大学と電話ボックスと我が子
毎年この季節は、とある人の命日の月。
この国の最初の電話ボックスを作った方。
阪神大震災の年。
高校は野球ばっかりやってて、なんとか滑り込んで大学へ。
最初は単なる一学生と教授。
実習やプレゼンで何となく話が進み、だんだんなじんで来てそのうち入り浸り。他愛もない話や、生真面目なクリエイティブな話や、ちょっと色恋沙汰な話も少々。学生の視線に立ってもらえるような感じがフィットしたのでしょう。毎週どころか、2〜3日に一度のペースで呑みor夜ごはん。だいたいは2人でカウンターor