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保育者として映画『朝が来る』を見ると

こんにちは。いつも子どものみかたブログをお読みいただき、誠にありがとうございます!

今回取り上げる子どものためになる映画は、『朝が来る』です。

この映画を見て、

子どもは人への信頼が定着するまで、大人が育てきる義務がある!とあらためて感じました。

中途半端な状態で、投げだすと最悪な結果になるなって。


内容

子どもは純粋です!

大人よりも。

中学生にもなれば、裏表も後先の計算もなく、誰かを好きになります。その気持ち自体を否定は出来ませんし、その結果についても責めることは出来ないと思うんです。

おそらく、映画のように中学生で子どもが出来たら、

周りや世間は2人を責めるでしょう。

女は自分の体は自分で守れ!と言われるでしょうし、

男は男には責任があるんだから、もっと自覚を持て!と。

それなら、妊娠中絶は20歳以上の方が割合からすると、断然多かったりしますので、そちらも同時に責められないといけないと思うのですが、、

むしろ、一般的には未成年の子どもは、よく自制をしていると言える状態ではないでしょうか。

理由がまだ若いからとか、学業があるからなどというのも、責める理由にはならないと私は思っています。

もし、望まぬ妊娠というものがあるなら、それを避けるのは身近な大人の仕事であり、なので、起きしまったら大人にも責任が発生すると思っています。

子どもに子どもが出来たとしても、最後まで子どもを育てる義務は大人にあると思うのです。

まだ子どもである親が大人になるまでは。

そこで、もし親の保護者が投げだし、子育てが難しくなれば、福祉がすぐにとって替わるという制度が必要です。

妊娠に限らず、保護者が子育てが難しい時は、子どもは社会全体で育てるという共通理解や制度が大切です。

あの浅見(浅田美代子さん)の施設は、民間の団体のようでしたね。
運営も不安定ですし、継続性もないと思われます。彼女たちの命綱のような機能をはたしていますが、そのようなものに頼らないといけない現状も、近代化された国としては、ちょっと辛い状況だなあと。

なので、もっと安定した公的なシステムが必要だと思いました。

未成年はまだ大人になる途中ですから、未成年のうちは過ちは起きるものです。

子どもは大人の小型版ではありませんので。

それは想定しなきゃいけない事実です!

〈参考:高校生はなぜ刹那的になるのか?!〉


子どもの過ち

大人の過ちは、結果や背景もわかっているのに、あえてすることがありますが、未成年は、まだ事の重大性に気付かないうちにしてしまいますので、未熟さが原因で、悪気はありません。

その点が、大人の過ちとは全く違います。

映画では、両親に愛想をつかされ、福祉が入らず、浅見の民間支援団体に身を寄せることになりました。

映画では、特別養子縁組の制度を利用する流れも描かれていました。

あまり知られていないことで、とても重要な制度や社会資源ですので、広く知られてほしいところです。

公的支援ももっとあっていい部分です!

望まぬ妊娠がきっかけで、家族にも弾かれてしまうと、出会いによっては社会から逸脱してしまいかねないということが、よくわかります。

あの純粋でキラキラ輝いていた中学生活から、一瞬誰なのかわからないくらい、一度転落すると変わり果ててしまうまで落ちてしまう、、

それまでの間に、身近な大人から、何かしら手を差し伸べるタイミングはあったのではないでしょうか。

両親以外でも。

彼女のような子どもが身近に居て、気付いていたのに手を差し伸べる一歩を踏み出せなかったって、よくあることなのではないでしょうか。

〈参考:社会全体で子どもを守り育てるとは?!〉


最後シーン、彼女が居なくなって一瞬ハラハラしましたが、最後の最後は、自分が産んだ子どもに救われるという、

とてもとても切ない映画でした。

この映画は、子どもよりも大人に見てほしい映画です!

教育や保育、福祉などに携わる大人の方だけじゃなく、全ての大人と、

大人になる前で保護者予備軍でもあります、小学校の高学年以上の子どもたちにもお勧めです。

プラス、意外とサスペンス要素もありますので、そういう作品が好きな方も楽しめると思います☺


最後まで保育者として映画『朝が来る』を見るとをお読みいただき、誠にありがとうございました!
もしご意見ご感想などございましたら、コメントで頂けますととても嬉しい限りです!

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