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リヨン郊外,ラトゥーレット修道院でコルビュジェの空間を味わう

1992年の欧州ぶらりひとり旅の記憶 フランス編

ベルギーで一泊した後,いったんパリに入るものの,すぐにTGVに乗り換えて,直接リヨンへ向かった.

初めてのTGVで,日本の新幹線と同じようなもんだとは聞かされていたものの,雰囲気はやはりちょっと異なる.座席は通常の国を横断する列車に使われるコンパートメント車両とは違って,確かに新幹線ライクな座席配置ではあったものの,何だろう,窓の大きさやシートのサイズ,使われているファブリックや色使いまで,どこかフランスの粋を感じさせるに十分なディテールを感じることができた.一つ一つのディテールがどこがエッジが効いている.この辺りは,長い歴史に培われた国民的なセンスというのがあるのかもしれない.

考えてみると,当時の90年代という時代が,それぞれの固有のセンスをプロダクトに反映できていた最後の時代だったのかもしれない,とすら思う.その頃からヨーロッパ文化にかぶれていた僕は,自分も中古のminiを乗り回していたし,友達の中にはルノー5,FIATパンダ,チンクチェント,日本車でもs800とか,癖のある人間が寄り集まっていた.まあ,ひとつの建築あるあるかもしれない.ボスたちもシトロエンやローバー,VWなど,そういう環境の中で良くも悪くも時代を謳歌していた.当時ですら,シトロエンはシトロエンらしさがなくなった,とか,プジョーと共通のシャーシになってしまった,とか,国ごとの個性が失われていくことへの警戒感が雑誌の記事には良く書かれていたものだ.

現在2020年,確かに,すでにヨーロッパのクルマたちはかつて程の個性が失われたなと思う.同時に,品質の向上や合理化が進んで,いまや「外車」が特別扱いされることも少なくなったように思う.極端な話かもしれないが,世界がある種均質化していくことの末端のエピソードだろうとは思う.

ただ,その中で建築っていうのは,やはりその土地や文化に根差した在り方が基本であることは疑いようがなく,そのようなグローバル化の影響を最も受けにくい営みなのかもしれない.もちろん,見た目の空間のイメージはコピーも模倣もされるが,その場に在る座標が生み出す固有性,それはちょうど植生のような,その場のいろんな要素が影響して形作られるような,そのような趣がある.

さて,リヨンについた僕は,宿を確保すると夕方に少し散策をした.ちょうど,ジェームス・タレルの展示を駅近くの美術館で開催しており,初期の作品に触れることができた.当時はタレルの作品だと知らないまま,興味深い展示だと思って見ただけで,数年後に美術手帳で,タレルがどんな人なのかということを知る,という感じだった.

ただ,リヨンに宿を取ったのは,この町に目的があるわけではなく,この街からローカル線で訪れる,コルビュジェのラ・トゥーレット修道院を見にいくためだった.コルビュジェの晩年の作品といえば,ロンシャン(これもこの数日後に見にいくわけだが)が有名だが,僕個人の感覚としては,ロンシャンの自由奔放な開放感よりも,ラ・トゥーレットの規律性のある緊張感のある空間が当時から好きだった.その思いは,歳を取るほどに曖昧になってきているものの,いまだに変わりない.

ローカル線の駅を下り,トボトボと山を登っていく.あたりには人影もなく,ポツポツと建っている住宅やその庭から人々の生活の息吹が伝わってくる.ヨーロッパに観光に行くと,どうしても都市圏で済ませることが多いと思うが,建築を見に行く旅の面白さはこういった田舎町の雰囲気に触れることができることにもあるような気がする.大人であれば,駅から車を手配してササッと登ったかもしれないが,貧乏学生だったからこそ,歩いてアプローチすることがよりその場所を深く理解できた,という感覚を与えてくれる.まあ,実際のところ,大人になった今でも,きっと僕は歩くだろう.実際,今でも旅行に行くと,時間が許せば街を歩き回るのはまったく苦にならない.歩く速度で目に入る景色から刺激を受けたり,いろいろ想像するのが楽しい.それはこの時の自分の旅のスタンダードが染み付いているからかもしれない.

さて,どれくらい歩いたのか記憶にないが,街中を見下ろす景色が良かったのを覚えているから,しばらく歩いたはず.そうしているうちに,本で見たラ・トゥーレットの姿が視界に飛び込んできた.想像していたよりはコンパクトだなというのが第一印象.ちょうど,エントランス周りに数名の訪問者がたたずんでおり,ガイドらしき人に招かれてエントランスに入った.中に入ると,そこは,こじんまりとして住宅のようなヒューマンスケールの空間だった.修道士が説明の役割を与えられているのだろう,そのような服装の男性が丁寧にフランス語と英語で説明をしてくれた.廊下を進むと,食堂などの大きなスケールの空間もあるものの,人が暮らす空間という心地よさが感じられた.

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修道院,という場所は日本人の僕にとっては馴染みがない.僕の家庭は多くの日本人の家同様,基本的に冠婚葬祭の葬と祭においては仏教のお寺に厄介になる.幼い頃祖母と一緒に暮らした家では仏壇があり,祖母は毎日朝夕に僕が生まれる遥か前に亡くなった祖父にお経を唱えていた.なんまんだぶ,なんまんだぶ...と唱えている祖母の姿をいまでも良く思い出す.そんな家庭にありながらも,その家の目の前にあったカトリックの幼稚園に当たり前のように入園して,キリスト教の年中行事にも親しみながら幼少期を過ごした.また,年始や何か婚時など祝い事,御祓には神社に詣でたり,小学生の時に出雲に暮らしていたせいもあってか,神道というと大袈裟だが,アニミズム的な宗教観は子供の頃から培われてきたし,そのように,かなりいい意味で適当な宗教の多様性のなかで育てられたにもかかわらず,修道院というのは,頭で理解はしていてもどこかミステリアスな場所だ.

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古くはロマネスクの時代から育まれてきた修道院という厳格なしきたりを持つ施設に,20世紀の近代建築が与えた造形はモダンでありながら,どこか深く歴史に根差したオーラを感じたのは,やはり,その施設が持つ神秘性という特質から来るものだったのだろうか.ランダムに配置された中庭に面した廊下のガラスのためのフレームが床に落とす影のリズムや緩やかなスロープ,礼拝堂の荘厳さまで,多様なスケール感と親密さと高尚な精神性を宿した美しい空間だった.

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