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1章:よい演奏って何? 恋するソニードセルフ感想文

!注意喚起!
・作者による解説です。
これがすべてではないし、作者には見えない部分・知れない部分もあると思いますが、メタ的なお話や作者個人のお話が多いと思います。作者のことは考えたくないよという方にはあまり勧めないです。

・結果として、現役の頃~現在に至るまでの思い出話も多少入ると思います。なるべく個人が特定できないようにはしますし特定の個人について語る気はないですが、「自分のこと?」等不安になってしまう人にも勧めないです。


1話『再生のティンク』 本編とあらすじ

web版。本編は全部無料で読めます。↓

↓kindle版。ちょっとだけ描き下ろしが入っています。

~あらすじ~
絶対音感を持ちながらも、「感情的な演奏」ができない武石は音楽から遠ざかっていた。入学した大学で、フォルクローレを演奏するサークルと、その部長である亜麻音に出会った武石は再び演奏を始めるが……?

・フォルクローレレベル ★★★☆☆
・「恋」ポイント 演奏者に対するあこがれは恋? 

絶対音感について

時効なので白状しますが、彼の「音感はあるけど感情はない」という悩みは私の悩みでした。

絶対音感について説明するときは、第二の母語のようなものだと言うことが多いです。
辞書を引かなくてもわかるけど聞き間違えることもあるし、発音が苦手なフレーズもある、という感じです。超能力みたいに思われるのが好きじゃないです。ほんとよ!!

ところで、「正しさ」と「よさ」の間には大きな隔たりがあると思いませんか。

高校時代、授業でオペラを歌ったら「歌は文句の付け所がないけど恋してるように見えない」と複数人に言われたことがあります。
合唱で音が合わないことに悩むこともあれば、最高音を出し切れていない歌に可能性を感じて号泣したこともあります。
ていうか、絶対音感がある割には「正しい」音を出すのは上手くないんです。
自分の歌を聴いてズレが気になったり、絶対音感がないのに自分より「正しい」音が出せる人見て陰で地団駄踏んだりします。ダンダン!!(自分の弱みが分かるのは耳が自分を追い越した証左です。)ここ伏線です。

どうすればよい演奏たりえるのか、常に考えています。

今の私は、「感情」のこもった演奏とは

①演奏者の解釈が入念に張り巡らされている
②演奏者本人が楽しんでいる

の二つが揃った演奏だと思います。

「カワイイは、つくれる」という有名なキャッチコピーがありますね。
私は、感情も作れると思うんです。

理想やTPOに適合したモデルを探してメイクや服装を合わせるように、大量のインプットを自分の中で取捨選択して、なるべくはっきり像を結んで、それを全力で(「がんばり」じゃなくて技巧で。練習!!イメトレ!!)お伝えするフェーズが①です。

①をやってると、本気で「自分、『カワイイ』んじゃね?」と思い出すことがあると思います。これが②です。
②は①のダイナモにもなりますね。

体感では、「感情」とされるものの8割が①、2割が②で構成される気がします。

(私は脳筋なのでこういう考え方ですが、全部すっ飛ばしてキラキラをお届けしてくれる人も当然いらっしゃいます。ケースバイケースだと思ってください。)

歌をどう歌えばいいのか?という問いに対して、技術面以外での問題提起を図り、「感情」との向き合い方についての当時の答えを出したのが1話でした。

武石くんと亜麻音さんについて

本編に話を戻しましょう。
恋ソニのキャラクターはほとんど全員、一見相反する二つの属性を持たせて、その間を補完するように作りました
武石くん・亜麻音さんの場合は

武石くん 感情的には見えない ↔ 愛や情熱に満ちている
亜麻音さん 情感あふれる演奏をする ↔ 理性的で、強いこだわりや感情を持たない

という見方ができると思います。

ちなみに楽器の擬人化のようなところも持たせました。
武石くんにはギターのピッチやリズムの正確さ、亜麻音さんにはサンポーニャを吹くために必要な爆発的なエネルギーのようなものを宿らせています。(ねぇ、どうしてギターの人っていちいち強キャなんでしょうね?)

亜麻音さんは?

演劇をやっていた亜麻音さんは、「感情」を演じることに対して非常に自覚的なキャラクターです。
(ところで、異文化の音楽・フォルクローレを演奏するという行為は、自分が本来持たないものに寄り添おうとする点でかなり演劇的だと思います。この件についての話は2話に持ち越しです。)
一方で、自分の確固とした「感情」を持たないことに負い目を感じている気がします。

そこに、武石くんという感情に燃える男が現れます。
彼は、亜麻音さんが持っていると思われているけれど持っていないものを確かに持っている人間です。
ところで、私は先章で

絶対音感がないのに自分より「正しい」音が出せる人見て陰で地団駄踏んだりします。

と言いました。

私は亜麻音さんじゃないので想像しかできないし、今の自分の考えなのですが、亜麻音さんはあの夜、抜き身で感情を吐露できる武石に対して「地団太踏んだ」んじゃないでしょうか。

この顔!

(なぜ固定の解釈を避けるような言い方をするかというと、真実というのはそういうものだと思うからです。
事実はありますが、真実は流動するものです。
亜麻音さんは当時の亜麻音さんの価値観で当時の出来事を咀嚼し、真実として認識しますし、現在の亜麻音さんにとっての真実は当時と異なる可能性があります。私も、今の私の価値観や体験とアナロジーを見出すことでしか真実を推定できないんです。)

武石くんは?

対して、武石くんは(この時点では)亜麻音さんのことをあまりわかっていないと思います。
亜麻音さんの話を聞いて、自分の迷いに答えを出せているかもちょっと怪しいです。

武石くんの亜麻音さん(とその演奏)への感情の大きさに関しては、あえてあまり理由や背景を書いていません。

だって、「恋」ってそういうものだと思いませんか。

唐突に現れて自分の道筋を明るく照らして、望むと望まざるとに関わらず、糸で足を絡め取ってぐいぐい歩かせてしまうものじゃないですか。

0章でお伝えしたとおり、恋ソニを通した大きなテーマの一つは、「ディスコミュニケーション」です。
きっとこの夜、二人は自分が伝えたと思ったほど相手にわかってもらえていません。最後まで二人はどこかすれ違っています。
それでも、亜麻音さんが歌で道を敷いたから、武石くんはその上を一緒に歩き出したんじゃないでしょうか。

ところで、藤井ちゃんと万田くんがコンテスをやる小話がありますね。
いかにもフォルクローレらしいシーンを描きたかったという意図が大きかったと思うのですが、今思うと、誰かと演奏することの重要性を指摘している気もします。

0章で説明したとおり、「花祭り」や「コンドルは飛んでいく」などの定番曲を覚えるところからフォルクローレ一年生の活動は始まります。
これは学生フォルクローレサークル、ひいてはフォルクローレサークルと関係のないフォルクローレ演奏者との共通言語となります。

私たちは、相手のことを何も知らなくても、同じ曲を演奏できるんです。それって、フォルクローレ(音楽)の良いところだと思います。

ちなみに、上手くなくてもよいというのも結構重要です。亜麻音さんの「啓示」を得た後でも、1年生が劇的に上手くなることはなく、本番で各々失敗した様子です。
私は明確に「上手い演奏」と「よい演奏」を区別して描いています。

かくして、1話では「相手のことが理解できなくても、一緒にやってみる」という一歩を踏み出しました。
次の2話では、「相手」をフォルクローレそのものにしてお話を進めます。

武石くんの亜麻音さんに対する憧憬と、武石くんが亜麻音さんに対してたてた波風は「恋」なのか? という問は、恋ソニを通じて続きます。

余談

・先輩たちが叫びを披露してくれるシーン、大好きです。
私がフォルクローレ1年生の頃、よくわかんないことをもっともらしく叫んでる先輩がすごくカッコよく見えたんですよね。なので入れました。
そういえば最近、若い子たちが私が街頭曲で入れてる叫びをコピーしてくれるんです。すっごい嬉しいことだと思いませんか?

・亜麻音さんは甘いものが苦手でブラックコーヒー派、武石くんはミルクティー派という設定があります。実はここで飲み物を交換しているんです。

買ったやつ
飲んでるやつ

わかるかい!!

興味のある人間への接近のやりかたとして、「相手の好きなものを把握し、アピールする」というのがあると思うんです。
相手の好きなお菓子を差し入れるとか、好きそうな話題を振ってみるとか、そういうのですね。
それが私から与えるものでなく、交換するものになったときが人間関係の最も楽しい瞬間の一つだと思います。pingが返ってくるんです。

缶ジュースとベンチでの会話は二人の中の強固で秘密の文脈と化したため、後の話でも繰り返し登場します。秘密だったんですけど、もう時効でしょう。

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