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幼児教育義務化の流れ 厚労省が頑張らないととんでもないことに!?

幼児教育の義務化が計画されています。


子ども家庭庁の設立とも関係があるみたいです。


文科省のお考えを動画の番組でみたのですが、


ちょっと怖いなと感じました。


まず、


保育所と幼稚園の違いがあることに問題があるとおっしゃっていました。


どっちが?!苦笑


幼稚園は教育をしていて、保育所はしていない!それを統一しないといけないみたいな。


うん?! 


そこで幼稚園は幼稚園教育要領が小学校学習指導要領と同じようにあるんです!


と得意げにおっしゃっていましたが、


幼稚園教育要領よりも保育所保育指針の方がより具体的で詳細な内容になっています。


保育所には保育所の指針があって別にやってて、、と名称を濁していましたが、


保育所保育指針という正式名称を知らないようでした。


その時点で下にみていますよね!


これで幼稚園はいいけど保育所は問題だ!と言いたいのがわかりました。


文科省主導で保育所保育指針をつぶして、幼稚園教育要領に寄せようとしていると考えられます。


保育所保育指針も研究者の根拠に基づいて作られた、専門性の高いものです。


それを大人から見た教育の視点のみにしようとしていると思われます。


そこには子どもの成長発達にとってどうなのかという視点はないようでした。


外国では2歳から義務教育になっているとかおっしゃっていましたが、


その成果は大人にならないとわからないので、有効かのエビデンスはありませんとも共演された方が話していました。


義務化は別にいいのですが、内容が大事だと思います。


私は今回の幼児教育義務化の話は現場の先生の苦情にあるのではないかと思っています。


小学校一年生の先生が、きちんと椅子に45分間持続して座ってくれないと困る!とか、読み書き計算を教えるのが大変すぎる!とかね。


それは先生のスキルの問題なのか、先生の人手の問題なのか、子どもの発達水準の問題なのかまずはその分析をしてほしいと思います。


昔は体罰が家でも学校でも当たり前でした。


子どもはそれが怖くて、大人に従わざるを得ない状態でした。それが、体罰という武器を失ったため、学校の先生は子どもの指導が難しくなっていると思われます。


昔は保護者も世の中も、学校の先生のいうことは絶対!と思っていました。その空気も先生はやりやすかったでしょうね。


個人的には体罰という武器を失ったままで、それから体制も変わらず、昔から特別先生のスキルも上がっていないため、子どもを指導することが難しくなっていると思われます。


体罰がなくなったことは子どもにとってとても有益だったと思っています。子どもに対して高圧的な大人が減ったおかげもあって、のびのびと自分の力を発揮し、この国でも10代で大人に負けなかったり、世界で活躍するような子どもが現れたと思っています。


私は年長の子どもも小学校1年生も多くの子ども達を見てきましたが、


私の経験からの印象ですが、


小学校1年生でみんながきちんと席に座って静かに先生の話を45分間聞き続けるというのは、ちょっと難しいと思っています。


でも、一年かけて徐々に習慣化することは可能ではないかなと思います。


それに私の個人的な経験ですが、


小1の時点で大人に従順でも、小3になると問題行動が出始めるという、逆転現象がありました。不平不満が溜まっていたと考えられます。


それとは反対に、小1の時点で園が自由な方針であったりして、のびのび育っていた子どもは大人に従順ではなくても、小3になるとこれまでの成長過程に満足しているのか、自然に落ち着いていったということもありました。


そう考えると、子どもには発達の順序というものがあり、その時に必要な支援があるという原則が大事だと思います。それを短期間で無理に詰め込んだり、急いだりすることで後々になって必ず歪みが出てくると思います。


あと、


読み書き計算ですが、


もし年長である程度それらのお勉強をするということになりますと、


これまでしていた支援が相対的に減るということになります。


そうなることで必要な支援が不十分なまま、小学校1年生になることの不利益の方が大きくなると思います。


年長では自我が固まりつつあり、その上で仲間意識が生まれてきます。自分の好きなことが見つかり、好きな遊びをする中で、横のつながりが出来ます。集団への意識も生まれ、集団で一つの目的に向かって力を合わせて助け合い、協同することが可能になっていきます。もちろん個人差には注意が必要ですが。


年長の間に必要な支援が、お勉強に費やされるということは、それだけでも子どもに必要な支援が欠けそうですし、個人差も大きい時期ですので、もしお勉強が難しい子が居たら、とても不利益を受けます。苦手意識を強化することにもなる可能性があり、そういう子どもは小学校に上がったら逆に苦労すると思います。


文字を読むだけをみても、年長のどこかで急に読めるようになる子が結構います。なので、個々の発達の時期やタイミングがとても大切だと思います。


なのに一律に同じ時期に教育するということは、合わない子どもが一定の割合で居るということになります。


私は幼児期にお勉強を意識した支援をする場合、机上での課題に興味や意欲を育てたい!というねらいを持って支援をしていました。


そのために具体的には


・個別に難易度の合った少し頑張って出来た!という自信や実感の持てる課題を用意すること


・興味や意欲が持てない子どもの場合、好きなキャラクターや乗り物など本人の興味のあるものを使った課題を用意すること


この二つを大切にして出来た!という自信を育て、またやってみたい!少し難しくても挑戦したい!という意欲が持てることが大切だと思っていました。


大人にやらされるというような無理やりではなく、子ども自ら自立的に出来る課題を個別に用意する!ということです。


子どものニーズが同じなら同じものでも大丈夫です。


それが学校での勉強の向き合い方のベースになると思っていました。


そういう、子どもからの視点抜きにした、幼児教育は無いと思っています。


もし大人の視点ばかりの幼児教育だとしたら、


苦しむ子どもが大勢出ると思いますので、恐ろしいなと思っています。


厚労省には文科省の意図に流されずに、発達や心身の健康の面から子どもを守ってほしいと思います。



国試保育士遊asobu☆


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