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フランスの片田舎でヒッチハイク-コルビュジェのロンシャンを訪ねて.

30年近く昔の旅の話の続き.

ラ・トゥーレットを見た後,リヨンからベルフォートまで列車に揺られた.フランスの発音に準じれば,ベルフォール,という表記になるのだろうが,当時の僕の先生はドイツ語圏の文化に詳しく,なぜかベルフォートと発音したために,僕らのゼミではベルフォートと呼ぶのが普通だったのだ.スイスとドイツの国境にほど近く,フランスの東にある田舎町だが,世界中から建築学生がこの街を訪れるのは,そこが近代建築の巨匠の一人,ル・コルビュジェの代表作であるロンシャンの教会に最寄りの宿泊地だったからに違いない.到着したのが夕方だったので,駅を降りてすぐの角にある小さなホテルの部屋を取り,1階にあるビストロで食事をとり,すぐに部屋に戻り床に着いた.翌日の朝早くローカル線でロンシャン駅に向かう予定だ.先輩たちから,このローカル線の本数が少なく,ひとつ逃すと数時間後,みたいな噂を聞いていて,確かにトーマスクックで調べたら,その列車に乗り遅れるわけにはいかなかった.

翌朝,段取り通りカシオのペラペラのデジタル時計のアラームで目を覚まし,大きな荷物を持ってホテルをチェックアウトし,荷物を駅に預けると,プラットフォームを確認してローカル線に乗りロンシャン駅に向かった.早朝の眩しい陽光に照らされるヨーロッパの田舎の風景を堪能しながら,列車は20分ほどであっさりロンシャン駅に着いた.ここからは,傾斜のきつい山道だと聞いていた.それはまるで巡礼者の辿る道のようで,その身体にかかる負荷の後で見るロンシャンは格別だと.それで,たしかにこれはなかなか堪えるなというくらいの山道をとぼとぼとひとり登っていく.途中でひと組の老夫婦が前を歩いていて,挨拶をして先をゆく.何しろ,世界でも有数の建築が目の前にあるのだ,焦る気持ちを抑えつつ歩き続け,ようやく勾配が緩くなり,視界が開けてきた先に,あの特徴的な外見の一部が目に飛び込んできた.

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歩くたびに,その姿が目の前で明らかになる.教科書の写真で見たスケール感よりも大きく感じた.僕はこの建築に特別な思い出,それも笑い話の類があって,それは高校生の時に遡る.建築家という将来像がいいかもしれない,と考えた僕は,行きたい大学をどこにするか資料を集めていた.恥ずかしい話,共通一次のテストで思いもよらず大きなミスをしてしまった僕は,第一志望も第二志望も望みが薄くなり,二次試験までに大きな目標変更を余儀なくされ,国公立は教育学部で美術専攻という選択肢に切り替え,滑り止めとして受験する地元の私立の大学で建築学科を受験した.最終的に,建築をやりたいということでその私立大学に入るわけだが,その大学案内にこのロンシャンの教会堂の写真が載っていたのである.僕はてっきり,この建物がこの大学の施設だろうと信じて疑わなかった.それもこの大学に決めた理由の何割かを占めていたと思う.入学してから,僕はその建物を探してキャンパスを歩き回った.そして,結局のところその建築は遠いフランスの地にある二十世期を代表する名建築だということを知ったのだった...しかし,そんなことがあって今の自分があるわけで,そういう意味では,この建築は僕をガイドしてくれたのかもしれないなと思う.

さて,建築家というのは多かれ少なかれ自己をその建築に投影する性分なので,その人の癖や思想が表れてくるところが面白い.特に,コルビュジェは初期の理論整然とした合理的な建築のスタイルと,このロンシャンのように晩年の彼の造形的な独創力が強く表れたスタイルのギャップが魅力でもある.教会堂という特殊な機能と,そのシンプルな機能故に自由な造形が許されるとはいえ,その存在感は圧巻だ.分厚く重く,まるでのしかかるような曲線を帯びた屋根の造形とそれを支える不思議な形をしたうねる壁面.分厚い壁に穿たれた様々な大きさのステンドグラス.当時の僕は,この造形に圧倒されながらも,何か自由すぎる歯止めの効かない個人の思いみたいなものを強く感じて,どこかでそれを受け入れるのに気後れしているところがあった.今でも,建築家の目で見れば,同じく晩年の作品である,ラ・トゥーレットの修道院の方が好みだ.しかし,今となれば,このコルビュジェの自由奔放さに,どこか人間として羨ましさを感じるのである.一説によると,この時に彼は新しい恋人に夢中だったらしい.確かに,その説はどこか附に落ちるところがあるではないか.

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僕は建物から距離をとった敷地のいちばん隅っこに移動して,ロンシャンを眺め,そして,その高台から,すこし朝のもやに霞んだ麓の町を望んだ.さて,ベルフォートに戻ろう.問題は,車が無事に停まってくれるか,ということだった.そう,先輩から帰りの列車は相当待つよ,と言われていた僕は,はじめからヒッチハイクをするつもりだったのだ.ロンシャンの教会にお辞儀をして,坂を下り,駅の前の国道らしき道で,僕は「Belfort」と大きく書いた紙を持ち,ひとり佇んだのであった.

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どれくらい時間がたったか覚えていないが,しばらくすると,小型の白いハッチバックが停まってくれた.30代くらいのフランス人男性が一人で運転する車だった.ベルフォートを通るという.僕はまったく警戒することなく,お礼を言って助手席に乗り込んだ.彼はエンジニアの仕事をしていて,隣町からベルフォートを経由して仕事場に向かうところだと言った.何を勝手に思い込んでいたのか,てっきり僕は車がプジョー205だと思っていて「いいね,プジョー」と言うと,「?フォードだよ」と返されたのを良く覚えている.いま思えばかなりそれなりに動転していたのだと思う,プジョーとフォードの見間違いなんて普通するはずがない(笑)

フランス人は人前で英語を話したがらないと聞いていたが,流石にフランス語が当時ちんぷんかんぷんの僕が話せるはずもなく,お互い拙いブロークンイングリッシュで,身の上や世間話をしながらベルフォートに向けて車はフランスの田舎道を進んだ.それにしても,ここまで旅を進めてきて,ヨーロッパと一口に言えど,いろんな文化の違い,風土の違いがあるものだとあらためて思った.車窓から見えるのは畝るような大地.小麦畑だろうか.ヨーロッパ随一の農業国.フランスというとすぐにパリの風景をイメージするが,この田舎こそ本当のフランスなのかもしれないと思った.しばらくして,車は街に入り,ほどなく見覚えのある駅舎が見えてきた.ベルフォート駅沿いの通りで彼は車を停めて,着いたよ,と言った.僕は深々とお礼を言い,バックパックに忍ばせていたお土産,扇子をひとつ彼に手渡した.「これは日本の伝統的な扇子というハンドファンだ.よかったらぜひ使って」彼は,喜んでそれを受け取り,助手席に置くと,じゃあ,といって車を出した."Au revoir (See you again)" と,地球の歩き方に書かれた挨拶を棒読みして,僕は手を振りながら白いフォードが街角に消えていくのを見送った.

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