愛とは
君は誰。
君と僕。
君が苦しいならそれは僕が苦しい。
君を愛でるのはそれが僕だから。
そして僕の苦しみという幻想が
なくなるなら君の苦しみはない。
苦しんでいる僕はいない。
君もいない。君も僕もいない。
全て僕であることを思い出す。
そしてまた、
僕が全ての基であることを思い出す。
愛を与えることによって
自らが枯れて傷つくという錯覚を解く。(!)
受け取るということは便宜的に僕にであり君にである。
与えるということは便宜的に君にであり僕にである。
循環(⇄)以前に全て在るのだ。
プロセスと結果としての流れを観るなら、
受け取り与えるという言葉が生まれるだけなのだ。
あぁ、なんて、なんて絶え間なく愛を受け取ってきたのだ。
そしてそれはまた、なんて、なんて、
絶え間なく愛を与えてきたのだ。
これはそのまま、受け取る、与える、
という能受という二極ではなく、ただ愛なのだ。
安心するとは、身体でもなければ、
感覚でもなく、心でもなく、神経でもない。
ただ意識のほんの切れ端に
感受するか否かの一触れの間際に、
ずっとあったことを思い出すのだ。
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ありがとうございます。すべては慈しみと感動へ