教員キャラの推しに怒られたい欲についてよく考える、また思い出した大学時代のとりとめのない話
おつかれさまです、お元気ですか?
私は大変元気です!
というのも、最近チャンピオンで連載中の西修先生『魔入りました!入間くん』に激ハマりしており、その中でも主人公の入間くんの担任の先生にして可愛い姿で使い魔になってしまった担任の「カルエゴ先生」と言うキャラに心臓をぶち抜かれて元気に推し活をしているからです。笑
私のオタクとしての正体(なかみ)は夢女なのですが、その中でも歴代の推しは逆転裁判の御剣検事、FateのエルメロイⅡ世、ときて入間くんのカルエゴ先生。
人の書いた夢小説も楽しく読むし、自分でも書いたりするのですが、それぞれ原作で「推しかっこいい〜!!!」って思う瞬間って部下や生徒たちに対して厳しく接するシーンなんですよね。
怒られているみんなに対して、「私も叱られたい〜!!!」って思ってしまいます。
上記推し3人とも、品行方正で不正を嫌い、自分にも他人にも厳しくてストイック。高いプライドに見合った実力を持っている一方で可愛い一面もあるなど、本当に魅力的です。
「叱られたい〜」って、思ってしまうのをもう少し掘り下げると、間違えがなく、心から尊敬する人にちょっと気に掛けられつつ筋の通った怒られ方をしたい、という欲求が根底にあることに気がつきました。
両親から日常的に理不尽かつ暴力的なまでの怒られを頂戴して、怒鳴られている間頭が真っ白になって目眩がする、って、割とあるあるだと思うし、高校までの学校のルールってめちゃくちゃ理不尽の塊だと思うんですよね。私は中高一貫の女子校かつミッション系だったので、それに輪をかけて規律が厳しかったです。
でも、私が高校生までで怒鳴ってくる人間て、押し並べて器が小さく、怒ってない時の行動も一貫性がなく、まるで手本にならなくて全く尊敬できないし、言ってることも矛盾が多くて指導を鵜呑みにするのは危険だとすら思ってました。
っていうか、親も教員なんですけど、高校までの教員って、同じ校則違反をする生徒でも(色々な意味で)権力のある子には何も言わないけど、私みたいに気が弱い生徒にはよく八つ当たりみたいな怒りをぶつけてて、やっぱハラスメントとかいじめみたいに相手を選んでるな、って感じました。
なんか多分体育とかの教師だと思いましたが、「校則違反で注意された生徒は、『他の人だってやってる』っていうけど云々」みたいなことを言ってましたが当時右から左へ受け流しておいてよかったな〜って思いました。
そういう、他人から受けた暴力的な理不尽を、今度は夢ではなくカプではまった漫画、『魔人探偵脳噛ネウロ』のおかげで耐え抜き、無事大学へ脱出できたこともまたnoteに書きたいです。
さて、ここで話が飛び、私が病気を発症したB3の夏休みの時です。当時、ちょっと発展的な内容の二つのゼミに参加しようとしていました。
最初は積極的に参加し、院生の先輩方を要領を得ない質問攻めにして困らせたりなんかしていたのですが、なんというか、この頃から自分の中にある歯車みたいなものがうまく噛み合わなくなっており、後半から欠席するようになりました。
そこで、家に引き篭もりがちになっていた私にメールをくれたのが、ペンローズの『心の影』を読む会の主催のA先生でした。その時の記憶はもう薄れているのですが、自分が統合失調症という診断を受け、留年することが決まったという旨を伝えたところ、結局、ゼミだけは出たらどうだ、と言うことを言ってくださりました。
A先生とは何度か個人的にお話をさせていただき、4年次での研究室選びも、自分のところに来てはどうか、合理的配慮(当時はそんな言葉もありませんでした)もできるから、とも言ってくださっていたのですが、私は自分の大学には、宇宙物理学研究室に入るために入学したので、と言ってお断りをしたのですが、A先生の研究室は、今で言うと量子コンピュータの研究をしていたので、もしそちら選んでいたら別の運命があったかな、と思っています。
閑話休題。A先生のゼミは、すごく厳しかったです。うろ覚えなのですが、ひまわりの花の種がフィボナッチ数になっているのを実際に数えなかった同級生の参加者が、すごい形相の先生に激詰されていたのをみた時には震えが止まりませんでした。
一方で私はというと、自分の担当のページの文章を音読するだけで精一杯だったのですが、私が病気があることは先生陣にしか共有されていないため、一緒に参加した同級生や先輩には「なんでこんなやつがいるんだよ」という空気感で扱われていたのが非常にいたたまれないと同時に、自分のままならなさに情けなさと怒りを感じていました。
この話と、推しに「怒られたい」という欲があることと、どうつながるかというと、私は尊敬する人に一人前として認めてもらいたかったんだな、って今日気がつきました。
今でこそ、私は重病を抱えてなお、自分の可能性を最後まで信じて卒業できたことを誇りに思っていますが、当時は精神病があって留年までして恥ずかしい、という思いでいっぱいで、家族も労ってくれたわけでもなく、逃げるように実家へ戻ったので、A先生とは就活が成功した年の年賀状をやりとりして以来、交流がなくなりました。
先生はもう10年くらい前に心臓病で亡くなっていて、退官記念の講義も聞けないままでした。
たぶん、この欠落感は私が今のままでいる限り解消しないんだなとも思います。
長年好きな推しの新しい一面を見たり、新しく好きになった推しに出会うたびに、こんなことを思い出すのもいい人生ですが、それこそそこそこ恢復した今となっては、『野心』、『野望』、というのも直視してみたくもなりますね。笑
ここまで読んでくださってありがとうございました!
余談ですが、上の方で二つのゼミに参加したとありますが、A先生でないほうは、後日、担当の先生のオフィスアワーに伺ったところ、「途中まで参加したから単位はあげるよ」と言ってくださっていたのですが、私は「単位が欲しいわけではないんです。。。。」と、回らない頭なりに言った覚えがあります。おそらく、この先生にも私が発病したことが伝わっていたのだと思いますが、先生は私の発言に対して、「言いたいことはわかるよ」って言ってくださったのも救いでした。
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