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生きる…とは何か。

家族の老後はもちろん、自分がどう老いて、どんな最期を迎えたいか、考えた事はありますか?


現実味が無くて、なかなか想像もつかない人ほど、目を通してほしい記事を見つけたのでシェアさせていただきます。


たった300円(今確認したら、たったの200円だった!)で、こんな風に真っ直ぐに教えてもらえることはきっとない。
家族の為に、自分の為に。どうかたくさんの人に見てほしい。

普通に暮らしていたら、なかなか知る事の出来ないリアルな話ばかり。


ナースさんだから書けること。愛のあるナースさんにしか書けないこと。
ナースあさみさん『食べられない、のその先』

前職で介護をしていたわたしは、頷くことばかりです!

介護の現実を知っているからこそ、こういう記事をたくさんの人に見て、知ってほしいと切実に思います。

老いも若きも、介護の現実について知らない人が多すぎる。

というより、知ろうとしない人が多すぎます。
現実から目を背けすぎ。


わたしの住む田舎は、表立って言葉には出さなくとも、『家族が見るのが当たり前』というような風潮がまだ根強く残っています。

介護者である家族も、『家で見るものだ』という思い込みがまだまだ大きいので、デイサービスやデイケアを利用するのだって、周囲の目を気にする人も多いです。

本人も、家族も。

だから、本人は、まだ必要ないという。
離れている家族も、可哀想だと反対する。
そうすると、そばにいる家族は、『人を頼ること=悪』だと思ってしまう。

それって、現場を知らないからだと思うんですよね。


わたしは現場にいたから、元気なうちにデイに通って、生き生きと過ごす人をたくさん見てきたし、第三者が介入した生活の方が、本人も、家族も穏やかでいられる事が多いのも知っています。


でも、実際に利用する人はもちろん、介護者だって高齢の人が多いので、自分たちが若い頃の介護のイメージしかない。

実際に見たことがないから、姨捨山のイメージしかないんですよね。

あとは、デイになんか行ったら、ずっと寝かされてる!とか、あんなところに行ったらボケちまう!なんて事も言われたことあります。実際はそんな事ないのに!!


死を迎える前に、大体の人が必要になる介護には段階があって、

日常生活の負担が多くなって、人や社会との繋がりがなくなり孤立して、日常生活がだんだん難しくなるところから、
身体的に動けなくなるところ、最終的に食べられなくなるところまでは、ものすごく細かな段階があると思うんです。

ど素人の家族が、一生懸命頑張ったところで、その段階に合った支援ができているのか?という問題もあるし、
そもそも本人がそれを望んでいるのか?という疑問もありますよね。

だからこそ、第三者、プロを頼るべきだと声を大にして言いたい。

そして、最期のどうやって迎えるのか。
希望する最期を迎え方を、支援する人みんなで共有しておくことをお勧めしたい。



夫の祖父は、とても甘いものが大好きな人でした。

入院している間、点滴治療(というより、もう延命ですよね)をしている時も、夫とお見舞いに行くと『ドーナッツ買ってこいや』とか、『饅頭食べたいから、買ってこいや』というくらい、食べることを楽しみにしていました。


誤嚥してしまうので、食べ物はあげられない。

でも、本人は食べることが楽しみであって、その楽しみを奪っている事も事実。


亡くなる半月前に92歳のお誕生日を迎え、お祝いだからあげましょう!という先生の指示のもと、お饅頭を用意してもらいあげていました。


うちの麹を使っている、酒饅頭です。
元気な頃は、一度に2個ぺろっと食べて、3個目はこちらで止めるような人でした。


祖父は、両手を伸ばして酒饅頭を持ってかぶりつこうとしたのですが、娘である義叔母は大事をとって、割り箸の先にあんこを豆つぶほど口に入れただけ…。


口をパクパクして食べたがっている義祖父を見て、看護師さんは、もう少しあげても良いですよ?あげましょう!と言ったけれど、義叔母は頑なにあげませんでした。


わたしは嫁、しかも孫嫁なので何も言えませんでしたが、祖父が可哀想に思えて、いまだに心に残っています。


義祖父は満92歳。
入院が続いていて、何か食べれば誤嚥して熱が出てしまうような状況。

それでも、食べたい!という気持ちが消えることはありませんでした。


そんな義祖父の最後は幸せだったのでしょうか?

きっと、口の中いっぱいに大好きな甘いものを頬張って、そのまま天に召した方が幸せだったんじゃないかな?

なんて、今でもそう思うんです。


わたしだったら、点滴だけで生き長らえるより、人間らしく食べて逝きたい。


大半の人が、そうじゃないでしょうか??
自分だったら、人間らしく逝きたい。
でも、看取る方だったら長く生きていてもらいたい。

看取る方のエゴが勝ってしまうと、本人にとっては、なかなか辛い最後になるような気がします。


だからこそ、本人も、介護者も、最期の迎え方、看取りの仕方をもう一度考えておくほうが、幸せな最期を迎えられるような気がします。


昨日、友達の親が亡くなったタイミングで、ナースあさみさんの記事を見つけたのでどうしても今日、書きたかった。




なんだか、ここのところ、生死についてばっかり書いてますけど、そのもっともっともーっと手前の『健康維持』の為に、麹の活用をすすめていく。

というのが麹屋としての使命であると思ってます。

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