【反省文】「俳優として」を、深く考えた1年だった。
去年の1月の時点。
自分に技術が無いことだけは分かるが、「技術がない」から「どうすればいいかわからない」、「それしか出来ない」は、アマチュアの極みだったと、思い返して痛感した。
それも貫き通せば色になるのかもしれんが。
俳優の自分都合で作品を妥協して、演出家や共演者に妥協させていい訳が、無かった。
去年の夏頃。
演出家と対等に仕事が出来る思考で稽古場に足を踏み入れなければ失礼なのだと知った。
なぜ分からないことはすべて教えてもらえると思っていたのか。共に創るということは、教えてもらったことをやる事ではない。
自分が愚かだったことに、ようやく気付いた。
その時に、小劇場には「俳優っぽいことを、長くずっとやってる人」が大勢いるのだと理解した。自分もそうだった。
それでも私は小劇場の演劇が好きなままだった。
商業にいきたいとはどうしても思わない。なんでやねん。我ながらなんでやねん過ぎるけども。自分が足りないからいけないと思ってるだけかもしれないけど。
ただ、長く続けるということがどれだけ難しいかも、同時に理解した。
愛され続ける事が出来る人というのは奇跡みたいな存在。
自分には出来ないなあと、やっぱり思う。
自分にも承認欲求はあるのだけど、「愛される」ということにどうしても抵抗があるので、中々承認欲求を糧に行動を起こすことが出来ない。我ながらしょうもない理由すぎる。
こういうとこね。表方より裏方が向いてるなと自分で思う理由。
誰かのために考える方が頭が働くんです。なんでなん。
向いてないと思うとはいえ、これが活きる場合もあるとも、最近思うので。
変わらず「俳優として」を考え続けるつもり。
作品を「どう表現するか」ではなく「作品のために何が必要なのか」を考えていきたい。
職人になりたい。です。
あなたにこの役を任せて良かったと、言われ続けたい。
つってね。
もちろんずっと、その時の全力ではあったけど。
限界が見えてるっていうか。
頭打ちでやってたなってね。おもいました。
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