数のペットフードと、グッズも販売している。それを見ただけで、その市場がいかに大きいかがわかる。当然その愛好者数も比例して、各世帯には、犬、猫が飼われているだろう。

その数と同じ数の飼い主との死別があって、自分と同じ思いをしている人は多いはずだ。

そんな記事を探してみると、ペットの種に関わらず、仲良くしているという記事があったので一部紹介しよう。

「3日ぶりの帰宅に熱烈な歓迎」犬を全力ホールドする猫       「大好きが伝わる」「究極の癒し」 3日ぶりの帰宅に熱烈な歓迎」とつぶやき、動画をツイッターに投稿した「かもしか」(@b09a2032c)さん。 そこに映っていたのは、大きなワンちゃんの耳を一生懸命なめる猫ちゃん! なんとワンちゃんの首をホールドしてなめています(笑)。飼い主さんに聞きました。猫ちゃんがなめ続ける動画には12万超のいいねが付いたほか、「愛を感じられる」などと癒される人たちが続出。たくさんのコメントが殺到しました。
犬と一緒に旅行していた飼い主さん、猫が寂しかったようです
――3日ぶりの帰宅とのこと。お出掛けしていたのは、ユキちゃん?  「ユキと一緒に九州旅行に行ってました。ユキのお父さんや異母兄弟たちに会うために。長崎や熊本、大分と2泊3日の長旅でした」        ――サンちゃんは、ユキちゃんと3日ぶりに会えてあんなに熱烈な歓迎ぶりを見せてくれました(笑)。                    「はい。ユキが帰ってくるとグルグル言いながらサンが寄ってきて耳をなめていました。1分くらいはなめていて、いつもより長めのような気がしました。ユキは旅行疲れですぐ寝たのですが、そのあともサンは甘えていましたね」                               ――ユキちゃんがいなくて、サンちゃんは寂しかったのでしょうね。  「そうですね。サンはユキがいなくて寂しかったのかなと、あんまり留守にさせるのもかわいそうだなと思いました。いつかはサンも一緒に旅行に連れて行ってあげたいです」                      ――旅行で疲れ果てていたというユキちゃん。首をホールドされながら耳をなめられましたが…。                       「ユキは疲れ果てて寝てましたが、なめられているときはまんざらでもない様子でした(笑)」 部分引用 2022年1月23日 15時35分 まいどなニュース


その記事で判るように、特にネコは、寂しがり屋のようで、相手(人に限定しない)がいなくなると不安になって探しまくる、という習性がある。それは母性本能というべきか、「母を探す」という生命種の根源的な遺伝子のようにも思えた。

我が家の「ミーシャ」は雌であり、死ぬまでそれをしていた。ましてメスという生体であったし、「我が子」が欲しかったとおもえだが、家族はそれはしなかった。

"結果的にそれは良かったと思う"

この手の話しは、「手前みそ」傾向になって、この悲しさを少しでも判ってほしい、という傲慢スタイルになってしまうが、愛猫者が、これを読んで留飲を下げていただけるなら幸いに思う。(次回気分が向いたら書こうと思う)


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