見出し画像

「ギフテッド教育=英才児教育」という誤解

山口周さんの著書である
「ニュータイプの時代 新時代を生き抜く24の思考・行動様式」
という本で書かれていた「イノベーション」に対する
考え方はとても興味深いものでした。

イノベーションというのは
「方法論としての革新性」
「生み出した経済価値の大きさ」
この2つに収斂されるいいます。

方法論がどんなに革新的であっても、
生み出した経済価値が小さければ
「イノベーション」とは言えない。

逆に、生み出した経済価値がいくら大きくても、
方法論としての革新性がなければ、
やはり「イノベーション」と言うことはできない。

イノベーションそのものは目的に
なり得ない。課題を解決するための手段が
イノベーションだから。

これを聞いて、「ギフテッド教育」への誤解と
似ているなあと感じました。

ギフテッドは先天的に平均よりも顕著に
能力が高い人たちを言います。
(万能の天才というわけではなく、
「特定の分野」において突出した
能力・才能を持っているのが特徴です。)

ギフテッド教育はよく、天才児教育だとか
言われることがありますが誤解です。

素晴らしい才能を持っているから
そこを伸ばしていこう!
みたいな呑気な教育ではありません。

ギフテッドの子供たちは特定の分野で
著しく高い能力を持っているため、
通常の教育では伸ばせるものも伸ばすことができない。
自分のレベルに合わず、簡単なことしか
習うことができなければいずれ無気力に陥ります。

教育機会の均等の観点から考えたら、
その子のレベルに合った教育を
施さなければいけないのは当然のことです。

もう一方の側面として、ギフテッドの子供たちは
発達障害をはじめとした問題を抱えやすいという
特徴があります。
(「2E (twice-exceptional):二重に例外な」と表現します、)

能力に「峰」と「谷」を併せ持つようなイメージです。
ギフテッドの子供たちがより豊かな生活を送るためには
この「峰」と「谷」の両方からアプローチする必要があります。
これがギフテッド教育の本質です。

つまり、ギフテッドの子供たちがより豊かに生活するための
手段としてギフテッド教育があるということです。
才能を伸ばすことは目的ではありません。

イノベーションが目的になり得ないのと同じです。


もう一つ述べておきたいことがあります。

発達障害=天才
のような誤解があることです。

「発達障害の子たちは困難さを抱えているけど、
誰にも持っていない才能があるんですよ!」
こんな寝言のようなことが言われますが、
励ましのつもりなんでしょうか。

私はこういうキレイゴトが大嫌いです。
誰にもない才能を持っているのは
定型発達の子も発達障害の子も同じでしょう。

ギフテッドは発達障害を持ちやすいのは事実です。

しかし、発達障害の全員が特定の分野で平均よりも顕著に高い能力を持っているかというとそういうわけではないのです。

「発達障害のお子さんは天才ですよ!」
この言葉で苦しんでいるお子さんや親御さんが
実際にいるんです。

フリースクールの教員時代のエピソードです。
今の自分が見たら完全に飛び蹴りしています。

自閉症のMくんのお母さんに、
「Mくんはすごい才能ですね!
どんどん才能を伸ばしていきましょうね!」

こんなバカげた言葉をかけたのです。

するとMくんのお母さんは言いました。
「そんなことより普通の生活をさせてほしい・・。」

・・・

お母さんの悲痛な思い。
自分の薄っぺらい言葉。
情けないの一言。

Mくんは自分の注意や集中を
コントロールすることが困難でした。
加えて、自分の身体が衝動的に
動いてしまうことに苦しんでいました。

授業中でも衝動的に身体が動いてしまう。
それを注意されると、

「動いちゃうんだよ!!
この手を縛ってーーー!!!」

と泣き叫びます。
コントロールができないんです。

「天才だね!」「すごい才能だね!」
こんな情けのような言葉を
かけられれば傷つくだけです。

言葉は薄っぺらい・・。

「この世界に言葉なかったら
どうやって人を励ましますか?」

これは私が尊敬する方の言葉です。

教育はもちろん、人と関わる時の
本質が詰まった言葉だと思います。

自戒を込めて書きました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?