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【えーる】離れて見えるふるさと

最近はようやく仕事帰りが早くなり始めた。

幾分か薄暗くなり始めた頃に帰っているのだが、気が付けばかなり日が落ちるのが早くなってきたな、と実感する。一カ月前なら、この時間はまだまだ空も明るかったというのに、少し明るさに陰りが見えたように感じられた。

風も涼しくなってきて、本格的に秋の訪れを感じるような日々の中、ふと街路樹の下に見えた赤いもの。

ヒガンバナが、今年も咲き始めていた。

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鹿野もそろそろヒガンバナで真っ赤になる季節だ。これは昨年撮影した、鹿野の土手一面に咲いていたヒガンバナである。最近は忙しくてなかなか帰ることができないのだが、今年ももうこのような光景を見ることができるようになっているだろう。

心の中の故郷

駅までの道中に咲いていたヒガンバナに、故郷の光景を重ねる。ごくごく自然に行っていたそのことに、はっとする。

日常のちょっとした物を見つけては、ふと故郷は今どうなのだろうかと思いをはせる。それほど珍しいことでもないことだが、その行為自体に、心の中に故郷が息づいていることを感じた。

たとえその場所に住んでいたとしても、気持ちがなければ、それはただの住処でしかない。

逆に、離れた場所に住んでいたとしても、ふとした瞬間に故郷を思い出すことができれば、心の中に故郷はある。

だからこうして、思い出すことができるのだ。

離れて見えるもの

好きなものから一旦離れた時に、ふと見えるものがある、そんな経験をしたことはあるだろうか。

大学進学で初めて実家を離れ、そして仕事を辞めて帰郷するまでの5年で、ふと気づいたことがあった。

それまで特に好きでもなかった故郷であるが、一度離れてまた戻った時、これほど大きく心の中に重くあるものだということを実感させられたことだ。

都会にない涼しい風、緑の山々と田畑。自然ばかりの故郷には、人はいなかったが……例えばセミ、ホタル、そういった生命が奏でる音が息づいている……都会にはないたくさんのものがある故郷のことを、一度出戻った身であるからこそ、改めて受け止め、好きになることができたのだ。

おそらく、独り暮らしをしなければ故郷の魅力には気づかなかっただろう。

一度離れたからこそ、気付かされることもあるのだと、まだ若輩の身であった当時でもしみじみと感じたものだ。

今までなんとも思っていなかったものでも、一度距離が離れると、その良さを知ることになる……そんな経験をしたことが、今の自分の柱の1つになっているのだから、不思議なものである。

一度離れてみて、見えるものがある。
そうして見えたものは、今度は何度離れても心の中にあり続ける。
仕事帰りのヒガンバナに、そんなことを思う帰路だった。

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