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菊竹清訓展をみてぼんやり考えた

まだまだ会期が終わるのは先だから,そのうち行ける日が来るでしょうと.峠に雪があっては行けないし,春が来るまで待ちましょうと,なんやかんやで先送りにしてしまっていた島根県立美術館で開催された菊竹清訓展.ふとインスタをブラウズしていると先輩がアップした展覧会の写真が目に飛び込んできた.そこに書かれていた「会期は22日まで」という文字に目を疑った.それは2021年3月20日のこと.もう明日の日曜日を逃したら機会を失う,という切羽詰まった状況である.心のどこかで逃したらそれはそれでしょうがないか,などと思っていたフシはある.しかし幸い明日の予定は空いている.そんなわけで,ありがとう先輩!と思いながら,雨予報の日曜日の予定を片道2時間半のドライブで松江まで展示を見に行くことに決めた.夜にウェブサイトを見ると,どうやらチケットは今のご時世で事前のオンライン制で時間ごとの来場者も人数制限されているらしかった.その日が最終日前日の日曜日であるため,ひょっとして一杯かも,と予約を入れる際に一瞬不安になったが,意外とまだ余裕があるらしく,12時半からのチケットをオンライン決済して,まずは入場できそうなことが分かって一安心.

日曜日.朝起きて,休日の僕の役目である洗濯と掃除を近所迷惑も省みず8時半迄に済ませ,ひとり車に乗って気楽なデイトリップが始まった.雨はしとしとと降っているが暖かい.高速に入って,淡々と北上する.高速道路の運転は単調である.だが,面白いことに,今の愛車には小さいくせにクルーズコントロールが付いているおかげで,一層ドライバーとしては楽なはずなのだが,意外と却って意識に余裕が生まれるのか昔よりも退屈ではない.季節の変わり目で自然の表情も豊かで,しかも雨は時に霧に変わり山すそを幻想的な風景に変える.ちょうど1週間ほど前に同じ道を通って奥出雲の高校まで出かける機会があったのだが,1週間でそれらの風景はより一層明るくなっているのが分かる.緑やグレーやほんのり僅かに様々な木の芽が生み出す豊かな色彩の中に,桜の花がポツリぽつりと咲いていて,春が来たことを際立たせている.あいにくの雨だが,きっとこの雨もまた木々が育つのを後押しするのだろう.

山陰道に入って宍道湖を左に見ながら松江西ICを降り,宍道湖と並行する国道9号線に合流するとすぐに嫁が島が目に入る.島と言いながらもまっ平らな一枚の地面が水面に浮かんでいるような風景は独特の趣がある.父親の生家が鳥取にあることや,保育園のころ松江に,そして小学生の頃には出雲で暮らしていたこともあり,山陰にはどこか懐かしい場所という感覚が自分の中にはある.目的地である美術館はもうすぐそばだが,いちど通り過ぎることにした.時間に余裕を見て出発したこともあり,菊竹清訓の設計した島根県立図書館の空間を体験してみたかったのだ.他にも松江城の周りにある公共施設の多くは図書館と同時期に菊竹清訓と地元のモダニスト安田臣による骨太のモダニズム建築の宝庫であり,昔さっと見て回ったものの,まだ図書館には訪れていなかったのだ.

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コンクリートの壁面に鉄骨のやや複雑な形状の屋根を持つその図書館は,入ってすぐの大きな吹き抜け空間が気持ちよい.現代のスケール感からすると,決して大きいわけではないのだが,それぞれの空間を文字通り繋ぐ吹き抜けとしての作用が感じられる.つまり,見栄えや豪華さのために計画された吹き抜けとは何か違うのだ.人のアクティビティを豊かにするような空間なのである.雁行している平面形のせいもあって,離接する武道館や,代表作である出雲大社庁の舎(現存せず)等に見られるシンメトリーな構成を持つ建築としてのシンボリックさは強くない分,内部のどこまでも繋がっていくような豊かさが特徴的な空間だと感じた.中心軸が失われた分,中心にある吹き抜けが地場のように周りの空間を引き寄せている.それは増築後に後ろに伸びた空間にいても感じられる.よく,西洋の建築がシンメトリーであり,日本の中世以降の空間は桂離宮を代表とするアシンメトリーな空間性が特徴だとも言われるが,散逸してしまうわけでもなく,その点でも非常に稀な空間なのかもしれない.しばらくあちこちの閲覧室をぐるぐると見て回った.いつも感じるが,多くの人が本を探しにくる中で,壁や天井や窓の作りを見るために立ち止まったり,キョロキョロする姿はきっと目立っただろうと思う.建築見学あるある,なのである.こちらは慣れたものだ.

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そんなこんなで,程よい時間になり,美術館にようやく出向く.駐車場はほぼ一杯で,合羽を着た守衛さんが,区画の描かれていない空きスペースに停めるよう案内してくれた.実際のところ,まだ予定の12時30分までは15分ほどあったが,エントランスで待機しているスタッフに検温と手指消毒を促され(サーモグラフィはいつもなぜか緊張する)問題なかったのですぐに展示室の入り口まで進むと,特に時間については何も言われることもなくそのまま携帯画面でチケットを見せて入場できた.正式な展覧会のタイトルは「菊竹清訓 山陰と建築」である.山陰に菊竹さんの建築が多いのは知っていたから,どこかで島根出身だろうくらいに甚だしい勘違いをしていたのだが,実際には生まれは九州だし,その後上京して早稲田で建築を学んでいる.特に家族や親せきなどの縁があるわけではないが,後の島根県知事になる田部長右衛門が菊竹の作品を見て島根県立博物館の設計者に抜擢することで生まれた縁だということだった.このあたりのダイナミズムは時代を感じさせるエピソードである.展示構成は,彼の生い立ちと学生時代,代表作であるスカイハウスのシェル構造屋根とその下のワンルーム空間の原寸イメージ模型とも呼べる空間を中心に,メタボリズムの主要メンバーとしての側面,山陰にある菊竹建築の図面や模型,設計理論として知られている「か」「かた」「かたち」の思想など,いくつかのトピックスに分かれているが,すべてを通して見えてくるのは,人の暮らしのために建築がどうあるべきか,という格闘の結果とその末に獲得したダイナミックな空間,そしてそこに細やかに落とし込まれた人間への温かい眼差しである.

それが見えてきたのは,事前に訪れた島根県立図書館の影響が強かったかもしれない.ダイナミックな空間の中にも,人に近い空間,例えば,階段,廊下,トイレ,窓際,そういった場所場所に,人のスケール感が確かにあり,それが幾分現代の常識的な数値より小さめであるせいだろうか,あんなに大きな空間なのに人に懐く建築なのである.昔,出雲大社に建てられていた庁の舎の内部空間の親密なスケール感も蘇ってきた.これらのスケール感は,僕が小さいころに慣れ親しんだ祖母の長屋や日本で多く作られた似たような平屋の公務員宿舎などで体験してきた低く狭い空間に共通する身体感覚をもたらすのからなのかも知れない.また,メタボリズムの旗手としての側面にも如実に表れているように,建築をどう作るか,具体的な構造をどうするかというよりは,つくられ方の大きな軸,骨格とその他のものが整理されて設計されているということも起因しているのだろう.アーキテクチャ(英語で建築を意味する)という言葉が,構造化という文脈で今ではコンピュータ用語としてむしろ普及していることは象徴的だといつも思う.つまり,建築とは,物事の構造化のことであり,日本語で言うとことの,建てるというよりはむしろ「築く」という漢字にこそ重きがあるという事なのかもしれない.

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実は,展示室に入ってすぐのところに展示されていた菊竹の思想の原点とも言える原風景が幾つか象徴的にそれを語っていた.まず,菊竹の多くの建築に見られる高床の形式が,幼少期に幾度か経験した川の氾濫に対する建築のレジリエンスとして構想されていること,また,戦災で焼失した大熊講堂の焼け残った暖炉跡の構造物が菊竹の中で建築の本質「焼けてもなお残るものこそ建築の最も基本的な空間」として心に刻まれたということ.それが,メタボリズムやフレキシビリティ,また,「か」「かた」「かたち」理論に繋がり,最終的には日本建築の特質を現代建築の言語で表現したということなのだろう.戦後日本の現代建築が世界の現代建築の文脈の中である一つの独特な質を持って驚嘆と称賛で迎えられている事実も,この人の功績があってのことだろうと思う.

僕が個人的にグッときたのは,僕が大学で初めて建築を学び始めたとき,最初の住宅製図の時間で教授に促されて見た教科書に載っていた一枚のパースの原画に出会えたことだった.僕が学んだ大学では最初の課題はスカイハウスのトレースだった.その原図に出会えたことにも感動したが,何より極楽浄土のような,天空の世界を描いたかのような柔らかなタッチで描かれた有名なスカイハウスの鳥瞰図.その原画が目の前に展示されていた.当時の僕には,それは混乱であった.その絵は今考えると建築家のヴィジョンがすべて詰まっていたのだ.その絵にインプライされている訳が分からないものを受け止めてしまったが故に,僕は今でもこうして建築に夢中になれるのかもしれない.

そしてもうひとつ.僕が敬愛するルイス・カーンが,世界デザイン会議で来日した際に菊竹の建築である「出雲大社庁の舎」を見て瞬間的に描いたスケッチとメモが展示されていた.もちろん,知識としてルイス・カーンが来日した際に,菊竹をはじめとする当時の日本の建築家が共に楽しく過ごしたことは彼の伝記等で知っていたし,浴衣姿のカーンの写真も有名である.しかし,このメモの存在は知らなかった,あるいは,記憶に残っていなかった.それは,どこかのホテルかレストランのレシートか何かの裏を使って描かれていた.ラフな太いマーカーで書かれた文字のせいでやや判別に難しかったけど,おそらくこう書かれていると思う.菊竹の建築を見て,カーンはそこに,日本古来の古くから引き継いでいるものと新しい感覚の融合を見ていたようだ.

"Modern Beauty, new beauty of old and news" 

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展示を見終わって,ぐるりと美術館の周りを一周した.美術館は宍道湖のほとりに建っている.幼いころ慣れ親しんだ山陰の空気はどこか優しかった.僕は車に乗りこむと,今見てきたことが何なのか,ぼんやり考えながら車を南に向けて走らせた.雨は中国山地を超えるころには止んで,時折薄日が差していた.ちょうど,スカイハウスのスケッチに描かれた高台からの景色のように(そう,今思えばそこには八雲が描かれているではないか!)霧の先に広島の街が見えた.

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