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ダイバーシティを大学で専攻した私が、ダイバーシティが原因で会社を辞めた話

「いやいや、さすがにもう耐えられない、これ以上私のメンタルヘルスとキャリアを犠牲にできない」
限界だった私は、転職アプリをインストールし、エージェントとの面談を予約した。

高校生の頃英語が好きだった私は、大学で国際系の学部に進学した。その学部のカリキュラムは外国語を学びつつ世界各国で起こっている社会問題を勉強していくというもので、自分の興味にぴったりだった。比較宗教学、地理学、環境学など、どれも楽しいものばかりだった。その中でもとりわけ私の興味を引いたのはダイバーシティ学だった。

ダイバーシティ系の講義では、ジェンダー、人種問題、マイノリティ支援などを時には英語で、ディスカッションをはさみながら学んだ。そうか、日本は女性があまり活躍できていない国なんだ。アフリカ系の人々って歴史的にこんなひどい扱いを受けてきたんだ。マイノリティには、公的や私的な支援が必要なんだ。もともとHSP気質のある私にとってはそのような方たちに対する共感力が異常に高く、世界中の人々が差別を受けることなく生きやすい社会になればいいのにと常々思っていた。アメリカ留学時はメキシコ系アメリカ人を対象とした学校にフィールドワークを行い、アメリカにおけるマイノリティ支援教育を卒業論文のテーマとした。

晴れて社会人になった私は、希望の会社でそこそこ楽しく働いていた。何回目かの異動で、女性の精神障害者(実際に手帳を持っている)と働くことになった。私は大学時代にダイバーシティをメインで学んでいたから、ほかの人たちと違って差別をすることもなく、お互いの特性を活かしながら認め合い、働くことができると思っていた。

しんどいと思い始めたのは、その方に話が全く通じないことだった。難しいことを話していないのに全く通じない。これでは業務に支障が出てしまう。伝え方が悪かったのかと何回も優しく嚙み砕いて長時間説明しているが伝わらない。ほかの人からは私の話は分かりやすいと言われていたので、どうすればいいか分からず、困惑した。

また同時期にその女性からプライベートのメールアドレスに長文メールが来るようになった。結論のない、「今日は職場でこんなことがあって楽しかったね、明日もよろしくお願いします」的なメールがスクロールしても収まらない長さで、多いと週に3回ほど届くようになった。返信できないと「昨日メール送ったんだけど・・・」と次の日にお咎めをされるので、がんばって返していた。

そして、彼女は私を監視してくるようなそぶりをみせるようになった。私が違う人と話していると耳をそばだて、時には会話を遮って話に入ってくる。まるで「私をほって誰かと仲良くしないで!いつでも私の見方でいて!」というようなそぶりで。彼女は何がしたいのか、私に何を求めているのか分からなくなってきた。後になってだが、このような行動も障害の特性だったと聞いた。

だんだん、一緒に仕事をするのが辛くなってきた。何回説明しても伝わらず時間だけが過ぎていく。彼女はデータを扱い、そのデータをもとに私が仕事の方向性を判断していくのだが、そのデータがガタガタだった。どのデータが正しいデータなのかを私が数字一つ一つをみて判断し、彼女に説明するが伝わらず、自分の仕事もこなさないといけないので結果残業をし、帰宅したら長文メールに返信する。何のために働いているか分からなくなった。だんだんやつれていき、ほかの人から心配されるようになった。

あんまり辛かったので、上司に相談をした。彼女にはもっと他に向いている仕事があるのではないかと。周りで働いている人間としてはしんどいと。彼女は物事の理解能力こそ乏しいが、愛想がものすごくいいので、受付とか、愛想が活かされる部署のほうが向いているのではないかと。上司は、聞き入れてくれなかった。

ある日、彼女が職場で倒れた。障害の特性で、ストレスを感じると倒れる習性があるそうだった。保健師を交えてなぜ倒れてしまったのか、また倒れないためにはどうすればいいかの話し合いが始まった。保健師は私に「この部署に女性は彼女以外にあなたしかおらず、同じ女性なのになんでもっと配慮しないのか、非常にがっかりです」と言い放った。


こんなに配慮しているのに?


彼女の間違えたデータ確定作業を残業して修正し、理解できない彼女に時間をかけて説明し、プライベートの長文メールにも返信しているのに?

私は反論した。「そもそも人事的に考えて、理解力が必要な仕事に理解力の乏しい人をあてがっているほうがおかしいだろ!」
保健師は言った。「それは上の人間が考えることです。周りで働く人間は配慮しないとダメなんです」

話が通じない。上の人間、考えてくれないじゃん。私も上の人間に進言したけど受け入れてくれなかったもん。

私は困惑した。何回も何回も考えた。

私は、大学でダイバーシティを専攻していた。ダイバーシティがもたらす効果は誰よりも知っているつもりだった。多様な人間が集まって仕事をしたほうが様々な知見から物事が考えられ、仕事がよりよいものになる。だからマジョリティ側はマイノリティを偏見の目で見てはいけないし、広い心で、みんなが認め合って生きていかなければならない。もはや座右の銘といっても過言ではないこの言葉、考え方は、間違っていたのだろうか。

そもそも、私だって女性という点ではマイノリティなのだ。生理痛がひどいから生理休暇だって使っているし、いずれ妊娠して子供を産めば時短勤務で働くことになる。その間は周りの人々に迷惑をかけることになる。言葉があっているか分からないが、自身のダイバーシティは周りに認めてもらっているのに、他人のダイバーシティは許せないのだろうか。ダイバーシティ専攻だったのに?私が大学で学んできたことは机上の空論だったのだろうか。私は、こんなに心の狭い人間だったのだろうか。

自分の信じていたことが、ガラガラと音を立てて崩れていった。

聞けば、彼女は私の前任者ともトラブルを起こしていたらしく、結果前任者をは異動になったらしい。障害者である彼女にとっては、部署異動はストレスになるので異動させられず、前任者が異動したと聞いた。

私は、今の仕事に誇りを持っていた。今の仕事が大好きだった。部署異動はしたくなかった。でも、彼女に歯向かえば、トラブルを起こせば、異動になってしまう。それほどまでに、「障害者」であるということは、この会社では強かった。無敵であったといっても過言ではない。彼女の機嫌を損ねないようにしなければならなかった。

社会人になる前、市場価値を意識して、専門性を磨きながら仕事をしようと決意していた。終身雇用が崩れた今、大企業に入ることが安定ではなく、いつでも転職できるスキルを持ち合わせていることが大切だと何かで読んだ。私は今、彼女の仕事の補助としてひたすらデータを修正する仕事をしている。はたして、それは市場価値の高い仕事なのだろうか。学生時代の自分に、胸を張って自分の仕事を紹介できるだろうか。ダイバーシティを守るということは、自分のキャリアを犠牲にすることなのだろうか。

だんだん、彼女を見ると動悸がし、泣きそうになる自分がいることに気づいた。辛い、苦しい。どうすればいいかわからない。

解決策は、転職しかなかった。部署異動をすると仕事の内容が変わってしまうので、仕事内容を変えずに彼女から離れる方法は転職しかなかった。幸いいい転職先が見つかったので、転職することにした。

有給消化中に、考えていた。「私が大学で学んだダイバーシティは机上の空論だったのか」という命題に関する回答が欲しかったからだ。

多分、机上の空論ではない。私が学んだ通り、ダイバーシティはどの団体にもあったほうがいいのだ。しかし、一言付け加えなければならない。
「ちゃんと仕組みをつくり、管理できるなら」

私の推測だが、日本の企業は女性の雇用比率や障害者雇用比率を達成するために、数字だけを追い、マイノリティとマジョリティがお互い気持ちよく働ける仕組みは作れていない。いわば負担を「マジョリティ側の心の広さ」にゆだねてしまっているのだ。そりゃあこの少子高齢化時代に子供を産んでパパもママも産休、育休をとって育てていくことに誰も異論はないだろうし、障害のある人もない人も働けるほうがいいに決まっている。そんな社会を達成するために、例えば産休、育休をカバーする人の給料を上げるとか、人を増やすとか、きちんと障害の特性を見極めて適性のある仕事を任せるとか、理想論かもしれないけど、そういう仕組みが必要なのだ。それができている企業って、日本でどれだけあるのだろうか。「子供育てるのに休みは必要でしょ?」「障害者でも気持ちよく働けるほうがいいでしょ?」そんな誰も反論できない道徳を盾に、マジョリティ側に負担を強い、マジョリティ側の心の広さの上に雇用比率等が成り立っている気がしてならないのだ。

私たちは、いくら社会にとって良いとされていることでも、負担が自分のキャパを超えると対応できない。私たちは、ダイバーシティを前に、成人君主にも神にも仏にもなれない。そりゃあある程度の負担は仕方ないが、度を越えると無理なものは無理なのだ。

たぶん件の彼女も、もうちょっと適正のある部署に配属されていたら、お互い気持ちよく仕事ができたのではないかと思う。結局、そのような仕組みを作れなかった会社の体制に問題があったのだ。

私はお願いしたい。今この日本社会において、上の立場にいる人。とくに人事系やダイバーシティ系の立場にいる人。マジョリティ側の心の広さを犠牲にして数字を追うのではなく、お互いが気持ちよく働けるような仕組みを作ってほしい。理想論であることは重々承知している。でも、どうしてもそのような社会になってほしいと、願わずにはいられないのである。




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