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世界の中に暮らしている,という感覚

-アラフィフに英会話ができるまでの3つの習慣,という経験をシェアするためのシリーズです.(Episode#03)

世界につながる感覚の記憶(小学校編)

BCLにハマる
英語を初めて意識したのはいつだったんだろう.小学生の頃にはあまり英語との思い出がないなと考えていたら,ひとつ思い出したことがあります.BCLです.大人になって職場の人たちと,子供の頃何をしていたか,という話題になった時,今の50代であれば「BCL」にハマっていた,というと,俺も!僕も!となったことがあるので,おそらく当時ひそかに流行していたのんでしょうね.BCLというのは,Broadcasting Listening といって,ラジオを聞く,という趣味です.そんなの趣味になるかよ,って思うかもしれないけど,これがさっきも言った通り,結構な数の同世代の人が楽しんでいたチャンとした?趣味だった(いまでもファンはいるはず)んです.それで,海外からのラジオ放送を聴くんです.ちなみに,FMラジオは長波,AMラジオは中波といって,波長が長いと近距離にしか電波が届かないので,海外に向けての放送は短波:ショート・ウェーブが使われていて,これが普通のラジオでは殆ど受信できない(帯域が違いすぎて)わけです.それで,短波が受信できる特別なラジオを準備して,それで,海外の放送を聞くというわけです.

それの何が面白いのか...それはですね,そのラジオを聞きましたよっていう手紙を放送局に送るんです.何時何分にこんなことを放送してましたっていう自己申告のような手紙です.そうすると,その海外の放送局が,放送を聞いてくれたお礼に「ベリカード(Verification Card)」というものを送り返してくれるんですよ.それをコレクションするわけです.夜な夜なダイヤルを合わせていろんな国の放送を聞くわけです.当時は,英語なんて全然分かるはずもないです(だいたい日本語放送というのを短時間やっているんです,世界の放送局で.おそらく現地の人向けの日本情報を伝えるためではないかと思います)が,遠くエクアドルから,世界一有名?なイギリスのBBCから,カナダからも手紙が届くのを心待ちにしながら,エアメールで受信報告書を書いて送るという.英語というか,世界への興味というのは,そのころに培われたのかもしれませんね.

あとは,テレビではいろいろありましたね,兼高かおる世界の旅とか,すばらしき世界旅行,とか,アメリカ横断ウルトラクイズ,とか.これは話すと長くなるので別のエントリーで機会があれば...

世界につながる感覚の記憶(中学校編)

1982年.僕が住んでいる広島に民放のFM曲が誕生し,そこではこれまでの演歌や歌謡曲しか流されることのなかったAM局に比べると,洋楽が多く流されていました.折しも,アメリカでMTVが誕生し,多くのアーティストのプロモーションビデオが話題になり,今考えれば日本における洋楽の輸入が一気に増えた時期です.東芝EMIも「British Invasion」ってキャッチフレーズで,当時UKの音楽シーンを賑わせていた若い才能を集めてショーアップしてプロモーションしていましたね.もちろん,僕や周りの友達も影響を受けて,一気に洋楽かぶれになったんですね.そして,その当時,FM誌というのが流行っていたんです.FMラジオ番組のタイムテーブルを中心にした音楽雑誌ですね.それを毎週購入しては,いろんなミュージシャンのことを知ったわけです.日本では見ることができない海外のミュージシャン情報は貴重でした.ファッションにも影響を受けました.髪型を整える「ムース」っていう泡状の整髪剤があって,雑誌で憧れたバンドのメンバーがムースを使ってるって書いてあったから,みんなで街一番のコスメショップに行って見るもまだ日本では売ってなくて,とかね.楽しかったなぁ.

そんなわけで,一気に耳にする機会が増えた海外の音楽の中に,逆説的になるんですけど,日本語のフレーズが出てくる「Mr.Robot」という曲が僕の心を捉えたんです.この時に,日本語と英語を比較するなんてことを意識したのかもしれません.でもまだ,学校で習う英語はまさに「This is a pen」だったから,基礎は学んだもののただの学校の授業のひと科目に過ぎなかったので,覚えたての単語や,知らない単語は辞書を引いて英語の歌詞カードを読んでみたり,そういう風に英語との接点ができていきました.そういう意味でいうと,いわゆる「勉強」ではなかったんだと思います.自分の好きなことへの興味.そういえば,小学生の頃に,当時大好きだった「銀河鉄道999」の映画主題歌をゴダイゴが歌っていて,サビの英語の歌詞をカタカナにして適当に歌っていたな.結局,僕にとっての英語は,何れにしても音楽が大きな影響を与えていたんだろうと思います.

世界につながる感覚の記憶(高校編)

小学5年生の時,ジョン・レノンが凶弾に倒れたというニュースが日本を騒がせます.当時僕は父親の仕事の都合で出雲市に住んでいました.うちの親は世代的にはビートルズには早すぎたので,そんな事件があっても,うちではそれほど大きな話題にはなりませんでした.もちろん,存在は知っていましたよ.中学でFM誌を読み漁っていたわけですから,もうすでに解散してしまったビートルズがいかに神格化された存在かは理解していたけど,その音楽を聴くようになったのは高校生の頃です.でも,例の通り,日本語に訳されていたとしても歌詞はもうほとんど高校生には理解不能だから,もっぱらサウンドを聴いていたんですけどね.でも,対訳集などは手に取ったりしましたね.

高校になると,国際化(まだグローバル化とは誰も言ってなかった)という名目で,海外との交流が増えてきますよね.交換留学生がドイツやカナダからやってきて,時々遊んだりして.ウルリッヒくんとティムくん.元気でやってるかなぁ.僕の制作したデザイン画が何かに選ばれて,姉妹都市の重慶とハノーファーに(作品だけ)旅したりとか.サッカー部だったんですけど,国際試合っていうのも経験したし,一気に「世界」が身の回りにやって来たヤァヤァヤァって感じでした.でもこんな程度,今の教育に比べたらまだまだ国際化のハシリで,よほど現代の方が恵まれているとは思いますけどね.

さて,当時も高校生の一大事は大学受験です.通常の英語の授業の他に,受験英語の勉強がもたらしてくれたものがありました.高校の授業って,先生によってすごくレベルの差があったと思います.みんないい先生だったけど,どこかの塾の先生が著した英語の参考書を1冊読むことで,それまで英語で習ってきたなかの何かモヤっとしたことが一発で解決した瞬間があって,一気に自分の中で理解がバチっと音を立てて噛み合った瞬間というのを記憶しています.いい本に一冊出会うというのは,大きな効果をもたらすということもその時身を持って知りました.

そして,僕は絵を描いたりデザインをしたりというのが好きだし得意でしたから,作品で使う文字はほとんど英語を使いました.辞書を片手に今思えば稚拙な言葉の組み合わせだったのでしょうが,何にせよ,英語の方がカッコいい時代でした.

以上,今回はぜんぜん実用的な話はありませんでしたが,英語をマスターする上で,好奇心や世界への興味が強く作用することは以前にも述べました.そういう伏線を振り返ることで,どれほど世界(異文化)に興味を刺激されたかという話は全体としてまとめておきたかったんですよね.次回は,大学以降の「世界」との関わりを振り返ります.

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