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卑屈なコミュ障の私が思う「友達の基準」

限られた友人に共通する要素はいくつかあるけど、そのうちの一つに
「話していて、自分のことをゴミ屑と感じさせない相手」
というものがある。
それは、気を許してありのままの自分で話せる相手か、と言う基準なのかもしれないけれど。

とかく、私は自分が好きじゃない。
特にコミュニケーションにおいては、コンプレックスを拗らせている自覚がある。

相手の反応がイマイチなとき。
上手く切り返せなかったとき。
私の返答で、変な間を生んでしまったとき。
会話についていくのに必死で、心にもないリアクションを取ってしまったとき。

相手に気持ちよく話させてあげられなかったこと、そして本心で話せない自分に傷つく。
そして、思うのだ。
「ああ、こんな風にしか話せない私って、本当にゴミ屑のようだな」

卑屈な自分の本心を言い表すのに、強い言葉を使うのも苦しい。

実際にはもっと、言葉にもならないボヤボヤした感情だ。
自分に失望し、自ら価値を下げ、相手にへりくだるような暗い気持ち。
そんな気持ちが、コミュニケーションに失敗したと感じるそのたびに、胸の奥底をざらりと撫でるのだ。

幸運なことに、素の会話のリズムや話題が合うのか、話していてなんの引っかかりもない人もいる。
そんな人と出会えて、一切の不安から解放されて楽しく話ができるとき。心の底から笑えるとき。
私は、感謝と幸せを感じることができる。

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