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移動スーパーとは待つ人の心を集めて陳列する

今から35年前
うちの親父の職業は移動販売だった。
その当時はコンビニエンスストアはひとつも無く
山奥の民家や入り組んだ路地の奥に住む家は日々の食材の調達に苦労していた。
その殆どが高齢者だったからだ。
親父はその不便さに目をつけ人助けか儲けるためか分からないがひと気が無いその山奥へ食材を売り届けていた。
まだ真っ暗な深夜2時になると
小さな冷凍車は大きな排気音を立てて仕入れの市場へと走り出した。
僕の家から1時間以上走り市場で魚や肉や野菜や飲み物等を仕入れる。
それはテキパキとそして太っ腹な単位で仕入れていく。
「そこのあれを何箱。いつもの場所においといて」
「えっ!何でそんなたかいのよ、たくさん買うからもう少し安くしてっ。」
ここでの仕入れは誰よりも早く生きの良いものを安く仕入れるのがコツだ。そして時間がない。交渉ごとも早くしないといけない。何しろこれから田舎の山奥へ行くのだ。距離が遠いほど商売の効率は良くない。誰が好き好んでそんな所へ売りに行くのだろう。同業者はもっと人が集まる近場の新興住宅地へ売りに行く。
距離が長いせいなのかうちの親父は毎日帰りは20:00頃だった。売れない日は売り尽くすまで帰ってこない。就業時間は16時間。たまに早く売れた時はそのかわり早く帰ってくるがそんな日は正月や天気が荒れた時ぐらいだ。まぁ自営業だから仕方ないと言えばそうかもしれないが。
今思えば親父のタフさには驚く。

僕は夏休みと冬休みに何日か親父の手伝いをした。
朝早く起き母親が握った握り飯を持ちやはり信也2:00には家を出る。
うつらうつらと寝ながら活気のある市場で目を覚ます。そこからはノロノロしている暇はない。
できる範囲の親父の手伝いをする。
お得意様の店舗で声をかけられ「お手伝い偉いね」なんてお小遣いをくれる人も何人かいた。
親父の人徳だ。お構いなくもらっておいた。
市場の買い付けから自分の冷凍車へ戻ると車の周りに色んな買い付けた箱が何段にも積み重なっている。親父はそれをサクサクと小さな冷凍車へ綺麗にスーパーの棚のように飾っていく。
こんなに手際のいい親父の姿は普段からは想像つかないものだった。

山奥のちょっとした広い場所に着くと親父はまず外部スピーカーからカセットテープの村田ヒデオの歌を流した。それは大音量で近所迷惑にならないのか、と思う間もなくゾロゾロとその歌を聞いてお客さんが集まった。なるほどね。アナログだが来た合図は村田ヒデオだったのね。

昼時間は決まってない。
休憩時間も決まってない。
お客さんの反応を確かめながら次へ次へと民家のない寂しい場所を突き進んでいった。
いつしかだろう。
夕方僕は疲れ切ってしまい車の中で寝ていた。
親父が気を使ったのか僕の仕事は決まって夕方までだった。夕方になると一旦家へ送り出される。
親父はまたそこから一走り売りに行く。

家で見る親父の顔とは全く真逆で
親父はお客さん相手に笑い
良く喋る。
家庭では全く見られない光景だった。
僕が見る親父は家の中にいて電池が切れたように酔いつぶれイビキをかいている親父の姿だ。
何だろう。仕事は地味だがカッコいい。
喜ぶお年寄りの笑顔。
体調を気遣う声かけ。
周りの環境や選挙の話。
皆んなが欲しているのは食材と思いきや違う。全く違う訳じゃないが本当にお客さんが欲しているのは話し相手だ。というのが分かった。
人里離れた場所に暮らす人達は人を欲しているのだ。
親父から世間のニュースや情報を聞き、
ついでに頼みたいものを頼んでいく。
ただ積んでいるものを売るだけの仕事では無いのが分かった。
心を通わす仕事。それが商売だ。物の売り買いはきっかけでしか無い。そのきっかけから人との交流ははじまるのだ。

親父は冬の豪雪日や台風の日でも車を止めなかった。母親にこんな日に車を出すのは気狂いよ。と言われても休まなかった。
それは待っている人がいるからだ。と言っていた。
こんな嵐の日こそお年寄りは不安で人を欲しているからだと。
僕の親父の冷凍車は人情車。いや義理車と言うことになるのか。

あれから35年が過ぎ
コンビニエンスストアができ親父のような仕事は維持出来なくなってしまった。
冷凍車は電気代と燃費が悪く
修理費も特車だからかかる。
赤字でもしばらくどうしても行かなくちゃならない場所がある。と言って何年か続けていたが時代が変わってしまった。
しかし売り子の原点はやはり人と、人だと今でも振り返ると思う。間違っていない。
相手を思い商売する姿。それが本来の人である姿だ。たかが物売りでも人は助けられるのだ。

#未来のためにできること

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