堂々巡り
はい。今日もお疲れさまでした。今日は、次女の保育園がお休みということで、私もお休みをいただきました。4月1日、新学期の始まりからいきなり有給ってどうなん?と思わなかった訳じゃないけど(会議もあったし、新しい先生も着任したしで)、仕方ないよね。他の子に子守させても大丈夫なんだけど(中学生から保育園への送り迎えOKなので)、うん、有給の使い方としては間違ってないと思う。
ただ、こんな時期に休みを取ったのは(取ってもいいと思えたのは)他にも理由があって、一つは病気の経過観察のための検査がこれ以上先延ばしできなかったこと。命に係わる病気の検査なんだから休んでもいいんだ、ということね(もっと早くにいっとくべきだったけど)。
もう脳梗塞やって2年にもなるんだな。遠い昔の事だわって安心しきってたけど、今日の検査で新しく詰まってた個所があったみたい。症状が出る場所じゃないんだよね、とか先生は言ってたが。まったく影響がないってことはないんじゃない?専門の先生が分からないことをあれこれ考えても仕方ないので、具体的な影響を考えるのはよした。ただ、確実に言えることは、脳に限らず、全身が確実に死に向かってるってことですね。それが、目に見える形ではっきりと示されることは却ってありがたいのかもしれない。だからといって急に何かができるようになったり、やる気が出たりする訳でもないので明日からもやるべきことをやるだけなんだけど。なんかさ、終わりが見えてきたというか、実際に終わりがあるんだなってことが実感できたかな。
だから、どうするってことがいつも問題なんだけど。今は、だからやりたいこと、やるべきことをやらなければって焦る気持ちはない。そこそこ頑張ってるからだろうけど、ああ、いつかこの努力も、手にしたものも手放せるときが確実に、しかもそんなに遠くない未来に来るんだ、解放されるんだって感じね。もうちょい耐えれば、頑張ってる自分のまま、かっこうがついたまま終われるんだって感じ。まあ、そんなにギリギリで耐えてる訳じゃないけどね。
昔から死に対してはそんな感じだったけど、でも、やっぱりまだそこまで切実に感じてないのかも知れませんね。今日明日に迫ってるわけじゃないしね。そうだね。ただ、やっぱりカウントダウンは始まってる訳で。で、やっぱり、だからどうする?ってことに戻ってくるのよね。だから、悔いのないように!って言いたいところだけど、だから、一時も無駄にせず!って邁進したいところなんだけど、これまでも無駄だと思えたものが何かに繋がったり、回り道だと思えたものが実は正しい道だったりしたので、真っすぐに目的に向かって走っていく姿勢になれない。落とし穴があるような気がして。その落とし穴を回避しようとしてることが無駄を恐れてるんじゃないかとかね。もう結局同じなんだよね。だから、「だからどうする」はあんまりもういいかな。だから、「どう生きるか」とか聞かれても、しらけるのよね。いや、それはもうどっちでもいいんだって。「どう感じられるか」「どうありたいか」ってことが大切かな。どこまでも受け身だけども。
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