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海の向こう側の街 Ep.14<新しい生活>

 僕と、タカと、通訳兼オブザーバーのジュンと、再度フリーマントル線に乗り込みビクトリア・ストリート駅に到着した。
想像とは大きく異なり、とてもシンプルな駅で降りるとインド洋が直ぐ側に広がるとても綺麗な風景が印象的だった。
ジュンが流暢に通りすがりの人に、物件の「201 GIBBON COURT 13 Gibbon St, Mosman Park」の場所を聞きながら僕たちは見知らぬ街を歩いた。
意外にも駅から近くにあり、閑静な住宅街に目的の家があった。
直ぐ側にはちょっとした公園があり、その隣に使われていないテニスコートもポカンとあった。
 僕たちが探していた物件は、茶色いレンガ?作りでお世辞にも高級とは言えなかった。とはいえ、それほど貧乏感があるものではなかった。丁度、程よいエコノミー感がそこにはあった。
階段で二階に上がると「201」と番号通り、一番端の部屋だった。
渡された鍵を、201号室の鍵穴に差し込み、ドアを開けると部屋の中には既に一通りの家具が設置してあった。
「僕は何一つとして手を触れないので、それを証明するために両手を上げておきます」とジュンが僕たちに言った。
 タカは呆れた顔をして、またかよといった感じの顔をしていた。
「そんなん、悪いことする人ちゃうって信用してるからそんなんせんといて」と僕は言った。
「いや本当に、変な空気になるからそういった事はやめてよ」とタカもジュンに言ったが、彼は頑なに両手を上げて横に首を振った。
 僕たちはその変な空気のまま、玄関先で靴を脱いで部屋の中を探索し始めた。そう。ここはオーストラリアだと言うのに靴を玄関先で全員脱いで部屋に入った。三つ子の魂百までとはこのことだった。
僕は、リビングに向かいベランダに出ると、そこから見える風景に幾分か綺麗な風景を期待したが、隣の無人の部屋の網戸は外れて斜めを向いており、目下には共同の物干しエリア、目前には遠くに見える家々くらいだった。
(少なくともここ『パース』では、人目に見える所で洗濯物を干すと犯罪になり、洗濯物は必ず人目に触れない場所で乾かさないといけない。つまりどこの家にも庭なり、物干しエリアが必ずあった)
インド洋はどこにも見えそうになかったが、日本にはない本当に閑静な住宅街だった。
 一方、タカは二つあるベッドルームや水回りを確認していた。
「湯船は無しか……」とタカはポツリと声を出したのでそちらを見に行くと、ポツンと質素なシャワールームがあった(シャワーヘッドはもちろん一つだ)。
 うーん、清潔にはなるけども、これだけでCMのように身体の疲れがスカッと取れるとは到底思わなかった。しかし、そこはまだ二十四歳という若さで「ま、いいか!」で納得が出来た(今では絶対に無理だ!)。
 二つあるベットルームは子供部屋のような感じの六畳程度の日当たりの良い部屋と、主寝室と思えるダブルベッドでピンクのような紫のような淫靡な色味のカーテンが印象的な八畳くらいの部屋があった。
ジュンは相変わらず両手を上げたままで、僕たちはキッチンをチェックした。
この頃のパースはガスコンロではなく、IHでもない「電気コンロ」でほぼ統一されていた。二口コンロで、一応はカウンターらしきものも有り、工夫によっては使い勝手は良さそうだった。
大きくはないが十分な冷蔵庫も既に設置してあり、キッチンのシンク側に大きな窓があったのも好印象だった。
「ここ、良いんじゃない?」と僕はタカに言う。
「えぇよ、めっちゃえぇよ。ココにしようよ」と僕に言った。
「あの、もう一度言っておきますけど、僕はここの物には何一つとして手を触れませんから」と、ジュンは僕たちに淡々と言った。
「それは判っているから、もしジュンが住むならアリ? ナシ?」とタカは半ば無視するように彼に聞いた。
「それはあなたたちが決めることで、僕が決めることではありません」と、彼は言った。
「いや、それは判ってるんよ。僕たちは純粋な第三者の意見を聞きたいだけなんよ」とタカは言った。
 再び、少し怪訝な空気が流れたのを察したのか彼は、両手を上げたまましばらく部屋を歩きまわり、一通りしげしげとあちらこちらを細かく見渡していた。
「これで光熱費込みで三百ドル、二人で百五十ドル。日割りだとざっくりですが一人あたり五ドル。周りも静かな場所ですし、全く柄も悪くなさそうですから上々じゃないですかね」と彼は言った。
「よし、じゃあ決まりだ。ここにしよう!」と、タカは実に嬉しそうに言った。
 シティウエストにあった不動産屋に僕たち三人は戻ると、ヴィッキーさんにあそこに住むことにすることした旨をジュン経由で伝えた。
契約時にかかる費用で百五十ドルだったので、僕たちは一人七十五ドルと一ヶ月分の敷金三百ドルをヴィッキーさんに払わなくてはならなかった。
但し、特に家具や壁に損傷がなければその金額は返金してくれるとのことで、ジュンの案であとから「そんなの知らないよ」とひっくり返されないように念書を書いてもらうことになった。(これがのちに役立ち、しっかり敷金は返金されることになる)さて、明日に互いにそれらの資金を用意し、ここに来て契約を交わすことになった。ちょっと面倒くさい性格だけど、ジュンのお陰でここまで辿り着けたことは本当に大きかった。昨日の共同ダイニングでタカと出会えたことは、のちの僕にとって、とても計り知れない大きな存在になる。
 僕たち三人は、ノースブリッジのブリタニア・ユースホステルに帰ることにした。ユースホステルに帰ると、いつもの夕飯のメンバーが僕を探していた。
「どうしたの?」と僕が聞くと、明日から北上してラウンド(オーストラリア一周)の続きをすることになったと聞かされた。
 僕はラウンドはしないので、彼らはとても言い辛かったとのことだった。僕も、実は偶然にも明日からここを離れて知り合いと一緒に家を借りて住むことになった事を話すと、それを聞いて夕飯のメンバーは喜んでくれた。
 この日の夕飯はタカとジュンも交えて、あえて僕が彼らと出会った最初のカレーライスを作って食べることになった。(彼らはな所が大きな魅力の一つだ)彼らとは最初から最後までタイミングが良かった。
彼らが困っていた時に、僕が偶然に彼らの前を通りかかってシェア飯に誘ってもらった(僕も夕飯に飽きていたし金銭的に不安を感じていた時だった)。アジアンショップを教えてもらい、ゴールデンカレーの美味しさを知り、サムライやパースで重要な色々な所へ案内してもらった。数え切れないほど彼らに助けてもらい、彼らが去る時には、僕の眼の前にはしっかりとした新しい道が見つかっていた。なんとも彼らとの関係は、神がかり的な不思議なめぐり合わせだと思う。
明日には、彼らは少し北部にある砂漠に、高さ三~五メートルの石柱が無数に林立するピナクルズを観光し、そのまま車(中古車)でダーウィンを目指すらしい。
 一方ジュンは、スカイダイビングを予約しているので大空を楽しむそうだ。硬い性格な割になかなか勇気のあるチャレンジをされる方だ。その話を聞いて僕とタカはますます彼のことが判らなくなった。
僕とタカは、明日にここをチェックアウトし、少し不安だが二人だけで契約を結んで、今日見た家にそのまま引っ越しとなる。
夕飯のメンバーとジュンの出発時刻は僕たちの契約する時間は微妙にバラバラで、事実上みんなで会う時はこれが最後だ。
パースにまだ少ししかいないけど、旅とは出会いと別れの連続なんだとこの時に初めて僕は胸に深く刻んだ。
最初に僕に話しかけてきてくれた耳の不自由なスキューバダイビングのインストラクターを目指している日本人、スウェーデン人の二人の女性、久夛良木さんの息子さん(と思わしき人)、シェアハウスしていた賑やかな韓国人たち、カバンの鍵を忘れたけど僕がジャンケンで負けていなかったことを忘れていなかったミサキ、そして目の前の僕の命の恩人とも言えるコウやハルカやエミたち。昨日に出会った人ともう二度と会わなくなり、毎晩一緒に食事をしたりしていたけどやはり別れの時が訪れる。出会いと別れの連続を繰り返すことで、僕は色々なことを学びこの地で生き抜くほどに強くなっていく。人生とはそもそもそういったものかもしれないが、それを濃縮して経験するのがというものなのだろう。
僕は一年間、このパースという土地で生活するのだが、やはり別れは何度繰り返しても一番心苦しいことだった。
 学校や職場でのクラス替えや部署替え、転職とはまた違う。この地で生き抜くことに直結する大切なことを学び、出会って翌日にはもう二度と会うことはないことも頻繁だ。明日には、このテーブルを囲んでいるいつもの夕飯のメンバーとは二度と会わなくなる。そして僕は、これを一年間きっと繰り返していくのだろう。
だから今は涙を流さないで、みんなといつも通り楽しく騒ごう。

 翌日、コウ達の姿はなくジュンはスカイダイビングに向かった。
僕とタカは荷物を纏め、住み慣れたユースホステルをチェックアウトし、シティウエスト駅の不動産屋に向かった。ここから先、英語の担当はタカになる。少し不安だが僕なんかより全然頼もしい限りだ。
 ヴィッキーさんに言われていた手数料を支払い、ジュンが提案してくれた念書をタカがしっかりと目を通した。(タカは英語の読み書きは大の得意だ!)
「うん、問題無いよ」と彼は僕に言うと、敷金の三百ドルを渡すと三本の鍵を貰った。
 これで完全に手打ちだ。僕たちは頭を下げて、不動産屋をあとにしてビクトリア・ストリート駅に向かった。そのまま新しい駅に向かいながら、とても上品な感じがする周りのオーストラリア人を見て驚いた。のちに知ることになるのだが、僕たちが選んだ家の辺りくらいまではいわゆる高級住宅地で、逆側のインド洋側に行くと「超」高級住宅地となるそうだ。
とはいえ、十二月になったばかりのオーストラリアは真夏のど真ん中で、露出度の高い洋服を着ている。加えて日本人とは根本的にスタイルが違う白人女性たちに驚いた。(背格好ではなく、主体的にはボリュームだった)
「こっちの人はパンツが見えていても全く平気なんやね」と、歩道の端で超ミニスカートを穿いたままでしゃがむことなく立ったまま靴紐を結び直している若い女性を見ながら僕はタカに言った。(もちろん彼女の黒いセクシーな下着は丸見えだ)
「シドニーでもわりとそういう人多かったよ、ジロジロとは見れないけど下着が見えて『それがなにか?』って感じだね」と彼は言った。
これが欧米感覚なのか、僕たちがピュア過ぎるのか、この時はよく判らなかった。
「もし、あんなお姉さんに誘われたらどうする?」と僕はタカに冗談めかして聞いてみた。
「そりゃもう、セックスマシーン・タカはガンガンヤリまくるよ!」と、彼は一際大きな声で言った。
「タカ、『セックスマシーン』はバリバリ英語やから周りの人に意味が丸判りやで」と、僕は言った。
「平気平気、セックスマシーン・タカはいい仕事するよ!」と彼は大きな声で言ったあとに二人でゲラゲラと笑った。
 僕たちは互いに笑いながら、文字通り痛いほどに焼ける日差しを浴びながら、新しい生活の拠点となる「GIBBON COURT」に到着した。階段を上がり、鍵を差し込みドアを開けた。さぁ、ここがこれから新しい生活が始まる場だ。
僕たちはすぐに、玄関先のカーペットが敷かれていない部分を『靴脱場』とすることにした。日本の時と同じように、久しぶりに靴を脱いで寛げる場所。これだけでも大きな価値がある。
ダイニングと呼ぶには少し寂しい木製の机と三脚の椅子。その木製の机の上に、プッシュホン式の電話が一つぽつんと置いてあった。
今では携帯電話(スマートフォン)が当たり前だが、この当時はスマートではない携帯電話が存在していた。しかし、僕たちは全く必要としなかった(一部の留学生は持っていた)。
僕は、背負っていたカバンをおろし、この当時には珍しい『パワーザウルス MI-506DC』をテーブルに置いた。これがあれば、プロバイダと契約して電話線があれば、小さなパソコンが有るも同然だったので、当時にしてはかなり進んでいる環境だ。
「あとでプロバイダと契約してくるから、日本のニュースは直ぐに手に入るよ」と、タカに説明すると声を上げてびっくりしていた。
「ってことは、ここでインターネットが見れて日本のニュースがすぐに判るの!? めちゃくちゃ凄いね!」
「それに、海外で深夜に出歩くと危ないから、これを持ってきた!」と、僕はタカに言って旅行カバンから『セガサターン(厳密にはハイサターンだ)』とゲームソフト三十枚を見せた。
「おーっ! 凄いじゃん。もうゲームセンターだ! 俺テトリスやったらめちゃくちゃ上手いよ!」とタカは嬉しそうに言った。
「いや、任天堂との利権関係でテトリスはないんだけど、まぁ眠れない夜は楽しく過ごせるはずやで」と僕は言った。
「でも、これ全部本当に日本から持ってきたの?」とタカは僕に真面目な顔をして聞いてきた。
「うん、僕のカバンの大半はこれでパンパンになったわ」と僕は言った
「で、着替えとかは?」
「一応あるけど、基本は現地調達の予定」と言うと、タカはまたゲラゲラと声を出して笑った。
「今までいろんな人と会ってきたんよ。全く荷物を持たないでほとんど手ぶらとか、逆に大げさなくらい入念に用意している人とかね。でも、いや言ったら悪いけどこんなに不要なものばかり持ってきた人は初めてだよ、一緒に住む僕は大きな恩恵を受けてありがたいけどこんな人初めてみたよ」と涙を流して僕の荷物を見て笑った。
「自分で言うのも何やけどなかなかのアホやろ?」と、僕はタカに笑いながら言う
「本当にアホ! でもここまでくると凄いよ!」と、彼は笑った。
「そこで、一つだけお願いというか協力してほしいことがあるねん」と僕はタカに言った。
「なになに? 一回遊ぶと幾らとか?」と僕に聞いた。
「そんな野暮なこと言うかいな、好きなだけ遊んでくれたらかまへんよ。そうじゃなくて、ちょっと専門的な話になるんやけどかまへん?」
「かまわないよ」と、彼はにこやかに言った。
「テレビの投影方式って『NTSC規格』と『PAL規格』って二つに分かれてるのよ。で、基本的には統一されてて日本は『NTSC規格』、ヨーロッパでは『PAL規格』ってパシッと分かれてるんやけど、ここオーストラリアって主に『PAL規格』やねんけど珍しいことに『NTSC規格』と両方混在してる国やねん」
「ほうほう」と彼は頷いた。
「で、そこのリビングにあるテレビに接続して映ればそのテレビは『NTSC規格』で全く問題なしやねんけど、映らんかったらテレビ代は僕がもちろん払うから、中古で良いから『PAL規格』のテレビを安く手に入れるのを手伝って欲しいのよ」とタカに言った。
「じゃあ、早速接続してみようよ」と彼は言って、僕はもともと置いてあったテレビに『セガサターン』を接続してみた。
 ビデオのチャンネルに切り替えて「行くで!」と言って電源を入れると、画面は乱れたままだった。
 テレビの裏をしっかり二人で確認すると小さい文字で『PAL』と書いてあった。
「なーるほど、こういうことね。OK、このセックスマシーン・タカがなんとかしよう」と胸を張って僕が言った。
「アホや。セックスマシーンは、もうえぇって!」と、僕はタカに言うと二人でまたゲラゲラと笑った。
「いや真面目な話、シドニーにもあったんだけど『キャッシュ・コンバーター』って中古品専門店がわりとメジャーで、日本みたいに新品に買い直すんじゃなくてできる限り中古品を買って使うってのがこの国ではわりと当たり前なんよ」と、彼は言った。
 僕は、オーストラリアのこの事実を知って、何でもかんでも新品に買い直しをする日本。修理をお願いしようとしても『修理部品はもう製造しておりません』なんて返答は当たり前。それは現在も変わらず、その一方では弊社は『SDGs』を推進していますとか言っている。なにが『SDGs』だ。だったら「もっと物を大切にして長く使えるように企業努力しろ」とこの頃から今もなんら考えは変わらない。
「今日はインターネットの手続きをしに行くんでしょ? だったら明日にでもその対応しているテレビを買いに行こうよ」と彼は言った。
「是非、お店の場所案内とか英語とかお願いします、技術的な質問なら僕が答えるんで」と彼に言った。
「大丈夫、大船に乗ったつもりで安心してよ」と、彼の柔らかい独特の笑顔で僕に言った。

率直に申し上げます。 もし、お金に余力がございましたら、遠慮なくこちらまで・・・。 ありがたく、キチンと無駄なく活動費に使わせて頂きます。 一つよしなに。