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自ら学び、幅が広がる



学校が再開されて2週間が経ちました。

子どもたちも徐々に学級の生活に慣れてきて、子どもたちらしい姿が見れるようになってきました。

前回の記事にも書きましたが、アドラー心理学の目的論の立場に立ち、子どもたちに関わるようになってから圧倒的に心の余裕と、叱る頻度が減りました。


さて、今日は毎月恒例の研修会でした。

今回は自分の実践を交えながら研修プランを組みました。


小規模とはいえ、初めて研修会のプランを1から考えてやるということはいろいろな意味で多くの学びになりました。


まず研修会をプランニングするということは、参加してくださる人たちに「参加してよかった」ということを感じてもらうということです。だから、自分が喋りたいことだけでなく、参加してくださる先生たちにとっても学びのある時間にする必要があります。

僕が参加している研修会のメンバーは実は僕が一番最年少です。
だから、経験だけでいえば、一番ペーペーです。

けれど、今の世の中で働くということに、年齢は関係なくなってきているということを僕は常々感じていて、自分だからこそ還元できることもあるんじゃないかと思っています。

けれど、やはり、初めてということもあり、とてもハードワークでした。笑
(アウトプットは好きだけど、先輩先生に提案できる内容はあまりなかった・・・笑)


けれど、提案するということは、自分に何かしらの実践をすることを課すことでした。この2週間の間で自分なりに全力で取り組む必要がありました。自主学習、ICT、子どもたちがつながる授業がそれでした。

実際、うまくいっているものもあれば、全然だめだった実践もありました。けれども、それらを全て自分の経験値として、そして、実践報告としてまとめることはそれなりに自分にとって力になったんじゃないかなと思います。

研修会をしている中で、ふと、思いました。

ファシリテートすることってこういうことだな、と。

今日は参加していただいた先生たちにたくさん話をしてもらいました。もちろん大人だし、中でも素晴らしい先生たちなので、僕が提供した話題に一人ひとりが素晴らしい話をしてくださいました。

授業でも、相手こそ違えど、こういった型がこれからの授業なのかな、と思ったり。

答えのない問について、あーだこーだ言いながら考えること。
それは、未来を予測できない世の中には必要不可欠な力だと思うのです。

誰かが提供した話題から、問が生まれ、広がり、深まっていく。

言うは易しですが、大事にしたい視点だなと思いました。


とりとめのない文章ですみません。

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