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卒業アルバムのその後

またしばらく投稿をさぼってしまった。
再開!と元気に言ってもまたすぐ油断して三日坊主になりそうですが・・・優しい方、お付き合いくださいませ。

親の卒業証書が目の前であっさりゴミになった

実家が引っ越しをして片付けに駆り出された。その過程で、親の卒業証書やら正直誰だかすらも私にはわからない古ーーーい写真やらを処分するという機会があった。

帰ってきて思い出したのは自分の卒業アルバムのこと。
中学校のアルバムは以前手放すことができたがそれは中学校があまり好きではなかったことが大きく影響しているのはわかっていた。

この記事では高校のアルバムも時間の問題とか言ってる。
ええ、大嘘でしたよ。

それこそ、この卒業アルバムに写っていた自分のような年齢の頃はいろんなモノにまみれた生活をしていた。
高校大学を経て、社会人になって、「ミニマリスト」を知って、すこしずつモノのない暮らしを目指し始めた。
「物質的な所有」はあまり大きな意味を持たないということもわかってきた。

長く生きてても卒アルが緊急で必要な機会とか別にないんだな、というのを実家で見てきたばかりだったから、さすがに長いこと重い腰をあげられなかった、大好きだった高校時代と超楽しかった大学時代の卒業証書と卒業アルバムのことも考えてみようかな、と思い始めた。

「カバー」っているんだっけ問題

証書はまあそれでも一応「証書」だしな、と思って、カバーから出して資格証書の集団に仲間入りしてもらった。
カバーがなくても、卒業証書やアルバムの中身は変わらない。
「証書」のくくりでいうなら、がんばってとった資格の証書なんて全部クリアファイルに一緒くたに入っている。

カバーをよく見ると、何だかわからない点々がたくさん。
保存状態なのか、虫的ななにかなのかはわからないけれども、ひょっとして証書ってカバーよりファイルの中にいるほうが幸せなんじゃないのかしらくらいの気持ちになってきた。
カバーは友達と撮った写真にたくさん写っている。みんな証書を持って写真に写っているから。
それをみたら今度は、なんだ写真の中でまた会えるじゃん、みたいな気持ちになってきた。今まで未練たらたらだったのに。現金な話だ。

ついでに卒業アルバムのカバーもチラッと見てみた。
証書よりよっぽど汚くなっていた。そりゃそうだよな、手垢の量も違うだろうな。というか、こんなに状態が悪くなっているのに気づかない程度には中身も見てなかったんだな、と思った。
汚いと認識してしまったが最後、卒業アルバムのカバーを処分した。

学校名が入っているので一応布を剥がして処分した。
かつて宝物だと思っていたこともあるそれらは、中に段ボールの板が入っているだけのただの紙と布だった。

まだアルバム本誌は手元にある

中学校の卒業アルバムを手放したけど人生は何も変わらなくて、数少ない大事な人とは相変わらず繋がっている。たぶん高校のアルバムを処分しても同じなんだろうと思う。(大学はアルバムがなくて今になって大感謝)
忘れられないようなあたたかい言葉を寄せ書きに書いてくれた友達は多分今電話してもすぐ出てくれると思う。
カバーが汚くなっていたと書いたが、辛い時にアルバムをあけて寄せ書きを見て、そっと自分を励ましたことも何度もある。だから脳内には寄せ書きのスクリーンショットが保存されている。

たぶん、アルバム原本にはもうあまり用事がない。スキャンでもしたらすぐ捨てるのだと思う。
ただなんとなくこればっかりは一気にやらなくてもいいか、と思うようになってきた。身軽になりたい自分とまだ捨てられない自分との戦いについてはまあ焦らなくてもいいか、ということにした。

おまけ

思うところあって就活を始めた。
前回の就活はなかば衝動的なものだったが今回は焦らずゆっくり大事に探すつもりでいる。
とはいえエージェント登録とかもあるし、卒業年度を調べようと思った。
資格関連の証書と卒業証書のが同じところにあるのはとんでもなく便利で、楽だった。

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