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「Love Laugh Live」
俺は今、年に一度の贅沢な夜に浮かれている。
店内から生演奏が聴こえる、ホワイトクリスマスのジャズバージョンだ。
店の入り口には3、4組の待ち客、カップルや大人の家族連れ、皆さんそれなりにいわゆるセレブなナリである。
その後ろに並ぶ俺と愛は、2人似たような革ジャンとデニム、俺は気に入ってるけどダメージが濃い、浮いている。ドレスコード的にアウトではないはずだが…浮いている、店長の西さんが顔見せてくれないかな。
そんな俺たちが場違いですけど?的な視線を向けられることなく、無言のうちにも「クリスマスですよねー」「年末ですよねー」「今年も終わるんですね」という気分を共有すらしている。と、感じられるのは2人とも楽器のケースを持っているから、かなあ。と去年も一昨年も思った。
卑屈かな。
ここが老舗ライブレストランpeppery basilだからかもしれない。年配のご夫人に笑みを向けられ、ちゃんと笑みを返す愛。
良かった、当たり前の事が当たり前に出来る子になったんだ。
「おとうさん、今日出るサックスの人って、どれくらい凄いの?伊東たけしくらい?」
「んなスゴかないでしょ」
「おとうさんくらい?」
「んーまあ、うん、そこそこじゃん」
愛は、がっかりした様子も見せずに、へーえ、と頷いてる。ということは、俺はいちおうOKなんだろう、認められてるんだろう。
伊東たけしほどじゃないけど。へーえ。
「今日どうだった?レッスン」
「へたっぴーばっかりだから全然進まない」
事実にしても生意気である。誰に似たのか、俺ではない。
「へたっぴーばっかりじゃないだろ今のクラスは、おまえ一番年下だろ?」
「6年も中学もへたっぴーだよ皆んな」
事実にしても上から目線を身につけさせてはいけない、必ずしも事実とは言い切れないし、その場合ただの自信過剰だ。
「生意気なんだよ小4が。小2に見えっけどな」
「うるさい」
笑ってる場合ではない、愛が著しく小柄なのは俺の遺伝なら仕方ないが、俺の作る食生活の栄養に偏りがないか気にしているところだ。
「グループじゃなくて個人レッスンがいい」
「家でやってんじゃん俺が、日向丈二先生、評判いいんだけど」
「ハイハイハイ、星4つだったよねサイトの口コミ」
わかっている、俺がサックス講師としてどれだけ評判が良くても父親が娘を指導するのは難しい。だが他の信用出来る講師から個人レッスンを受けるのは経済的に難しい。愛は生意気だが、その辺の事情はまだ理解してないらしい。
数組の客が出て待ち客等と店内へ進む。愛が来ないので振り返ると巨大なクリスマスツリーに見とれ、ガラスの壁に映る自分を見ている。
「愛ーっ」
「何かこの格好、ペアルックって言うヤツ?みたいな」
急に渋々顔になったかと思ったら憎まれ口だ。
「あーラブラブみたいな」
「キモイ、なんか距離置きたい感じした」
いいさクリスマスだ、生意気もワガママも今日は許そう、年に一度のイブイブの贅沢な夜だ、笑って愛の肩を引き寄せた。
「あー、キモイ、クサイー」
「ねえ本当にクサイの?」
「クサイ」
接客業でもあるし、一応、いや殊更気を使っているのだが……。
ステージの演奏が続く中、知り合いの店長、西さんに案内され床までガラス張りの窓際のテーブル席に着いた。
テーブルには毎シーズン恒例のテーブルクロスがかけられている。イブイブから3日間だけ掛けられているという、店オリジナルの柄だ。
愛は、サックスを吹くトナカイの柄を指でなぞっている、子どもだよな。
演奏は1部エンディングの盛り上がりだ。
「もうり終わり?」
「またやるよ」
「ねえサックス女の人だよ!かーっこいい」
「え……」
!嘘…
ステージを見て思わず立ち上がった、椅子が倒れた。
「おとうさん、どしたの?!」
「んあ、や」
演奏が終わり拍手と喝采を贈る客も3人立ち上がったから救われた。
「カッコイイ、キャンディー・ダルファーみたい」
キャンディー・ダルファー、…ではない。
「え、知ってる人?」
「いや」
「……え、元カノとか?」
「違うよ」
…いや、違わない。
元妻だから元カノでもあった。
「おとうさん、お腹痛いの?」
「あ、うん、ちょっとトイレ」
キャンディー・ダルファーではないその女性は、2歳の娘を夫に託しニューヨークの仕事に行ったきり、掴んだチャンスをものにして帰って来なかったサックス奏者、今の名はスミス桐谷優子だ。
仕事は出張のようなものだった、だが偶然に掴んだチャンスが大きすぎた。
でも母親だったら、1つしか選べないとしたら、それを取る?
俺だったら?……
いや、俺には偶然でもそのチャンスは転がっては来ない。
優子には、才能とそれなりの経歴があったんだ、偶然ではない。しかし逃したら2度とは掴めないだろうチャンスだった。
にしてもだ、とは言えだ、天と地がひっくり返るとしてもだ、子どもと別れて生きる事を選択するか!?
夫など何度捨ててくれても良い、子どもを捨てるか? 捨てる……言葉がよくない、捨てるのか?と言った事はない。
思っただけだ。
驚愕した、葛藤した、憤った。
が、絶望は、しなかった。
トイレの鏡に、髪まで濡らした俺が居る。思い切り顔を洗ったが、夢ではない。8年間音信不通だった愛の母親が現れたのだ。
どうする?鏡に向かい大きく息を吐いた、
時間切れだ、戻らないと。
席に戻ると、愛は大きなテーブルクロスの端を弄って遊んでいる。まだ、何もおきてはいない。
「どうしたの?髪濡れてるよ、衿も」
「あ、ちょっと顔暑くて洗ってきた」
「なにそれ」
「更年期」
「それ女の人じゃーん、理沙ちゃんママが言ってたよ」
そんなに笑ってくれるのは嬉しいんだけど……。
「私もトイレ行っとくね」
「行ってらっしゃい、誘拐されんなよ」
「誰に?」
「え!?……冗談だよ」
誰に……愛の笑った目が意味深に見えなくもなかったが、まさか…まだ何もおきてはいないはずだ。
優子が、ウエイターに何か交渉している。と、メニューとトレーを奪った。
ええっ!?こっち来る?来るの?!
スミス桐谷優子が、テーブルに水とお絞りとメニューを置いた。
「何でこんなとこに……ずっとニューヨークなんじゃないの?」
「最近、行ったり来たり……」
「そっか、売れ出したもんね日本でも」
事実だが厭味っぽい言い方になる、いや厭味だ、俺は小さい。
驚愕した葛藤した憤った夜が蘇る。
許してなどいなかったんだ。
*
私は子どもだけど勘がいい。トイレに行くフリをしてオブジェの陰からお父さんの様子を見ることにしたら、やっぱりだ。
あの女の人、やっぱりお父さんの知り合いなんだ……誰なんだろう。お父さんと何話してるんだろう。西さんに聞いてみようかな、でも今忙しそうだな。
あっ、グループのお客さんががドヤドヤと入って来た。チャンス!
ドヤドヤの流れが、私たちの後ろの席に行くから紛れて近づいてテーブルクロスを捲って下へ潜り込んだ。
上手く行った、話が聴こえる。
「やっぱり……良くない、のかしら?」
「いや、仕事なんだから、そりゃ来るよね日本にだって。でも……」
「今日は頼まれたの、サックスの人が急病で、私タマタマこっちに居たから」
何か、お父さん怒ってる…
「あの子もサックスを?」
「プロになりたいそうだよ」
「あの子、ジャズ好きなの?」
?…あの子って…
「アメイジンググレイスのジャズバージョン、子守唄だったからね2歳まで」
2歳……
抱えてた膝をもっとギュウっとしたら、ガラスの外のイルミネーションがピッカーンと、ついたり消えたりひかりだした。
*
私は丈二のテーブルに来てしまった。あんなに迷って駄目だと結論を出したはずなのに、愛が席を外したのを見たら来てしまった。なんて言われようとかまわない、今なら自分を捨てられる。
「愛は、ずっと、あなた一人で?」
「俺の子だから」
責められている、私には、再婚のことなど聞く権利も無い。
「……私に何か出来ること」
「無い」
返事の早さが胸をえぐる。キツイ、当然だけど。お金のことなら私が……などとは言えない。それでもダメ元で紙ナプキンに携帯の番号を書いた。
「これ」
受け取ってもらえるはずないか、でもテーブルの端に置いた。
「愛が戻って来るから」
「少しだけ話しちゃ駄目?」
「冗談じゃないよっ!何を?」
「ただオーダーを取るだけ、ウエイトレスのフリして」
「……」
「何も言わない絶対、本当にオーダー取るだけ」
丈二は席を立ち、トイレへ行った。無理なんだろう、当然だ。
私はどこまで勝手な女なのだろう、わかってる。許されようとは思わない。
でも……。
*
フウ、二人とも行ってくれたから、テーブルの下から這い出せた。そういうことか、どうしよ。あ、お父さん来た。
「あれ擦れ違った?遅いから心配で見に行ったんだよ、あー誘拐されたかと思った」
「だから誰に?」
「誰って……誘拐は……誘拐犯だよ」
「女子トイレ超混んでたの、もう1回行ってくる」
「えっ?」
走ってトイレへ来た。
握ってた手を、やっと開いたら紙ナプキンはクシャクシャになってる。
壁に押し当てて伸ばしたら090-12◯◯-◯◯◯◯
どうしよう……この番号にかけたら、お母さんと話せる。
お母さん、だった人。
ギュッウと目を閉じてビリビリっと破いた。
トイレの水に浮かんだ紙屑は“流す”のボタンを押したら、音と一緒に渦の中へ消えていった。
*
俺はイブイブの夜に見守られているはずだ、と信じるしかない。
俺も愛も、テーブルに広げたメニューを見ている。
ぎこちないウエイトレス姿の優子が横に立つ。
「あの、ご注文は?」
嗚呼、何の試練なんだ。
神様を恨むが、ここから逃げるわけにはいかない。
「愛、決まった?」
愛は顔を上げ優子を見た。
と、優子は、サックスのケースを見て指さす。
「……サックスやってるのかしら?」
「はい」
「プロに、なりたいんですって?」
愛は黙っている。
「あ、さっきお父さまに、お聞きして」
愛はメニューに目を落とす。
「普通のお母さんになりたいです」
え?!!…どうした?夢変わったの?
それとも……。
優子は絶句し、俺は平静を装う。
「あ、ほら何食べる?クリスマス限定セットとかあるよ、ほら」
「んー何かイマイチ、ピンと来ないな」
愛は明らかに態度が悪い。
「そう言う態度は良くないよ、ピンと来ないって、じゃ何食べたいんだよ」
「お父さんが作ったチキンライス」
こみ上げるものを、なんとか抑えた。
優子は力無く後ずさり去っていく。
紙ナプキンのメモがなくなっている。床も見回すが落ちてもいない。優子が持ち去ったのだろうか。
愛……?
「お父さん、帰ろう」
愛は屈託なく言うと立ち上がり、俺も続いて出口へ向かった。巨大ツリーの脇に来たとき店内が騒つきサックスのソロが流れ出した。振り向くと優子がステージに一人で立ち吹く。サプライズの出来事に客席は沸き立った。
愛が、足を止め俺を見上げる。
「お父さん、何か1杯だけ飲んでいく?」
「……聴いていきたいのか?」
愛は素っ気なく2度頷いた。手を引き席に戻ろうとすると、愛は振り払って巨大ツリーの巨大植木鉢に腰をかけた。
「ごめん、私やっぱり、のど乾いてない」
「そっか」
俺も並んで腰かけた。
「ここでいいの?」
愛は無言で頷き俺にくっ付いた。
「クサくないのかよ?」
愛が笑った、その肩を抱くと 強くしがみ付いてきた。た泣くのだろうか……身構えた。
優子の渾身のソロが流れる、アメイジンググレイス ジャズバージョンだ。
「生んでくれたんだからね」
しがみついたままの愛が、顔を上げて言った。
〈END〉
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