誰か私をくいとめてよ


【私をくいとめて】
アマゾンプライムに来てたので視聴。大好きな『勝手にふるえてろ』と同じく綿矢りささん×大九明子監督の作品。


正直な話、のんちゃんを主演にしたのはちょっとだけミスだったと思う。
お芝居は本当にすごいから、温泉旅行のシーンとか、ホテルでの一部始終とか、のんちゃんの表情ですごく苦しくなったり痛くなったりした。
だけどやっぱり、30代には見えん。
どうやっても林遣都くんより年上には見えん。
プラス、喋り方に特徴があるから、早口で自分の気持ちと戦う部分とかはちょっと気になってしまった。
何ならあと5年くらい待って、のんちゃんがみつ子の年齢に追いついてからでもよかった気がする。

あと、これは『勝手にふるえてろ』の時もそうだったんだけど、またまた予告に裏切られた。ひどい、逆予告詐欺。

予告では、「多田くんとの恋愛」によってみつ子が変わっていく様を描くような雰囲気になってるんだけど、実際は多田くんとの関わりで生まれる変化じゃなくて、Aとの関わり方についての変化を描いたもので。

Aという脳内相談役を自分の中に作り出して、まるで他人と会話しているかのように振る舞っているけど、
結局それって、自分自身だから、要するに自分の中にいる“自分じゃない自分”との対峙な訳で。

だからつまり、多田くんと出会ったから変わった訳じゃなく、多田くんへの接し方、感じ方について、自分の中での相反する意見を、Aを使って納得させていくような物語。



うん、極端に言うと究極の自分語りストーリー。でも全く嫌じゃない。
みつ子ちゃんは、皐月とかノゾミさんみたいな身近な人には本当に心を許してて、だからそこの関係性にAは必要ないんだけど、
多田くんはまだちょっぴり怖くてAを召喚してる。Aは唯一、自分を守ってくれる存在だから。

Aがアピールしたっていう程の歯医者の先生とか、嫌な思いをしたクソ上司とか、そういう奴らへのトラウマがどうしても邪魔してくる。
そのトラウマの正体は、恐らく、
“嫌なことを嫌だと言えなかった”
もっと言ってしまえば、
“自分が自分として生きれなかった”
っていう後悔から来るものなんだけど、それを何とかAに擦りつけて笑い話にして過ごしてきた。Aは自分でありながら、自分じゃないと信じているから。

“多田くんはそんなクソ野郎とは違う”
それは頭では理解しているけど、どうしても信じきれない。だから自分の中に一つ、いつでも逃げ込める部屋を作って、そこにAを配置している。
さっきAに“守られている”と表現したけど、この“逃げ込んでいる”の方が正しいかも。

でもAの感情に変化が表れてくる。
“このままじゃダメだ”
“多田くんには真正面から向き合わなきゃ”
そんな思いによって、Aとみつ子を結びつけ、お互いの奥底に隠して、それぞれを“くいとめて”いた感情が溢れて止まらなくなる。

「誰か私をくいとめてよ!!!!!」

みつ子の叫びでありながら、Aの叫びでもあると思った。
なんてことない、Aは真に自分自身であった。


こういう描き方が本当に上手い、綿矢さんも大九監督も。
のんちゃんのお芝居はものすごくまっすぐで、先述の温泉旅行のシーンとかは本当に心臓ギューッて掴まれた気分になった。
どれだけ我慢したか分かる?
どれだけ、どれだけ、、、
Aに話してはいるけれど、実際は誰に語りかけている訳でもない。
そうやって思い出すたびに、みつ子は自分でその痛みに我慢を注射しているのだ。



周りで言うと皐月役の橋本愛ちゃん、いかにも幸せそうな雰囲気を漂わせて生活していたけど、実際は自分自身に起こった変化についていけていない。その気持ちを話してる時の瞳に泣きそうになった。
あと、皐月は本当にみつ子のことよく分かってるんだろうなって思う場面があって、
みつ子がちょっとやさぐれ(?)て嫌味みたいなこと言うシーン、普通だったら若干喧嘩っぽくなったりしそうな空気だったけど、皐月はみつ子の気持ちを汲み取りながら、だけど自分の気持ちを伝えるために、ゆっくり言葉を選びながら喋っていた。ああ、ほんとにみつ子のことが大切なんだな、仲良くしていたいんだなと感じた。


個人的に【勝手にふるえてろ】が本当に本当に本当に大好きなのでものすごく期待していた作品でした。感想としては大満足!のんちゃんやっぱり凄い女優さんだなぁと思います。これからももっと、映像で彼女を観たい。


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