小島のお遍路八十八ヶ所(続編)
前回で四国お遍路さんの話を持ち出したのは、実は、小島の古民家がゲストハウスに生まれ変わった物語をご紹介したかったからです。
この島には、私の実家のご先祖が代々住んでいました。そのご先祖は、かの有名な瀬戸内の海賊村上水軍と関係があったのかどうかはわかりませんが、夫などは、からかい半分に
’" ほら、お前のご先祖さまの話だよ"
と言って、 本屋大賞を受賞した、村上海賊の娘が主人公の小説を、私に買ってきてくれたことがあります。
私の父親が小学校学校卒業まで過ごした家も、世代交代で、長いこと空き家になっていました。そこで、近隣の方に譲ろうかということになって、私と4人の子供たち総出で、家中の整理をしたところ、納屋から、明治生まれの大叔父が愛用した古い六法全書や、法律関係の書籍、また、輪島塗のお膳なとが出てきました。
祖父は、私の父である長男を、中学校から東京へ送り出し、次男を伴ってアメリカへ渡って教育を受けさせました。兄は日本で官僚となり、弟は現地で医師としてかなりの成功を収めました。
時代は明治に始まって昭和の太平洋戦争終結後に至る話です。その時期にアメリカで暮らした日本人は人種差別に晒され、戦時中は敵国人として扱われて大変な苦労をしたことが知られています。
生涯の大方をアメリカで過ごした叔父も、晩年には故郷への想いは絶ち難く、しばしば太平洋を一飛びしては、懐かしい小島のお遍路さんを楽しんでいました。
叔父は医師としてばかりでなく、アメリカに留学した夏目漱石の孫、松岡陽子さんの支援や、地元オーケストラへの寄付などの社会的な活動、また、市長代理として、姉妹都市である札幌市の行事に訪れたり、ささやかながら、日米の架け橋の役目にも貢献していました。
これら瀬戸内の島々からは、多くの人がアメリカやカナダへ渡り、その子孫たちが今でも交流を続けています。
娘が、存亡の危機にあった古民家を復活させたゲストハウスでは、日系人含め外国人のゲストも多く、日本と世界との小さな架け橋になっているようです。
古民家ゲストハウス汐見の家
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日系移民記事一覧
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