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三島由紀夫伝説は、これからも伝説か

きしくも「三島由紀夫」(天皇)に辿った経緯はなにか


■三島由紀夫が東大全共闘の思想と運動のうちに、「勤皇の志士」と同質の政治的資質を見出したのは炯眼(けいがん)というほかはない。というのは、戦後日本の政治運動のうち、ある程度の民衆的高揚を達成したものは、いずれも「反米愛国」の尊王的ナショナリズムから大きなエネルギーを備給されていたからである。 
日本人にとって「天皇制」は何を意味するのか 「ポピュリズム」に対抗する政治的エネルギー 内田 樹 : 思想家、武道家、神戸女学院大学名誉教授  東洋経済 2017/10/06 9:00 内田著 本文引用

note世代の質問事項?


このnoteで天皇云々、という文言をみたことがない。いやいや強要しているつもりはまったくありませんが、限りなくゼロに近い理由、とはなんでしょうか。

そんなこと云ってる本人、私は国粋でもなく左でもなく、その、全共闘云々についても良く知らない、速い話、昔からそんなカテゴリーには縁がありませんでした。だから特に勉強したということもないし、これまでも、それについて語ったこともないです。(雅楽系譜では皇室オンリー音楽で勉強)

一番簡単にいったら、社会に緘口令的な不文律が蔓延(メディア)していて「核」と同様、口にしてはならぬ、書いてもなにぬ、なんて雰囲気が漂っていたからでしょう。それは今も変わらないでしょう。

そんなのと同じに芸能界でも同じように政治発言(今では変わったが)はタブーというのがあって、だれかれ関係なくなく政治発言はしないし、いまでもしていない。

そうした口封じは、自然発生するものではなく、だれかがどこかで指令していると考えた方が合理的です。

その延長で、このnoteでも、なんとなく「天皇」は云いずらいし、まして「東大全共闘思想」なんて訊いたこともないし、その「三島由紀夫」については「割腹自殺」程度の知見しかなく、「楯の会」ってなに、ということなんでしょう。
■楯の会とは、間接侵略に備えるための民間防衛組織として三島由紀夫が結成した組織。前身組織名は「祖国防衛隊」で、日本の文化と伝統を「剣」で死守する有志市民の戦士共同体として組織された私的な組織。 ウィキペディア

その「三島由紀夫」がどうして、切腹というパフォーマンスをして日本社会の耳目を集めたかったのか、については諸説ありますが、さらにその1年前では、東大駒場キャンパスにおいて、東大全共闘組(主催者千人発表)と、対で対談したことが、後に有名になって、それが50年経過して、今では伝説化したとして、事ある度(今回の成田悠輔発言)にメタファーとして引用されるという、まさに近現代史を作った張本人であったのです。

そのころ、作家としての名声もさることながら「ノーベル文学賞」というブランドが、囁かれるようになった時期でした。結果は違う人が受賞して、一件落着しましたが、その後の風聞では、いろいろな憶測が飛んでいたようです。
数年前の文学賞では、「ボブ・ディラン」が受賞して度肝を抜かれましたが、ノーベル賞も時代とともに変遷し基準もかわっていることを考えれば、いまだったら間違いなく三島由紀夫ノーベル文学賞受賞、でしょう。

また、晩年の行動を観察してみると、相当その「ノーベル賞」が諦念されないという気の悔恨があったように思います。

そんなことを考えると、当時の受賞者が川端でなく、三島由紀夫だったら、その切腹自害することなく、存命して文筆家として現役だったかもしれません。

「三島由紀夫」は伝説の人、として

三島の熱烈なファンと云うこともないので、ここらでネタ切れしたので、終わりにしたいと思います。

初めの動機は成田悠輔さんの云った、切腹奨励(メタファーとして)発言が、そもそもの引火点でした。それがペロぺロスシローを抜いて、社会三面記事トップに推移したというのは、私としても複雑な気がしまた。

YouTubeでは、その後、本人のメモで「テレ東Ri hack」は記録として残る、という案内がありましたので、その「日経」本社人事と折り合いが付いたのでしょう。なにしろフロワー数が高いので、その広告費だけでもバカにならないでしょう。作ったのは「テレ東」ですから著作権は企業にあるとして、そのゲスト料と、配信した数の対価ロイヤリティーは有るでしょう。

そうした諸々の問題を提示し、またゲスト出演料など営業面も踏まえて、教訓としてこの動画配信世界も学んだことと推察しました。
個人的には、将来的に動画配信(自サイトはある)するにあたって、その中間を繋ぐ「フアクサ―」みたいなのがあると、入りやすいかと思いました(どなたか知っていれば紹介ください==rcocoまで))

こうした話題を再度挙げることは、めったにありませんが果たしてその50年前の出来事を、リアルな現実としてnote世代が認識できるかというのが思考を鈍らせます。
まして三島由紀夫のやった「切腹」というパフォーマンスは、私らの価値観として好く理解できます(個を滅するという儒教的なもの)。また昨今の日本ブームで、そのエキセントリックな手法を賞賛するダメ外人も出てくるでしょう。そうならないためにも歴史は正しく見聞しなくてはなりません。

以上が成田悠輔さん発言問題、風が吹くと 桶屋が儲かる 風な話をしてこの章を終わりにします。

画像 藤にクマバチと三島由紀夫の盾の会の制服はパリで修業した五十嵐九十九が制作 : Caramel 24 Carat


Caramel 24 Carat


三島由紀夫×川端康成 ノーベル賞の光と影 2019年2月4日(月)
1968年に日本人初のノーベル文学賞を受賞した川端康成。その時、同時に候補となっていたのが、三島由紀夫だったことが分かった。1月にスウェーデン・アカデミーが当時の選考過程を公開、三島は「今後の成長によって再検討も」とされていたのだ。しかし、その2年後に、三島は割腹自殺。さらにその2年後、川端はガス自殺をする。二人はなぜ死を選んだのか?宮本亜門さんをナビゲーターに大胆に読み解く。

宮崎で川端を案内した 渡辺綱纜さん
「『(川端)先生、まだ日本人はノーベル文学賞を誰ももらってませんけど、日本人で最初にもらうといったら、どなたでしょうかね』と言ったら、ぱっと、それこそ即座に『それは三島由紀夫くんです。三島由紀夫くんがきっともらいます。三島由紀夫くん以外には、ノーベル文学賞は日本人では考えられません』。」

三島と川端の間には、複雑な感情があったと指摘する専門家もいます。
三島由紀夫文学館 館長 佐藤秀明さん
「写真集ですね。」
川端の受賞の前年、三島が書いた庭園についての評論。そこに、奇妙な一節がありました。
“私は或(あ)る作家の作品を決して読まない。彼は円熟した立派な作品を書きつづけていることがわかりきっているからである。”
 
三島由紀夫文学館 館長 佐藤秀明さん
「この時代に、こういう円熟した立派な作品を書いている作家といえば、川端康成を思い浮かべるのは、一番自然ではないだろうかと思う。何か冷たい突き放すようなものを感じざるを得ない。」
さらに、2人の間にノーベル賞を巡る生々しいやりとりがあったという、新証言にたどりつきました。
三島が手がけた舞台の多くで主演をつとめた、女優の村松英子さんです。家族ぐるみで親交を深める中、三島の母から聞いたという話を今回初めて打ち明けてくれました。

宮本亜門さん
「何かがあったのか、2人の間でというのは?」
女優 村松英子さん
「三島先生は川端さんのお宅に呼ばれて、『君はまだ若いから、私は年だから、今回は譲ってくれないか』とお頼まれになったと聞きました。ご自分が信じていた川端さんから、そういうことを言われたことがショックだったようです。」


「人間天皇」を否定した三島由紀夫の思想が問うものとは
天皇のあり方と近代日本(4)三島由紀夫VS東大全共闘2021/11/02
https://10mtv.jp/pc/content/detail.php?movie_id=4292
片山杜秀片山杜秀慶應義塾大学法学部教授
それでいえば、参考として考えるべきことが幾つかあると思うのですが、そのうちの一つが「三島由紀夫vs全共闘」です。あれは、たしか昭和40年代だったでしょうか。
片山 そうでしたね。
―― あれは、あの時代の非常に象徴的な議論だったのだろうと思います。そこでは、当時学生であっただろう全共闘の方々は、ここでは憚られるような罵詈雑言を天皇に対して相当に浴びせ続けています。
 片や三島は三島で、まさに今の問題に通じるような問題提起をしています。「誰々天皇がご病気だった、誰々天皇が偉かったというなかで、今の天皇陛下が偉いから私は尊敬するという価値観は、小泉信三のようなオールド・リベラリストの議論であり、私はこれに与しない」。天皇というのは連綿と続く美しさなのだという議論を展開しているわけです。
 あのときの、対極に分かれた何か不思議な空間というものが、今になって改めて問題性を提起してくるような気もします。三島がいっていた「あれはオールド・リベラリストのあり方であって、自分の天皇像とは違うのだ」という問題提起については、片山先生はどのようにお考えになっていますか。
片山 三島由紀夫の指摘や問題設定のしかたというものが――彼も没後50年を超えたわけですが――、改めてじわじわと深く、「そこにポイントがあったな」と効いてきている感じはします。
 やはり、「人間として尊敬できる」天皇というものを追求していくと、「人間として尊敬できない」天皇や皇族が出たときにどうするのかという問題になる。
 代々の天皇やそれを取り巻く皇族全員が皆「人間的に尊敬できる」のか。「人間的に尊敬できる」ことがはっきりするためには、単なるキャラクターとしての演出されるのではなくて、戦後の民主主義のなかでのマスコミが何もかも報道する時代のなかで、いろいろなことが報道されて、「この人は尊敬できる」ということにならなくてはいけない。つまり、裸にされたうえで尊敬できるような人でないと、そうはならない。

 ところが、そんな人間のありように耐えられる人は、世の中にそうたくさんいるものではない。仮に皇族に対して、どれほど倫理道徳に関して徹底的な教育を生まれたときから施して、どれほど超モラリストのような人になるように一生懸命育てようとしたって、うまくいかないかもしれません。

●「戦後民主主義・平和主義」がオールドファッションになるとき
 そういうことを考えた場合に、「人間としてきちんとしている。尊敬できる。立派だ。だから、天皇は立派だ」という、戦後の人間天皇のありようはどうなのか。昭和天皇自らがいったことに徹底的にシフトし続けると、昭和天皇は確かに立派だった。その皇太子も、やはり父親のいろいろな思いを継いで、立派であろうとして、あれほど大変な時代のなかで成功を収めた。
以下割愛


2023年02月19日記事

三島由紀夫と天皇

日本人にとって「天皇制」は何を意味するのか
「ポピュリズム」に対抗する政治的エネルギー
内田 樹 : 思想家、武道家、神戸女学院大学名誉教授  東洋経済 2017/10/06 9:00
一部メディアで話題となった「天皇主義者宣言」など、天皇制に関する論考や2万字の書き下ろしを加えた『街場の天皇論』を、思想家で武道家でもある内田樹氏がこのほど上梓した。



画像 割腹自殺によって“作品”を完成させた三島由紀夫 | nippon.com




020219内田樹

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