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お節介センセイ

心にあるわだかまりを言葉にして相手に丁寧に伝えられる人は本当にすごいと思う。
相手に何か自分の意思を伝えることは少なからず衝突を生む可能性があるし、やっぱり怖い。

よくパートナー同士、言いたいことが言えずお別れしてしまうこともあるという。
私自身もその壁には何度かぶち当たってきた。
そしていまだにその壁を打ち抜くことはできていない。(できていないんかい)

パートナーほど心が近い存在なのに、言えないなら、同僚や知り合ってからまもない友人なんて尚更だろう。

女子の出す「察して」という雰囲気がどうも気に入らない、何か考えていることがあるなら言葉にしてほしいという男子陣の声を幾度となく耳にしてきた。
男子陣としては、大体違う人間なんだから同じこと考えているとも限らない。察して行動しても違うと言われたりするし、なんとも女子というのは自由気ままな人間である。とそんな意見を頂いている。

でも女子陣としては、まぁ、察して欲しいもんっちゅうのは察して欲しいわけで、それを言葉にするとこちらのプライドというか小っ恥ずかしさがあるから、察してくれるとありがてぇんだわ。
だって、お花が欲しい、と言うから買ってきたんじゃロマンがないじゃない。
というような調子だろうか。


だいぶ話が逸れてしまった。

今回伝えたかったのは、相手にどうしても察して欲しいけど、察してもらうことができなさそうで、言葉にするべきかどうかというところで悩んでいる私の状態である。
まぁいいっか、他人のことだし。と諦めてしまってもいい。
自分で気づけるでしょう、もういい大人なんだから。と終わらせてもいい。

でもなぜか、なぜだろうか。
諦めきれないのはなぜ?

伝えることを諦めたら楽だろうに
もっと自分自身の悩み事や楽しいことに時間を割けるだろうに
なのにやっぱり自分の世話好きな性分なのだろうか、もやもやして伝えることを諦めきれなくなってしまう

深い関係の友人であっても何かを指摘することはとても勇気がいる
けどやっぱり伝えることで自分の思っていることが相手に伝わるとスッキリするし、何より相手から感謝されることが案外多い。
気づいていなかった!とかそう感じる人がいるって知れた。とか。(無理に言わせてしまっているとしたら大変申し訳ない)

歳を重ねていくごとに指摘される機会は減っていくことが多い
それは仕事においても、誰かとの関係性とかであってもだ
言いにくいというか、この年でなんでわからないんだろう、とどこか呆れられ、諦められてしまうような、そんな気がしている


だから自分の「諦めきれない」という気持ちは大事にしたいと思う。
お節介をどんどんしていきたいと思う
先生とは「最強のお節介」をする人だと何かの本にも書いてあったし、何かの漫画にも書いてあった。何に書いてあったかは忘れた。
でもそうだと思う。

なので、私は今日もお節介をしていこうと思う。
なんちゅう意気込みの仕方なんだろう、我ながらウケる笑


ちなみに、「諦めきれないのはなぜ」というフレーズは
自分が中学生の頃に、とあるカップルがお別れするとなった時に、ある子からある子へ送られたメールの中に書かれていたフレーズである。
衝撃的でメモラブルな一文だった。
なんと高尚な言葉選びだろう。
絶対に忘れないだろうなぁ笑

そんな青春の1ページを思い出しながら、今日もお節介をするワタシ。

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