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一寸先はマンホール #キナリ杯

 料理、掃除、アイロン掛け・・・家事という家事が苦手な私にも、たった一つだけ自慢できるものがある。それは、とにかく「負けず嫌い」なところだ。

 何事にも全力を尽くすことはもちろんだが(まぁ、その分、持久力が無いのが悲しい所)、一度「負けたくない」と思えば、どんなことにも集中して取り組む。一度集中したら周りで何が起きようとも動じない力を持っている。

 そしてその負けず嫌いの性分が、大変な事態を巻き起こすのである・・・。

ようこちゃん

 確か3歳か4歳の頃の幼馴染の一人に、ようこちゃんという女の子がいた。バービー人形やリカちゃん人形のように目が大きくて、サラサラの長い髪にはレースの付いたカチューシャがよく似合っていたことを覚えている。また、服装はいつもスカートで、お気に入りと言っていた薄いピンク色のワンピースからは、細い足をのぞかせていた。絵に描いた様な「女の子」だった。

 一方の私はと言えば、ショートカットに太い眉毛。兄からもらったお下がりのズボンを履き、おんぼろスニーカーで走り回る子どもだった。街を歩けば「ねぇ、ぼく?」と声をかけられ、母が困った声で「女の子なんです」と答えていたのが懐かしい。

 絵に描いたように対照的な2人だったが、とても仲の良い幼馴染であった。

ミルクセーキ

 ようこちゃんの家に遊びに行くと、自宅では食べられない様なおやつが用意されていた。ようこちゃんのお母さんの手作りおやつである。

 確かその日は、クッキー数枚と甘いミルクだった。多分、そのミルクはミルクセーキで、ようこちゃんのお母さんの手作りだったと思う。気合を入れて作ってくれたようで、お替りし放題だった。

 ようこちゃんがお替りをすれば、負けじと私もお替わりをする。するとまたようこちゃんがお替りをし、それを見た私もお替わりをする。

 あっという間に、ボウルの中は空っぽになった。お腹も満たされて幸せな気持ちでいると、ようこちゃんのお母さんが公園へ行こうと言い出した。

後ろスキップ

 ようこちゃんの家から公園までは、子どもの足で5分程度だった。角を3つ曲がり、500メートルほど行けば左手に公園があった。

「走らないでね」

ようこちゃんのお母さんの言葉に従いながら、私とようこちゃんははやる気持ちを抑えきれず、スキップをして進んだ。二人とも譲る気はない。本気のスキップだ。

 3つ目の角を曲がった時、私達は【後ろスキップ】に変更した。後ろスキップとは、その名の通り後ろ向きでスキップをして、後方に進む遊びである。これができるか否かで、子どもカースト制度は大きく変化する。また、そのスピードも重視されたことは言うまでもない。

 私とようこちゃんは、とにかく競った。どちらが先に公園の入り口に到達できるか。言葉にしなくても、お互いに競っていることは分かっていた。

 私の少し先を行くようこちゃんに、私は負けたくないと本気で思った。そして、全神経を足に集中させ、とにかく後ろへと進んだ。徐々にようこちゃんが疲れて遅くなり、同時に私は加速していく。

「よし、勝てる!」

そう思った時だった。3つ目の角を曲がってきたようこちゃんのお母さんが、何かを叫んだ。

 その瞬間、私は天を仰いだ。

マンホールとおじさん

 私は、公園の入り口付近にあったカラーコーンを蹴飛ばし、蓋の空いたマンホールへと吸い込まれていったのだった。その時の光景は、今でもはっきり覚えている。全てがスローモーションだった。

 ようこちゃんとようこちゃんのお母さんが慌てている様子も、空が青かったことも、徐々に空が遠くなる光景も。何もかもがスローモーション。

 まさに、一寸先はマンホールだった・・・。

 ただ、今私が思い出せることは、ヘルメットをかぶったおじさんに抱きかかえられて、マンホールから救出されたことだけだ。マンホールの中での出来事は、何も覚えていない。

 救出されたとき、ようこちゃんとようこちゃんのお母さんは、真っ青な顔をして私を見つめていた。

私は今も生きています

 私は救急車で運ばれたらしい。そして、精密検査らしきものも受けたような記憶がうっすらと残っている。それはそれはとても狭い部屋に閉じ込められて、頭だけでなく、胸や腹、全身にコードを付けられた記憶。怖いと思っていたことを覚えているが、泣くことはなかったようだ。

 何日入院していたのかは知らない。母に聞いても、「覚えていない」とのこと。とりあえず、今は後遺症もなく(ある意味後遺症は残っているだろうとよく言われるが)、元気である。

 これが、私の40年の歴史における、3大事件の1発目である。

 今言えることは、「負けず嫌い」も「集中力」も度を越えると危険だということだ。

 そして、もう一つ。

 あの日命を助けてくださった皆様に、この場をお借りして感謝を伝えたいということ。

 あの日は、本当にありがとうございました。お陰様で、私は今も生きています。

もしもあなたの琴線に触れることがあれば、ぜひサポートをお願いいたします(*^^*)将来の夢への資金として、大切に使わせていただきます。