VSますめでぃあ。

わたしの両親はプロ野球がとても好きだ。(母は高校野球も大好きだ。毎年甲子園も大盛り上がりだから、今年の夏はさぞ寒しい思いをしていることであろう...)
中でも応援しているのが読売ジャイアンツだ。
どちらも東北生まれ東北育ちなのに、なぜ?そこは楽天じゃないの?
そんな疑問を数年前に思い切って両親にぶつけてみた。
すると、面白いことに両者とも同じ返答をした。
「小さい頃から父親がテレビ越しに観ていた野球は、大抵いつも巨人戦だった。田舎じゃ観られるチャンネル数も少なかったし、他の球団の試合が観たいと思っても観られなかった。巨人の試合を当たり前に観ていたから、気付いたら巨人ファンになっていた」

ふむ。。。なにこれ、面白い!
特にわたしの父はテレビのバラエティ番組や情報番組が好きではなく、観ていると明らかに不機嫌になり、最終的には「こんなものつまらん」と一言放ち、チャンネルを替える、もしくはテレビの電源を消していた。
それなのに、そんな父が、まさか、無意識のうちにテレビに影響されていただなんて...!!
わたしは父の知識が豊かで確固とした意志を日々持っていて、でもそれらをおおっ広げにせず粛々としているところがとても好きで、尊敬している。
だからこそ、そんな父がマスメディアに左右されていたことに驚愕し、同時に微笑ましかった。

【マスメディア=新聞、出版、放送、映画等のマスコミュニケーションを行う媒体】

今の時代は、マスメディアの大渋滞。
大抵の人が物心付く前からマスメディアと触れ合い、そして成長、はたまた毒されていく...とにかくマスメディア無しに生きていくことの方が逆に難しい世の中だ。

わたしはマスメディア自体に問題があるとは思ってはいない。だってマスメディアは技術の発達によってこれからもより発展していくものであろうし、第一マスメディアがなければわたしたちには「情報」を得る術がない。
問題なのは、受け取る側の受け取り方だ。
情報を鵜呑みにするな、とはよく言ったものだけど、鵜呑みって本当に簡単だ。
見たもの、聞いたもの、全て受け止めて飲み込むだけだから。
そこで新たに「考える」という工程が加われば良いのだけれど、それが結構難しい。
でも、ここまでマスメディアが蔓延る世の中では、困難なことから逃げてはいけないと思う。
全てをいちいち疑ってかかるのは正直面倒臭いしやってられないけど、「懐疑的」になることはとても必要だ。
今年に入って何より一番マスメディアを騒がせているのが「新型コロナ」だけれど、これこそまさに「懐疑的になった上で思考する」という面倒臭い段階をしっかり踏まなければならない問題だ。
わたしはどちらかというと、未だに新型コロナが怖くて、少しずつ世間や周りの人たちが前までの当たり前の生活を少しずつ営み始めてる中、半年以上も続く自粛生活を続けている身だ。
それはもちろんわたしが必要以上に心配性でネガティブ思考だからというのも大きい。しかし、わたしが何より怖いのは「新」という点で、専門家です、医者です、と名乗る人たちもみんな様々な意見を述べていて、誰のどの情報が正しいのか、何を信じればいいのか分からない段階だからだ。
何かあってからでは遅い。
今の段階では、わたしはまだ何にも安心できないし、どちらかというとポジティブな情報よりネガティブな情報の方を仕入れ、自分にできる最大限の対策をして、家族、そして何より自分がこれからも変わらず元気で、寿命を全うできるようにしたいと思っている。

話は少し逸れるけど、わたしは元々あまり「自分の意見」というものを持っていながらも表に出さない人間だった。それは、周りの目を気にするが故だ。
わたしが今何か発言して、相手はどう捉える?どんなことを考える?もしかして嫌われちゃう...?
分からない人には分かってもらえない感情かもしれないけれど、わたしは本当に人の目をずっと気にして生きてきた。
そんなわたしが少しだけ自分の意見を言えるようになったのは、大学生の時に出会った教授のおかげだ。
はじめて出会ったのは大学1年生の時。彼は、当時わたしが専攻していた課程の必修科目に必要だったコミュニケーション研究というクラスの先生だった。噂はちらほら聞いていたけど、先生はすごく明るくて、優しくて、ロックが好きで、何より学生一人ひとりに心から寄り添ってくれる人だった。たくさんの学生を抱えて大変なはずなのに、課題の添削もいつも丁寧で、的確で...そして、わたし自身ロックが大好きだから、先生が時々嬉しそうにロックを語るのがとても好きだった。学園祭ではバンドを組んで、ボーカル&ギターをしていて、それはもうすんごーく輝いてて、すぐ好きになった。それと、ゼミの飲み会で先生とお酒を飲むのも楽しかった。
だから3年生になるにあたって、ゼミに入りたい人は入りなさい〜ってなった時(わたしの母校、なぜか卒論は必修じゃなかったからゼミに入る入らないも自由だった。ちなみにわたしは単位も余裕で足りてたし、3年から専攻課程を変えて新たに受講せねばならない必修科目が増えたから卒論は書かずゼミ論のみ書いて卒業させていただいた。笑)迷わず大好きな先生のゼミを選んだ。今だから言えるぶっちゃけ話だけど、正直どんなゼミなのかはほとんど知らないまま入った。
蓋を開けてみたら、そのゼミは、様々な文献等をレトリカルな視点の元読みながら、意見交換をする、というようなゼミだった。
元々日本語力がないわたしにとって、正直興味のないテーマの文献を読むのは結構苦痛で、時々寝落ちしていた。(というかわたし大学の授業で寝ないことがなかったのではないかってレベルで毎度寝落ちしてたわ...酷い学生だ)
それでも、このゼミのおかげでわたしは、「批判的な視点を持つこと」「自分の意見を持ち、それを発言すること」「人それぞれ違う様々な意見を聞くことの楽しさ」を身を持って学んだ。

今考えてみても、わたしにとっては背伸びしすぎたゼミだった。それでも、そんな難しい世界に飛び込むきっかけをくれたのは、紛れもなく出来損ないのわたしを優しく受け止めてくれた先生のおかげだ。
その先生は、いまもういない。
大学の卒業式の日に会ったのが最後で、その後わたしが社会人1年目の時に訃報が届いた。
在学中からいまの旦那との仲を応援(?)してくれていたし、結婚して娘も産まれたよって直接会って報告したかったな...。
お別れは本当に突然すぎて、未だに信じたくない現実だけれど、先生のおかげで今のわたしがあると声を大にして言える。本当に感謝の気持ちでいっぱい。


やっぱりわたしは話が一度逸れると長いわけだけど...
わたしが思うマスメディアとは、ずばり、
「永遠のライバル」
です。
時には落ち込んでる自分を励まし元気付けてくれる良き友人。
時には理不尽な攻撃を仕掛けてきて、「ほれほれ、お前次はどんな一手を出すんだい?」と意地悪してくる鬼畜野郎。
ライバルの存在は生きていく上で自分を上へ上へと高めてくれるものだと思うので、わたしはこれからもマスメディアと闘って、勝ったり負けたりしながら自分を一歩一歩良い方向に進めていきたい。

Ready fight!!!!

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