【学校に行く?行かない?】”ちがい”を知ろう!ふむふむトークイベント
みなさん、こんにちは。「ふむふむ」です。
今回は2023年3月25日(土)13:00~14:30と16:00~17:30に開催された『【学校に行く?行かない?】”ちがい”を知ろう!ふむふむトークイベント 』のアーカイブ(概要)を掲載します!
インタビュアーは【げんのすけ】、ゲストはフォトグラファーの【ヨシダナギさん(以後「ナギさん」】とマネージャーの【キミノさん】です。
学校に行かなくなった理由は?
学校に行かなくなったのは中学校2年生の2学期から、というナギさん。
そもそも学校に楽しさを感じたことはないし、勉強も全くできず、集団生活が不得意だったために、「何のために学校に行くのか?」「私の居場所は学校ではないな」と思っていたそうです。
小学校4年生の2学期が始まる前に東京から千葉に引っ越したため、転校。
そして転校後、いじめに遭うことに。
上履きを捨てられる、体操服の袋にセミの死骸を入れられる、傘で殴られるといった学校でのいじめの他にも、毎日家に電話がかけてきて「○○ちゃんがナギちゃんのこと嫌いって言ってたよ」と言ってくる、など、学校から帰った後にもいじめが続く日々。
多くの方は「ここで不登校になったのでは?」と想像されるかもしれませんが、ヨシダ家は一味違いました。笑
ナギさんがいじめを受けていることを知ったお母さんは、学校や先生に抗議しつつも、ナギさんに対して「学校に行きなさい」「ナギが学校に行かなくなるということが彼らの目的だから、行き続けてやれ」と、とにかく学校に通い続けることを説いたそうです。
当時ヨシダ家は「母がトップに君臨する独裁国家だった」と語るナギさん。いじめに遭っても、母親の言うことは絶対だったため、とにかく学校に通い続けたそうです。
中学に上がり、他の小学校を卒業した生徒も通ってくることから、環境の変化によりいじめがなくなるはず、と予想していたナギさんとお母さん。しかし、中学で待ち受けていた現実は「いじめる人数が2〜3倍に増えた」ということ。いじめの内容はより陰湿になったものの、そもそも学校に対しての期待値は高くなかったので大きな挫折もなく、学校には引き続き通い続けたそうです。
しかし、中学校2年生の夏休み。ここにきてナギさんに転機が訪れます。忘れもしない8月25日、お母さんにリビングに来るよう呼び出されたナギさんが耳にしたのは「お父さんとお母さんは、離婚しました。お母さんは、出て行きます。」という衝撃の一言。しかし、ここでもナギさんは大きく動じることなく、「お母さんが決めたことなら。」と、唐突にの父子家庭生活に突入することに。
「学校に行き続けなさい」と言った母親がいなくなったとはいえ、父親からも同じく学校に通うように言われたナギさんですが、絶対的な立場の母親という存在がいなくなったことで、遂に夏休み明けから学校に行くことをやめることにしたそうです。
「ある意味母親に言われるがままに従っていることの方が楽だったし、母親が後押しをしてくれていた。」そんな状況から、初めて自分の意思を貫けることができる環境になり、「自分の人生を自由に選択していいんだ」という思いと、「学校以外で自分を試せる場を探してみよう」と思ったのが、学校に通わないという選択肢を選ぶきっかけになったそうです。
学校に行かなくなってからの過ごし方は?
では、学校に通わない日々はどう過ごしていたのでしょうか?
とはいえナギさんも、「学校に行きなさい」というお父さんの言葉もあり、最初は学校に行ったふりをしていたそうです。
しかし、そんなカムフラージュも長くは続かず、学校から家にかかってきた電話によって、不登校の実態がバレてしまいます。
父親からは学校に行くよう怒られたり、懇願されたりしましたが、「行けるなら行ってるよと言い、行かなかった。」というナギさん。
「いつ学校に行くの?」と聞かれたときも、「行ける日が来たら行く」と言ったまま結局最後まで行くことはなかったそうです。
「学校に行かなくていいんだ!」という喜びで不登校になった日々を過ごしていたか…というとそうではなく、「学校に行かないといけない」という苦痛から解放されたというだけで、特別な感情はなかったとのこと。
家にいる間、火曜サスペンスとアンパンマンの録画をずっと観ていたそうです。(今でいうYoutubeやNetflixを観ている感じ)
そして、ここでまたナギさんに転機が訪れます。
父親がパソコンを購入し、インターネットを使える環境が舞い込んできたヨシダ家。ネットの掲示板を通じていろんな人とコミュニケーションをとる時間を持てるようになったそうですが、そのなかで出版社に勤める30代男性と知り合いになり、HPを作ってもらったそうです。「今ではだいぶ怪しいなと思う話なんですけど。笑」と話すナギさん。
そのまま、その方に勧められるままHPで創作日記を顔写真とともにアップしたところ、当時は10代で顔写真を出している女の子がいること自体が珍しいためにアクセスが集中し、知らぬ間に芸能事務所から声がかかってグラビアアイドルとしてデビューすることに。
父親からは反対されることもなく、「あなた(ナギさん)は人とちがうから、人とちがうことをしないといけない」と後押ししてくれたそうです。
母親は保守的な人だったので、もし母親とずっと過ごしていたら今の自分はいなかったと思うとナギさんは振り返っています。
グラビアアイドルの傍ら、アルバイトを3つ経験したとか。
ところが、みんなにできることがナギさんにはできず、空気も読めなかった…という苦い経験もあったと教えてくれました。
グラビアアイドルをやめた後は、イラストレーターの勉強を独学で行い、イラストレーターとして活動されていたそうです。
ナギさんいわく、インターネットを通じての出逢いに救われたとのこと。「インターネットがなかったら今の自分はいないと思う」とも。リアルで人と付き合うのが苦手なため、文字を介しての付き合いがナギさんにとっては「心地よい距離」だったみたいです。
学校に行く意味、学校に行かないとしたらどうればよいか(ナギさんの見解)
ここで、ナギさんに【学校に行く意味とは何か?】【もし学校に行かないという選択肢をとるなら、どうすればよいか?】についてお伺いしました。
げんのすけ
「学校には行くべきだと思いますか?」
ナギさん
「学校に行くべきだとは思わないけれど、行けるのであれば行った方がよいと思う。
特に義務教育はある年齢層の人しか行けないし、貴重な時間を過ごすことができるかなと思います。
集団生活をして空気を読むことや、意思や考え方が自分と他人とどう違うのか、そのちがいを知ることで、自分を客観的に見る機会になりますし。
自分の世界に閉じこもったり、SNSでも似通った考え方の人が集まってしまう傾向にあったりするので、学校でいろんな人と出会い一定の時間を共有することもだいじかなと思いますね。
人と一緒に過ごすことで、自分と他人の何がちがうのか、自分とはどういうものかを理解する機会にもなると思います。」
ただし、その場は必ずしも学校でなくても良いとナギさんは言います。
ナギさん
「いろんな意味で、人と接する機会をもつことはだいじだと思います。ただし、命をかけてまで学校に行く必要はないと思うし、学校が全てではないので、苦痛を感じながら行くようなものでもないと思います。」
「たとえば、会いたい友だちがいる、勉強するのが楽しい、というような目的を持っている人であれば学校に行った方がよいと思うし、学校に行く意味はあると思いますけど。私の場合はどちらもなかったので学校には行く意味がないと思っていました。」
キミノさん
「自分の個性を知るために社会に埋没してみるというのもよいかもしれないですね。いずれにしろ、社会と自分の間にあるズレは知っておいた方がよいと思います。」
紆余曲折の人生の中で、周囲の大人に支えられた経験は?
ナギさんはご自身のことを「感情が顔に出ないし、言葉で表現することが苦手」だと言います。
母親からは「あなたは喜んでいるのか悲しんでいるのかわからない。物をもらって嬉しかったら嬉しそうな顔をして、感情をもっと出しなさい」と言われていたようです。
そんな折、学童保育にいたおばあちゃん先生との素晴らしい出会いがナギさんの救いになります。
ナギさん
「あるとき、おばあちゃん先生が私に紙とペンを渡して、『今思っていることを書いてみなさい』と言ってくれたんです。私は紙に自分の気持ちや絵を描くでもなく、架空の物語を書きました。それを見ておばあちゃん先生が母親に『ナギちゃんは言葉と表情で伝えられないだけです。この子は他の子と同じように感情の動きがあるんです。ペンと紙さえあれば思いが伝えられます。お母さんもペンと紙を使ってナギちゃんとコミュニケーションをとってみてください。』と。」
ナギさんは、「自分をわかってくれる人がいた」「ひとつの選択肢を見つけた」「私は文字であれば思いを伝えられる」と感じられたそうで、このことがきっかけで父親とも文字を介して会話をするようになります。
面と向かってコミュニケーションをとるのが苦手で、人とは一定の距離を保った付き合いをしたというナギさん。
そんな自分に気づいてくれた先生がいた、ということが嬉しかったと言います。
さらにおばあちゃん先生はナギさんにこんな声をかけてくれます。
ナギさん
「先生が、『ナギちゃんはひまわりのように輝く人ではないけれど、道端できれいに咲いている花のような人なんだよ。きれいに咲いていれば、誰かが必ず見つけてくれるよ』と言ってくれたんです。その人自身が輝ける場所や方法で輝くことがだいじだなと思います。」
キミノさん
「人にはそれぞれの自己表現方法がありますよね。ヨシダにとってはそれが写真だったということ。アフリカには情熱とお金をかけている。自分が思いを伝えられる表現方法が何かということに自分で気づける、または大人が気づいてあげられる環境を作ることがだいじじゃないかなと思いますね。」
「いろんなことに興味を持つきっかけを手助けすることが周りの大人にできることかなと思います。一緒に考えてあげて、押しつけがましくならないようにアドバイスをするとか。例えば買い物に行ったときに『一番好きなものを1つだけ買おう』と言って一緒に真剣に考えてみるとか。ゲームが好きな子に『ゲームばかりして』というのではなく、ゲームに関わる時間をどう活かすか考えてみたり、サポートの仕方はいろいろあると思いますね。」
げんのすけ
「何かを考える時間もとても貴重な時間ですよね。不登校になっている本人も、ご家族の方も、今日も学校に行っていない、今日も何もしていないと自分を責める必要はないと思います。学校に行けていないという、その一点にフォーカスせず、お子さんとコミュニケーションをとりながら、じっくり考えてみるのもだいじですよね。」
ナギさんにとっての”ちがい”をたのしむコツとは?
トークイベントの最後の締めくくりとして、ふむふむ恒例の「”ちがい”をたのしむコツ」についてお伺いしました。
ナギさん
「私の中では、人は自分とちがえばちがうほど面白いと感じています。
「みんなちがって、みんなどうでもいい」
人と比べることが不幸のはじまりだなって。
個性はだいじだし、遅咲きの人もいる。
平均を求められることが苦痛な人も一定数必ずいる。
だから、ある程度人に無関心になることもだいじだと思うんですよね。
干渉しすぎると人を見下したり、自分を卑下したりする人も出てくる。
いい意味で人に無関心でいることがハッピーだと思うこともあります。
自分の人生の主人公は自分自身。
人をうらやむことなく、自分をしっかり見て人生を歩んでいくことがだいじだと思います。」
当日いただいたご質問への回答(一部)
当日はたくさんの御質問をいただき、ありがとうございました。
イベント中にお答えできなかったもののうち、一部ではありますが、追加でナギさんにお答えいただけたものをご紹介します。
Q1.
小学校で働く者です。日本では学校に行かない選択肢もありだと思います。しかし、途上国は学校に行ける行かないで人生が大きく変わってしまうと思います。ナギさんはどう思いますか?(この夏にアフリカの教育委員会で働く予定です。)
A1.
教育の選択肢があるということは豊かなことだと思います。
途上国では学校に行っていない子もたくさんいますし、ただ学校を作ればいいということではないということもすごく難しい問題だと現地では思いました。まずは食糧と安全の確保、それを維持する環境作り。
すべてが揃って初めて教育が成り立つのだなぁと。
教育を受けられる環境というのはとても大事なことだと、とても思います。
アフリカでの教育のお仕事、気をつけてアフリカに行ってらしてください。
そして素敵な時間を過ごしてきてくださいませ!
Q2.
楽しくない学校に行き続けていた自分に、今声をかけるとしたらどんな言葉をかけたいですか?
A2.
無理していかなくてもいいんだよ。
いろいろな道があるんだから。
さて!ヨシダナギさんをお迎えしたトークイベントの概要はいかがでしたでしょうか?
ヨシダナギさん、そしてマネージャーのキミノさん、改めて本当にありがとうございました。
ヨシダナギさんのオフィシャルサイトはこちら
https://nagi-yoshida.com/
また、ご参加いただいたみなさま、そしてこの記事をお読みくださったみなさまもありがとうございました。
また次回のウェビナーでお会いしましょう^^♪
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