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0章:執筆に至る経緯 恋するソニードセルフ感想文

前置き

こんにちは。コスキンの振り込みはお済みですか。フグです。

青春フォルクローレ漫画『恋するソニード』(通称:恋ソニ)を発表してから4年がたちます。時の流れは速すぎますね。

↓ 本編です。会員登録等なしで読めます。

私はふだん、自分の演奏とか漫画とかをそこまで振り返らない方です。高校生の時に描いた漫画を読み返して「展開が読めない!!」と無邪気に思ったことがあるくらいです。

そのわりに、恋ソニのことは全然忘れられないです。毎日考えてます。

毎回個人のお話を書くときはなるべく主人公による作業をするのですが(私は「役作り」と呼んでいました)、お話を書き終わると自然と離れていきます。(ときどきちゃっかり居座っちゃう子もいます。私の中だと、それは武石と藤井です。)
今回はあえて主観的に、いろんな人たちを呼び戻して自分ごととしても考えてみようと思います。

なぜ恋ソニを描き始めたのか

コロナ禍になっちゃった

恋ソニを書き始めたのは2020年の3月ごろだったと思います。
そう、コロナでありとあらゆるものごとがストップした時期です。
具体的には、私は卒業を控えた大学4年生でした。慎ましい小さな大学で、幸い卒業式はできたのですが、私は大事なイベントを失いました。

民音の卒業ライブです。

突然やることがなくなっちゃって、フォルクローレに魂を預けたまま、エネルギーだけを狭い部屋で持て余していたんです。

現役生としてやり残したこと

ところで、当時の私は卒業に際して、自分がやり残したことは何かを考えていました。
出した結論としては、「『先輩』をやれなかった」です。

学生フォルクローレサークルは、ほとんどがフォルクローレ初心者の1年生に、ほとんどがフォルクローレ初心者だった2年生が「街頭曲」とよばれる数十のナンバーを教えることで文化を継承しています。
私はチャランゴ弾きとしてサークルに入り、チャランゴ弾きの先輩に手取り足取りチャランゴを教わりました。
きっと先輩も、教わったことをそのまま教えてくれたのでしょう。

私はあんまり教えられませんでした。
なぜか1個下で大・チャランゴ不況が起きたから!
(あと、他大だったのであまり活動に参加できなかったから)

私の好きな『子供はわかってあげない』という漫画に、「教わったことは教えてあげられる」というセリフがあります。
https://morning.kodansha.co.jp/c/kodomohawakatteagenai.html

私はこの考え方が本当に好きです。

人の持ち物には、元から持っているものと人にもらったものの二つがあると思います。
私の場合、たとえば絶対音感が前者で、基礎練のやりかたが後者です。
高校の音楽の授業で教わった基礎練を今でも流用しているし、教わったものだから人に堂々教えられるんです。
対して、元から持っているものは人に教えられませんよね。自分は初めからそれがインストールされているけど、相手にはそれがないから、すれ違う一方なんです。

元から持っているものは、自分の人生を楽しくしてくれるけれどとことん孤独なもの。
人にもらったものは、自信をもって自分と人をつなげてくれるもの。

そういう考えです。

しかし、私はバトンの受け渡しにうまく参加できませんでした。
自分のやり方で演奏を習得し、自分のもともとできる楽器を勝手に持ち込み、それを一つも教えられないんです。

話は変わりますが、執筆する少し前に、後輩に「歌を歌ってみたいけど、上手いやり方が分からない」といった趣旨の話をされて、ずっとその答えを考えていました。(今もわかんないんですけど……)
コロナ禍に伴う突然の暇を機に、私は私のやりかたでどうにか答えを伝えようと思ったんです。
かくして、恋ソニ1話は歌い方が分からなくなった武石くんの話になりました。

恋ソニの主題

全5話書いていく中で私が意識していたのは、以下の二つです。

①「恋」の定義を拡張していくこと
②異文化と向き合うこと/ディスコミュニケーション

①「恋」の定義を拡張していくこと

①に関しては、タイトルがすべてかもしれません。
青春フォルクローレ漫画という集団幻想にふさわしく、ベッタベタで検索性の高いタイトルにしたかったというのはありますが、私は本作で「恋」の拡張を試みた自覚があります。
トップ画を見てください。私は、「演奏のドキドキは、恋に似ている」と本気で思っています。
それはそれとして、演奏者への憧れと「恋」って必ずしも一致しないと思います(したら大変だし、慎重に考えるべきだと思ってます)。
ていうか、「恋」って男女の人間同士にしか起こりえない現象なんですか、違いますよね。別に、かわいいアクセサリーとか特定の人間が出す空気の振動にときめいてもいいじゃないですか。同性の友達に打ちのめされてあこがれてもいいじゃないですか。それらは「恋」ということにしてもいいし、「恋」じゃないことにしてもいいじゃないですか。だって「恋」って100%主観的な気持ちなんだから。
恋ソニでは、狭義「恋」から広義「恋」までさまざまな「恋」をお出しして皆さんに問いかけています。
(作者は、一般的な「恋」を知っているのは万田くんだけなのでは? と考えています。作者の考えです。)

②異文化と向き合うこと/ディスコミュニケーション

1話を書いた時点で、「武石くんと亜麻音さんってぜんっっっっっぜんお互いのことわかってないな」と思いました。
それでもお互いの存在がお互いの中に引っかかっているんです。なんか不思議ですよね。

また、亜麻音さんは1話で「故郷を離れる旅人の気持ちなんて知らずに歌ってる お酒を飲んで忘れたいほどの恋だってしたことないよ」と明言しています。
これは、旅人でも酒飲みでもない私も同感です。しかもそれをスペイン語で歌うわけですから、より距離感は遠いです。

2話では、異文化としてのフォルクローレとの向き合い方をしっかり描こうと考えました。
異文化を趣味とするときは、自分が本来持たない価値観と自覚的に折り合いをつけて、自分のものにしたりしなかったりすると思います。安易に自分のものにしないことやわかった気にならないことが大事だし、それでもその「無理解」と愛は両立すると思うんですよね。

これと、武石くん・亜麻音さんの関係は似てるなとふと気づきました。
ここから、恋ソニはディスコミュニケーションの漫画として舵を切りました。人物たちは自己について必死に語ったり考えたりしますが、接する相手のことはたかだか60%くらいしか理解できていないと思います。(4話みたいに、0%理解の回もあります。)でも、相手や音楽が好きで尊いんです。

おわりに

今回は恋ソニを描き始めたきっかけや、恋ソニ全体を貫く主題を提示しました。次回以降は各話の振り返りをします。
衝動的に書き始めたものなのでいつどのペースで片付くかはわかりませんが、私は5話こそ私らしい話だと思うので、5話まで書きたいです。
みなさんのご意見もコメント等でお待ちしております。何か突っ込みたくなったら・語りたくなったらお気軽にお伝えください。
みなさん、今日もよい一日を。よい音楽を。

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