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調律師に「ピッチはどうしますか?」と聞かれたら

調律のときにこう聞かれて困ったことがあるかもしれません。正直「ピッチ」ってなんなのかよくわからない、と言う人がほとんどなんじゃないかと思います。

そもそも「ピッチ」とは?

この場合の「ピッチ」というのは下から49音目のラの音の高さを何Hzにするか?という話です。

楽器においてのHz(ヘルツ)は音の高さをあらわす単位で、数字が大きくなるほど高い音です。

基本的にはラは 440Hz〜442Hzで調律します。

それぞれの音どうしの関係性は変わらないので、ラの音を高く調律した場合は他の音もその分高くなりそのピアノは全体が高め、ラが低ければ全体が低めの調律となります。

ラを440Hzに合わせると次のラ#は466Hzになり、一番高いドの音は4186Hz、一番低いラは27.5Hzになります。

ラを442Hzに合わせると次のラ#は468Hzになり、一番高いドの音は4205Hz、一番低いラは27.6Hzになります。

※インハーモニシティ(ピアノごとの揺れ)を無視した計算上の数値です

ピッチが変わるとピアノの音は変わる?

ピッチが高い=弦を強く張っていますので、張りのある音、硬い音、緊張感のある音になります。低く合わせるとその逆で、柔らかく落ち着いた音色に。

ピアノ全体にかかる張力も、440Hzと442Hzでは140kgほど変わります。

ただし響きの変化はあくまで相対的なもの。ピアノのキャラクターが変わるほどでははなく、少し表情が変わる印象です。

イメージとしては、ブラックコーヒーと砂糖を入れたコーヒーほどの違いはなくて...砂糖を4つ入れたコーヒーと5つ入れたコーヒーの違い、くらいが近いかと。砂糖入れすぎ!と言うのは置いておいて。

ピアノのピッチは常に変化している

弦の伸び縮み、本体の歪みなどでピッチは簡単に変化してしまいます。温度や湿度が少し変わっただけで平気で2〜3Hz変わるレベルです。

大前提、ピアノのピッチは流動的でずっとキープするのは難しく、場合によってはそもそも希望のピッチに調律することすら難しい場合もあります。

では、調律のときにタイトルのように質問をされたら、どのように考えれば良いのでしょうか。

こんなときはピッチの指定をしないほうが良い

ひさしぶりの調律の場合

10年も調律が空いていれば、ピッチは大きく下がっています。そこから高いピッチまで一気に上げるとピアノや弦に大きな負担がかかってしまいます。しかも上げるほど反動で下がりやすくなるので、そもそも正しいピッチまで持って行くことすら難しい場合も。

実質的に正確に希望のピッチに合わせること自体が難しいです。僕もこのケースではピッチをどうするかの質問はしません。

環境の変化が大きい場所

温湿度の変化で狂った分を無理やり戻そうとすると、ピアノに余計な力がかかります。今度は逆側に狂ったりしてしまうのでまずは環境を整えることが先決。こういった場所ではピッチありきで調律をすることが不可能です。

これについてはこちらの記事に詳しく書きました。

これらのケースはピッチの指定をしない方がよい、というより「そもそも指定ができない」と言った方が正確ですね。

そしてたぶん多くの人が当てはまる、こんなケースでは無闇に指定しないほうが良いです。

特にご希望がない場合

一応指定したほうが得なのでは?指定しないとナメられるのでは?...そんなことはありません。

ピッチを調律師におまかせ頂ければ、季節、狂い方、音色などを考慮してそのピアノと環境にベストなピッチに合わせることができますので、この後に書くような事情がなければ「おまかせで」と答えてもらうのが一番です。

ピッチの指定をしたほうが良い場合

他の楽器と合奏をする場合

合奏する全楽器のピッチを合わせる必要があります。バイオリンなどその場でピッチが変更できる楽器の場合、そちらをピアノのピッチに合わせることも多いです。

レコーディングの場合

合奏と同じく他の楽器と合わせますし、ソロの場合も1枚のCD内では曲ごとのピッチは揃えることがほとんどです。

逆に言えば、ピッチにシビアなレコーディングをする場合は、ピアノのコンディション、置き場所の環境がしっかりと整っている必要があるとも言えます。

好みのピッチがある場合

このピッチじゃないとどうしても違和感がある、このピッチの響きが好き、ということであれば、ご指定はもちろんありです。

ただそれはあくまで目の前のピアノに対してであるべきです。

もしその理由が「本番のピアノに合わせて」「先生のところと同じだから」であれば話は変わってきます。

安定度や負担を無視してまで、無理やり今ここにないピアノに合わせるメリットはほとんどないです。ピッチはそのピアノを構成する大事な要素ではありますが、他のピアノと揃えたからといって同じ響きになるほど絶対的なものでは無いです。

ピッチに良し悪しはない

「442Hzっていうのが良いピッチ?なんですよね?」

こんなことを聞かれたことがあります。

ホールがそうだからか、なんとなく高いピッチのほうが本格的で良いものだと思われている空気を感じます。

もちろんどのピッチが優れてるというこはなく「良いピッチ」と言うものがあるとすれば、負担が少なく無理のない、今そのピアノにとって自然なピッチと言うことになります。

あるお宅の古いピアノは440Hz〜442Hzに合わせると毎年どうしても変な狂い方をしてしまっていました。試しに無理に上げず439Hzで調律をしてみると次の年からかなり安定して響きも良かったので、お客さまともご相談のうえ439Hzで落ち着かせています。

このケースはイレギュラーですが…そのくらい「無理のないピッチ」はピアノや置き場所によってそれぞれです。

ただし設計上は現代のピアノは440Hz〜442Hzの力で弦が張られることを想定しています。あまり低すぎるピッチに合わせてしまうのも、そのピアノのポテンシャルを引き出せなくなることには注意が必要です。(430Hzのピアノは440Hzのピアノと比べて弦の総張力は約700kgも少なくなります)

これからのピッチ

というように、ピッチについてはあまり囚われすぎず、流れに任せるくらいの感覚が良いと思います。

ちなみに最近までの流行りとしては443Hzやそれ以上など、どんどん高いピッチが求められる傾向がありました。でも家の防音性が上がってきたり、家電も車も静かになり、世の中が昔より静かになってきている昨今。

古楽器への関心なども相まって、これからは低めのピッチが好まれていくんじゃないかと勝手に予想しています。

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