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拝啓、蜜の壺より

やばい。
のっけからボキャブラリーもクソもないご挨拶となってしまったが、久しぶりに胸が高鳴っている。

新たな推し作家を開拓したかもしれない

趣味・読書(ただし小説に限る)という俗物的文化的な人間には死活問題である。かつては伊坂幸太郎に始まり、シェイクスピア、本多孝好、伊与原新。筆致に惚れ込んで作家ローラー作戦を決行、著作をほとんど制覇した作家たちだ。堂場瞬一は恐ろしく筆が早いので全制覇は諦めました。叙述が気に入るとページをめくる手も進むのが読書好きの常だが、人間が書いている以上は当然、物語の数に限りがある。ハズレ覚悟でタイトル買いして積読を増やしたり、あらすじを熟読してみたりして新たな感動を与えてくれる作家を探してみたが、気に入った本はあっても作家レベルではなかなか見つからなかった。それが最近、ついに出会ってしまったのである。まだ読了したのは2冊だから本当に私に合うのかはわからないが、出会った最初の1冊は本当に好みの筆致でとても良かった。
加納朋子の『カーテンコール!』である。

正直に言うと、本屋の平積みで何度も見かけていたものの、最近までずっとスルーし続けていた。廃校となった女子大で、留年が決まった面々をどうにか卒業させるために共同生活を送らせる、というあらすじにそれほどピンと来なかったのもあるし、帯に書かれている『涙盛(ナミモリ)』というフレーズが非常に嘘臭かった。悩んだ末に購入に踏み切ったのは、タイトルの『カーテンコール』という言葉がなんとなく好みだったからである。
……読んでみて、最初の章で完全にやられた。そしてその後の腐女子の物語で共感指数がカンストして無事死んだ。最初の章題は、『砂糖壺は空っぽ』。有り体に言ってしまえば、性同一性障害のお話である。女の体に男の心を入れられて戸惑っていたが、中学の時同じ塾の義足の女の子に恋をした。男の名前を名乗り仲良くなって告白したが、振られてしまう。その後女の子は忽然と姿を消し、抜け殻のように生きていたら大学を卒業できなくなってしまって共同生活に放り込まれた。
ネタバレをしてしまうとその女の子は理事長の孫娘で、病気のため他界。告白を断ったのも病気のためで、本当は……。その事実を告げられたとき、主人公はこう思うのだ。

ようやく、決めた。一人の女の子が、そっと僕の背中を押してくれたのだ。
僕を一人の男の子として、好きになってくれた女の子がいた……その事実だけで、僕はきっとこの先、歩いて行ける。

加納朋子「カーテンコール!」新潮社

……その事実だけで、きっとこの先、歩いて行ける。この表現が好きだった。私も何年か昔、思ったことがあったからだ。
記憶の踊り場に、まだあの時の思い出はいる。大学3年、春。とある体育館でのお話である。

突然だが、影法師の苗字は「タカハシ」という。長い長い受験戦争を乗り越えて第二志望だった私立大学に合格し、スポーツ新聞部に入った。
高校の時から『御乱心ノート』というトチ狂ったネーミングセンスのコラムを書いていたのだ。それの延長戦がしたかった。スポーツの文章が書きたかった。趣味ではなく、何かしらの組織の中で。
趣味で書いていた御乱心ノートはプロのスポーツについてだったが、スポーツ新聞部というのは勿論、大学の運動部に取材して新聞をつくるものである。
その『取材』がマジで無理だった。何を聞いても気に触ることを言ってしまいそうで、まともに目を見て話せない。聞くことは考えてあるのに、頭が真っ白になる。まず口をつく言葉は『すみません』。必要以上に卑屈になって、もはや話しかけることすら苦痛だった。
それでも1人あたり4つか5つ担当していた競技はとても楽しかった。ほとんど初見のものばかりだったから、刺激的だったのだ。自分用の一眼レフも親に借金して買った。インタビューという一点を除けば、部活は楽しかった。
中でも、入部して一番最初に取材に同行したとある球技に惚れ込んだ。世間一般での扱いはマイナーだけれど、体育館のゼロ距離で見たそれは、迫力満点でとても美しかったのだ。マイナー故に担当人数も少なく、なのにほぼ毎週リーグ戦があったから、取材が『マジ無理』でもやるしかなかった。どうしようもなく中身のないインタビューでも、対応してくれる監督やスタッフ、選手はみんな優しかった。
そして3年目、大学3年で引退なので、最後の春。あるリーグ戦の後半残り10分。後輩の都合がつかず一人で取材に来ていたわたしに、それは起こった。
シュートシーンなどのインプレーの写真を一通り撮り終え、ゴール後のガッツポーズなど雑感を撮ろうとスタンドの後ろでカメラを構えていた。同期だった選手がゴールを決めた。きっとスタンドの選手にパフォーマンスをする。目線をおこぼれにあずかろうとシャッターに手をかけた。
……その選手は、ゴールを決めると一目散に私のカメラに向かってガッツポーズをしながら走ってきた。
驚いた。サービス精神が神すぎる。慌ててピントを合わせ、シャッターを切る。気づいたスタンドの面々が、鳴り物を鳴らしながらそれに続いた。
「タカハシさん、ありがとうー!!」
驚きと、恐縮と。そしてただただ嬉しかった。きっと私の3年間は、この日のためにあったのだろうと思った。もちろん感謝されたくてやってたわけではないし、競技も関係者の人柄も好きだったから、『誰か1人でも、見知らぬ読者に彼らの魅力が伝わったらいい』とだけ思っていた。記事を書くのはいつだって楽しかった。毎週やってくるブログ記事の更新を苦痛に思ったことは一度もない。
それでも、「誰かが自分の頑張りを見ていてくれた」という事実は人生という大きな局面で、時折自意識や自己否定に折れそうになる自分を救った。この先、色んなことがあるだろうけれど、この出来事さえ心にあれば、私はきっと生きていける。大袈裟ではなくそう思った。

私は私の読みたい物語を書く。私は私の物語は読みたくない。
「永遠のピエタ」という章で、とある腐女子が思う。それもまたよくわかった。顔もスタイルも壊滅的で、脳みそも誇れる程ではなく、性格も非常に難があると自認している。若者の間で自己肯定感とかいう単語が叫ばれる昨近だが、私は私が嫌いだった。文章を書くのは好きでも、自分が主人公の物語は読みたくない。
でもあの瞬間だけは、物語として残してでも忘れずにいたいと思った。最後のインカレで負けたときに学生記者に過ぎないということを弁えず思いっきり泣いていたり、引退したのに図々しく何度も試合を見に行ったり、そういう思い出すと恥ずかしくなるエピソードは都合よく消しゴムで消して、ありったけ美化した理想の自分と共に。
全然休みがない、なんなら睡眠時間もろくに取れない連勤の夜に、13年も応援してきた選手が贔屓の球団を退団することになり、夢であって欲しいと願って迎えた朝に。そしてこれから訪れるかもしれないあらゆる喜びや悲しみに。
それでもきっと、人生を歩いて行けると思うのだ。思い出と連れ添ってさえいれば。

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