2度目の人生

休学期間

休学が決まり、通院の日々が始まった。
ただ、生きたくもないのに生きるために通院をする意味がわからなかった。
主治医と情報共有をすることも無く、答えることのない無言の診察だった。

そんな生活の中、ずっと気にかけてくれる先生がいた。

「生きているかだけ教えてください」と連絡のあった先生だ。
その先生は、授業で知り合った。短期のアルバイトの紹介をされ、その時に連絡先を聞かれたためお互いに知っていた。

私が自殺未遂をしたと知った途端、「話を聞きたい」「会いたい」と言い始めた。
連絡も頻回にするようになった。

自殺未遂後、日常に“先生”が加わった

やさしい先生(?)

退院から約2週間後にプライベートで会うことになった。

ただ、話をするだけではなく“セックス”も兼ねて。「ホントにどうせ死ぬなら、aNzUとセックスしたいわ。」
という先生の発言に対し、自暴自棄だったこともありokしたのだ。

クズ男に利用される生活の
はじまりはじまり

先生とホテル

当日。
近くまで先生が迎えにきて、ホテルへ直行した。

裸のお付き合いかのように、今までの生活や現状を話した。
そして、先生のリードの元、セックスもした。
先生いわく、セックスで気持ちよくなれば、生に執着してくれるのでは無いかと思ったよう。
ただ、実際はしたかっただけだと容易に察することはできる。
先生のように、セックスに対して楽しいという感情や気持ちいい、またしたいという思いも強くは生まれなかった。
ただ、「5回はしたい」と先生が言っていたため、願いを叶えたあと、5回会った後に死ぬことを心に決めた。

カウントダウンスタート

カウントダウン×先生

特に先生に5回会ったら死ぬということは伝えぬまま、先生からの連絡の度に都合のいい女になった。
5回というのは、ちょうど飽きて興奮しなくなる回数だということがやり取りの中でわかった。

休学期間も終わり、先生の授業も出席。
唯一休学前と変わったのは、カラダ関係にあるということ。
そこに対しては、無感情であった。

しかし、生活の一部になりつつあり、心の奥底にある生きなきゃいけないという本能が作動したのだろう。先生とセックスをすることに執着し始めたのだ。
5回カウントダウンが終わったあとも、その生活は続いた。

人間の本能は本人を傷つける

本能の行方

この生活を続けても、幸せへの道には繋がっていない。
いずれ、今度は先生に傷つけられるだろう。

心の底で感じていた。

先生のことを恋愛対象として見ている訳ではない。
少なからず、セックス依存性で荒れた生活をしていること、空気が読めなく外出をすると周りのお客さんなどに迷惑を(無意識に)かけていること、声のボリュームをTPOにあわせられないこと、外見が私の好みとはかけ離れていること、など
言い出したらキリがないほど、私にとって友達だとしても関わりたいとすら思えないタイプの人間であった。

それでも、頭のネジを全て失くした自殺未遂人間は、なぜか関わり続けていた。

そして、関わることでクズさが見えてくる度に密かに傷ついていった。
毎日、別のつらさがあった。
きっと、純粋すぎる道を歩んでいたが故。


つづく

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?