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歌集記録「あかるい花束 / 岡本真帆」

ほんとうにあたしでいいの? ずぼらだし、傘もこんなにたくさんあるし

水上バス浅草行き/岡本真帆

ずっと前に、Xのタイムラインで見かけたこの短歌にキュンときてからファンです。

第一歌集「水上バス浅草行き」は、生活に彩りを加えるような短歌が多かった。第二歌集「あかるい花束」は、『ひとり』に寄り添うような短歌が多いように感じました。


ひとりにはやや多すぎる部屋数のひとつひとつに朝を教える

あかるい花束/ワルツ、はつなつp44

誰か(おそらく恋人)が去った、ひとりの賃貸住宅にて、各部屋のカーテンを開けていく様子を想像しました。

「やや多すぎる部屋数」という表現がこの歌を印象づけます。
「やや多すぎる」ので、ひとりでも暮らせるけど、ふたりで暮らしていたから多すぎると感じてしまうのではないか。あと、「やや」なので、ふたりで
ちょうど良い空間から、ひとりになったことで、喪失感を感じているのかな。2LDKを思い浮かべました。
ひとりだと、寝室と、あと一部屋は何に使おう。ふたりだったら趣味部屋や物置に使えるけれど。

普段使わない部屋のカーテンも開けて、朝の明るい光を取り入れる。丁寧な作中主体の性格を表現していると受けとりました。

窓際に置いた花瓶のそのままの姿かたちをしばらく愛でた

あかるい花束/ちぐはぐな布p108

花瓶があるだけの窓際は、寂しい情景のように想像できます。
けれど、花瓶そのものを愛でる明るい光景へ、ポジティブに変換されている。

飾るではなく「置いた」なので、本当は花を飾る予定があったのかな、と思う。でも、飾らなかった。それも「しばらく」。

また、ダイニングテーブルなど部屋の中央ではなく「窓際」なので、手に入るだろうものが手に入らず、仕方なく置いておいた花瓶、仕舞えなかった花瓶、という印象を受ける。

歌の景色を想像すると、窓際から花瓶へと近づき、さて、そこに生けてある花が描写されるのかと思いきや、花瓶そのものを愛でていた驚き。

ラブソング以外の愛もあるんだよ  鳩になってもきみが分かるよ

あかるい花束/爛と凛p122

「ラブソング以外の愛」の例えが「鳩になってもきみが分かる」こと。独特な例えで、でも確かに、愛だと思う。

ラブソングは、片思いから成就、失恋、浮気まであるのでラブソング=愛の方程式は正しい。
「きみだと分かる」のが「鳩」なのも絶妙。
蟻だと嘘くさいし、犬だと見分けることが簡単そう。公園に集まるような鳩、という例えが親近感もあり、想像できます。
「きみ」がいなくなってから、公園のベンチでぼんやり、集まる鳩を見ていたら、「きみ」に似た子がいたんだろうか。

3句目と4句目に空白があるので、読者に考えさせる滞空時間を演出している。


表題について、花束は誰かが誰かに贈ることが多い。
相手を祝福するような、元からあかるい単語だと思う。
そんな単語に「あかるい」とつけるのは、わざとであり、無理にあかるくしているような印象を受けました。自分にとっては嬉しくないことだけど、世間一般にはめでたいことのような。

そんな新たな一歩を踏みだした人へ、贈りたい歌集。

【あかるい花束】
作 者:岡本真帆
出版社:ナナロク社
発行年:2024年


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