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93歳のばあちゃんは、メールの返信が誰よりも早い

私はこの春、ちょっと子どもに戻ろうと思う。

ふらりと入った雑貨屋で、空柄の綺麗な便箋を見つけた。しばらく会えないあなたへ、今の気持ちを1文字1文字、素直に丁寧に綴ってみる。
きちんと伝えられるかは、まだわからないけれど。

♢♢♢

先月の終わり頃、ばあちゃんが入院した。

身体は年々細くなっているけれど、頭はしっかりしているし、何より、よく食べるばあちゃんだ。

朝食は、自分でパンとスープとヨーグルトを準備する。昼と夜は家族が用意した食事に、食後のデザートまでぺろりと平らげる。
私がお菓子を作っていれば、「あら、今日はクッキーなのね。たのしみ」と、こっそり予約をしながらトイレに向かう。

10年程前に大手術をうけて、ビビディ・ババディ・ブーと蘇った大事な"心ノ臓"を守りながら、杖を1本(つくのではなく、まるで盗人を撃退するための武器のように)振り回し、自分のペースでゆっくりゆっくり歩く。週2回通うデイサービスが、最近の1番の楽しみだそうだ。

そんなばあちゃんが、急に腰を痛めて立ち上がれなくなってしまった。
「腰ひねっちゃって痛いわ。布団から動けない」
初めは、症状を聞く限り「ぎっくり腰みたいだから休めば治るかな」と家族で思っていたけれど、日に日に痛みが増すようで、不安になってきた。ケアマネジャーさんのアドバイスもあり、救急車を呼んで検査をしてもらうことになった。

結果は、背骨の骨折。
「これは、手術したほうがいいですね~」
ちょっとコンビニ行ってきますね~くらいのテンションで告げられた医師の言葉に、私たち家族はとても驚いた。
「93歳なのに、手術なんてできるんですか?!」
「はい、大丈夫ですよ。心臓の手術もしていらっしゃいますし」
「い、いやあ、でも麻酔とか。まさかこれが永遠の眠りとなって目を覚まさないなんてことは……」
「ははは!そんな危険があれば、手術のお話はしません。薬は少し調整が必要なので、かかりつけの先生に確認しておきますね」

そんなこんなで、ばあちゃんは手術をすることになった。
93歳で、全身麻酔をして、背骨に釘をうって固い板みたいなもんを入れるなんて、今の医学は凄すぎる。でも、それ以上に、そんな手術に耐えられるばあちゃんがすごい。
私には、きっと、いや、絶対に無理だ。

手術前日の晩、「緊張してる?頑張ってね」とメールを送ったら、こんな返事が返ってきた。

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どうやら、緊張していないようだ。

麻酔科の先生と事前面談をした母から「多少リスクはあるけど、まあ大丈夫だろうって」と聞いても、完全には信じられなかった。
下を向いたまま数時間の手術なんて、私の身体でも辛いのに、あんなにか細い身体は耐えられるのか。出血が多かったらどうしよう。
そんなことをぐるぐる考えて、本人より私の方が緊張していたのかもしれない。

手術当日は、仕事が休みの私と母が待合室で待つことになった。
手術の待ち時間って、何度経験しても結構しんどい。大抵の場合予定時刻は過ぎるし、何かあった時のために、動いたりもできない。もちろん、パクパクお弁当を食べる食欲もない。

2時間だと聞いていたけれど、色々あって4時間くらい待っただろうか。
ばあちゃんより先に戻ってきた担当の先生が、パソコンを使って説明してくれた。

「成功しました。背中は、こんな感じです」
「うわあ、こりゃすごい。人造人間みたいだ」
画面を見ながら、母がついこんなことを言った。
「麻酔科の先生も言ってました、本当にお元気ですよねえって。輸血も必要ありませんでした」
「これって、リハビリをきちんとすれば背中が伸びたりするんですか?ピンって。だってほら、こんなにしっかりした板が入っているし」
私は母の言葉を聞きながら、そんなわけなかろう、と心の中でツッコミを入れた。
「はは。ピンとは伸びませんが、ほんの少し姿勢が良くなる可能性はありますね。1週間は傷口が痛むと思いますが、今回の手術は本当にして良かったと思いますよ」
ええ、そんなことあるんですか……

「本当にありがとうございました。ところで先生って、30代ですか?……ですよね?」
母の言葉を聞きながら、再び、そんなわけなかろうと思ったけれど、先生はまんざらでもない様子だった。

なんだか祖母と母は似ている、と思った。


その後、ほんの少しだけばあちゃんに会うことができたけれど、麻酔から冷めきっていない状態で、きちんと話すことはできなかった。


あの日から、私は、ばあちゃんに会えていない。

感染予防のため、患者の家族であっても(必要な場合を除いて)お見舞いは禁止されている。
どんな様子なのか、ご飯を食べられているのか、リハビリは進んでいるのかなど、何もわからない。

この約1年間、色々なことを理解してきたつもりだったけれど、ここにきて「退院するまで会えない」という事実を突きつけられて初めて、本当の感染予防対策を知ったような気がした。

そんな私たちに残された、たった1つの連絡手段は

――そう。

これだけだ。

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携帯電話

ばあちゃんが携帯を買ったのは、77歳の時。
(いつ始めたか忘れないように、とメールアドレスに"77"を入れておいた)
簡単携帯の操作マニュアルを見ながら、私が家族と必要な連絡先だけを登録し、1ヶ月かけて「メールのやり方」を教えこんだ。その成果もあり、携帯電話を使い始めてから16年経った今でも、メールができる。

…いや、「できる」という言葉はなんだか違う。
チャットでもないのに、1分以内に返ってくる。「ギャルか?」と思うほど、時には絵文字を使いこなしながら、私たち家族の誰よりも返信が早い。写真を撮って送るのもスイスイ、朝飯前だ。

例えば、こんな風に。

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いいもん食べてますね。
私は今日も、社食のA定食(400円)です。


手術から数日後に届いたメールは、こうだった。

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「当分メール無理」なんて書いてあるけれど、翌日から、まぁよくメールが来た。
これまでも時々していたけれど、入院中のばあちゃんとのメールは、何故だか私にとって癒しになっていた。

そのことに気づいたのは、ほんの数日前のこと。


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入院前から、NHKの川柳講座を始めたらしい。
90を過ぎても何かを学ぼうという姿勢は、見習いたいと思う。
今まで恥ずかしいと言って見せてくれなかったけれど、入院中は考えた川柳を時々送ってくれるようになった。


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メールを見る暇がない、と。ほう、なるほど。
結構忙しいようだ。仕事の合間にメールを見る時間がある私の方が、もしかすると暇なのかもしれない。

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私と母と同じく、祖母も巨人ファンである。この日はプロ野球の開幕戦。一緒に観られないのは残念だけど、地上派で観られるよ。


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どうやら四人部屋で人間観察をする余裕が出てきたらしい。
「みんなばーです」
…うん、そりゃそうだ。あなたもだよ。


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あまりにメールの頻度が多いから、周りから注意されてしまったのだろうか。
でも私も、簡単携帯のミュートのやり方はすぐにわからない。

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誰かに助けてもらったのか、自分で解決できたのか…一先ず良かった。今度やり方を覚えておくよ。


私が「手術の日に痛いと言っていたから正直眠れなかった」とメールをしたら、こう返ってきた。

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最後、「い」を打っている最中に夕食が運ばれてきたに違いない。孫に送るメールより食欲が大事だ。
うれしくても、どうか死なないでほしい。

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ついに、地上派で放送されないプロ野球を携帯で見ようとし始めたようだ。
でも、ごめんね、ばあちゃん。簡単携帯でテレビは観られない。次買うときは、テレビ観られるのにしようか。(私のiPhoneも、観られないけど)

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一体どうしてそうなった?!
ごめん、ダンスは私も専門外だ。ただ、クイックの動きがわかったとしても、それをメールで伝えられるほどの語彙力が、おそらく今の私にはない。

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最近胃の調子がよくないんだ、と話をしたら、消灯前の貴重な時間にこんなメールが。入院中の93歳に健康(なはず)の孫が励まされている。
なんとも不思議だ。


くだらない話が大半だけれど、仕事のことや最近あった面白い出来事を話す日もあれば、お願い事やお礼メールが来る日もある。

私にとってばあちゃんは、人生の「先生」だ。

じいちゃんと同じく、小学校の教師として長く働いていただけでなく、書道の師範でもあり、レザークラフトの講師でもあった。正月に送られてくる年賀状には、全て「先生」がついていたし、未だにそうである。

「先生」であるのと同時に、幼い頃から私の秘密を1番知っている人でもある。母親や先生には少し言いづらいことを、まずばあちゃんに相談する、ということがしばしばあった。全く甘くはなく、客観的で的確な答えが返ってくるものだから、それなりに信用している。(今でも、文章に迷ったときは、まずばあちゃんに読んでもらったりする)



入院中も、お悩み相談コーナーは健在だった。

これは、「人前に立って話すのが苦手なんだけど、どうしたらいいかな?」と相談した時だ。

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家族に相談したら、私以外「人前に立っても全然緊張しない」タイプの強い(図太い?)人間ばかりで、なんでそんなこと悩んでるんだ?と、そもそも相手にしてもらえなかった。
ばあちゃんのアドバイスは、すぐにできるかと言われると難しいけれど、心はちょっと軽くなった。




メールを重ねるにつれ、私は不思議な感覚に包まれていた。

同じ場所で暮らしていた時よりも、離れている今のほうが、なんだか心の距離が縮まっているみたいだった。

私の仕事は不規則で、帰りが遅い日も多い。帰宅時間が22時を過ぎると特に、ばあちゃんとゆっくり話をする時間は、ほとんどなかった。それに、都内へ仕事に出ている私は、常に「自分が感染しているかもしれないリスク」が頭の隅にあり、ここ1年なるべく接触しないよう心がけてきた。でも、それ故に、会話が減っていたかもしれない、と反省した。

「ありがとう」
「ごめんね」
「気をつけてね」
「いつも思っているよ」

近い人であればあるほど、直接言うのが照れくさい言葉が、たくさんある。
でも本当は、その言葉こそ、伝えなくちゃいけないんだよな、と思うのだ。


3年前、じいちゃんが亡くなる少し前、地元の書店のブックカバーコンテストに応募したことがあった。

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こんなメッセージを残しておきながら、じいちゃんに直接「あの時、ありがとう」って言えなかった……その後悔がずっと心に残っているはずなのに。
じいちゃんが何より大切に想っていたばあちゃんには、私が感じたことや感謝の気持ち、謝罪の気持ち、素直に全部伝えていこうと決めたはずなのに。

当たり前にある優しさに甘えて、サボっていたのかもしれない。伝える、ということを。


幼い頃の私は、ばあちゃんとじいちゃんにたくさん手紙を書いた。折り紙で作ったお花やハートを添えたりして、とにかく1日中書いていた。
素直に伝えられていた言葉たちは、大人になるにつれ、いつしか心に閉じ込めるようになってしまっていたんだ。

自宅と病院を繋ぐ、少し不思議であたたかい、約1ヶ月のメールのやり取りを通して、ようやくそのことに気がついた。


私はこの春、ちょっと子どもに戻ってみようと思う。
もう少し入院生活が続きそうなばあちゃんに、手紙を書こう。
この前、ふらりと入った雑貨屋ですごく綺麗な便箋を見つけたから、ばあちゃんに習った書道を思い出しながら、書いてみるよ。

退院してから、一緒にやりたいこと、書き出してみる。
それから、今の仕事のこと、家の様子も教えるね。
退院してから、食べたいものも教えてほしいな。きっとステーキとピザだろうけどね。
野球も始まったし、今年気になる選手のことも話そうか。

ばあちゃんとのメールは楽しくて、普段言えないような言葉も言えてしまうから、きっと手紙でも書けるはず。


そうして、手紙のやり取りがうまくいったら、
今度は、直接伝えるよ。

「退院おめでとう」
「いつもありがとう」
「素直になれなくて、ごめん」
「これから、健康にもっともっと長生きしてね」
「楽しいことたくさんしよう」

照れくさいから、まずはメールと手紙から始まることだけは、大目に見てくれると嬉しいな。

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