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あるがまま

また少し身軽になった。遠距離になってから、毎晩寝る前に電話をかけ、朝まで繋いでおくのがいつの間にか習慣になっていたけど、互いにむりのないタイミングで話すように変えてから、明らかに睡眠の質が改善され、ひとりに戻れる時間も増えた。お守りがわりの指輪は、毎朝会社に着く直前に外してキーケースへしまい、退勤後の電車でまた取り出してはめ、仕事中以外はいつでも身につけていたのだけど、もっと柔軟にやることにした。「できるだけ身につけていなくちゃ」とどこかで思っていたのかもしれない。義務感や、"そうと決まっているから"身につけるよりも、あ、と思った時、心向きに従ってはめてあげる方が、身に沿っている気がする。休日外出する時は、手持ちの指輪と併せてスタイリングに組み込んでいる。生活も指輪も、また少し、肌に馴染んだ。

みんな、本来の自分が消えてなくなるような、自分の世界が薄らぐような感覚にビビりながらも人を愛し、一緒にいるのですか。好きな人がいると、その人のこと、二人のこと、生活のことだけで毎日が埋もれていって、知らないうちに、自分だと思っていた存在が消えてなくなってしまいそう。「自分の世界に潜る頻度が減って、深度も浅くなっていって、不安になるよね。潜ろうとしても潜れないし、一人になりきれない。つまらない人間になってるなあって思うよね」。一人で生きられなくなるのが怖いから、人と生きるの怖いよ。だけど、一人で生きられなくたっていいよね、それも本当じゃん。どうしたって名もなき詩が真理だよ。25でこの曲を作れてしまうのがどういうことか、想像して勝手に苦しくなる。

私は焦っているんだろうか。年度末に賃貸の契約更新と知って、そこに向けて物事を進めようとしている。四年前あれほど人生を進展させることにこだわり、革命を望んでいたのに、今のままの自分をどんと認められるようになったら、変化に対して臆病になった。初めて作った短歌は、許されたい、変わらずにいたい、変わりたい、弱くてめんどくさくてごめんね。きっと一生繰り返すんだろう。一向に上手にならないもの。
どんな自分だって愛せるのなら、今のまんまでいいって認められるのと同じように、変わった後の自分も受け入れられるはずで、どんな自分だってオールオーケーバッチ来い、なにも恐れることないはずでしょうに。私にはまだない。「どんな自分だって大丈夫」と言い切る勇気が。「変わらなくても大丈夫」は、行動を制し受容する言葉だ。「そんなに急がなくても、おまえはおまえのままでいいよ」ってこと。私が覚えたのは走り疲れている自分を労わる方法だけ。そう言ってあげたくなる時って、きっと、どこかへ行き着こうと必死になっている。どこにも行かなくていいのに。
自分がつまらない人間に思えてならない時は、行動量が足りていない。ただ胸に突き動かされるまま駆け出す感じ、あの全能感が恋しい。私は深い深い海に潜らないと飛躍できない。自分のためだけに思考しないと何も見えなくなる。けれどそこに没頭しすぎると、今度は人のこと忘れちゃう。それでもたまには暴れさせないと腐る。どうどう宥めたり解放したり、ちょうどいいところでバランスとるのって難しいなあ。

だけど本当のところは、飯を食い、よく眠り、時々会いたい人に会って、腹を抱えて笑える瞬間があれば、なんだっていい。それだけでいい。私は最高に人間らしいから、どうせまた忘れるし、何度も同じことで悩むけど、その度に思い出せばいい。愛と生活、一番大事なことでしょ。何にもなくないよ、おまえには生活があるでしょう。それを愛してゆけるでしょう。ひとりがふたりになったって同じことだよ。ともに飯を食い、よく眠り、時々腹抱えて笑っていられれば、それでいい。私の行動は私の思考に基づいている(そうでなければおかしい)のだから、人を理由にしてはいけない。私は誰かのために勉強してるわけじゃない。ちゃんと自分のためだよ。自分で自分のこと信じられない時、自分のために頑張れない時、抱きしめてあげられない時は、抱きしめてって素直に言えばいいじゃない。聞いてくれる人がそばにいるじゃんか。

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