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海の向こう側の街 Ep.15<知らない街とギター>


 僕の、旅行鞄の大半を占めていたのが「セガサターン一式」と「そのソフト三十本」だ。
今考えても正気の沙汰ではない荷造りなのだが、この当時はこれが「ベストの荷造り」だったのだから仕方がない。
ともあれ、さぁこれからタカと共に生活をするわけだが、あいにく備え付けのテレビは『PAL規格』だった。
この規格は全世界で統一されているわけではないし、民主主義と社会主義で分かれているのでもない。単純に色々な歴史的背景から「国々によって異なる」だけだ。
日本は『NTSC規格』で統一されているのだが、ここオーストラリアは原則としては『PAL規格』だが『NTSC規格』と両方の規格があるらしい。
ということで『NTSC規格』のテレビがあるのは予め、本や今ほど頼りがいのあるインターネットではないがネットでも下調べ済みなので、あとは『パワーザウルス MI-506DC』を活躍させるためのプロバイダ契約と『NTSC規格』のテレビを買いに行くのが当面の大きな命題だ。
とはいえ、張り切ってテレビを新品なんかで買っていたらこの先お金が持たないので、タカが教えてくれた中古で是非とも手に入れたい。
ただ基本的には『PAL規格』の国でもう一方の規格である『NTSC規格』の中古テレビを買いに行く(極力安価な物)は、日本とは違って全く想像がつかない。
 日本の大阪で生まれ育っていると、ここオーストラリアのパースは良くも悪くも、人や物で溢れかえっていない
全てのバランスが絶妙に必要且つ十分で保たれているので、僕の探そうとしているものは「きっとその外側のもの」なんだと思う。
とはいえ、こんなところで臆病風に吹かれていては、満を持して「セガサターン一式」と「そのソフト三十本」を持ってきた意味がない。(そもそも不要な物だが)
なんとしても『NTSC規格』のしかも中古テレビを安価で手に入れないと、是非とも協力してくれようとしてくれている今のタカの思いも無駄になる。
とにかく、奇跡を信じて手に入れるしかないので、英語も得意でオーストラリア生活の先輩のタカに相談してみた。
彼曰く、中古は英語で「Secondhand」というらしく、フリーマントルに中古品専門店があるそうだ。
まぁ、日本に置き換えてみれば「質屋」みたいなものなのかなと想像し、この家からフリーマントルは比較的直ぐそばなので、早速今から僕たちはテレビを買いに行くことにした。
 家を出て、扉に鍵をしっかりと閉める。
階段を降りて『ギボン・ストリート』という家の前の通りに出ると、ようやくぼんやりと僕の中にない、見知らぬ町並みと映画の向こう側でしか見たことがない海外の住宅街に立っていた。ノースブリッジのブリタニア・ユースホステルに慣れ、パースシティにも慣れてきた所だが、まだ僕の中ではこの国は外国のままだった。
しかし、シドニーにも住んでこのパース(全体)を知っているタカは違った。
そもそも彼はフリーマントルと言わず、僕との会話の中でよく「フリマン」という単語を使っていた。
なんとなく会話の流れを重要視して僕は「フリマン」という単語を聞き流していたがこれは麻雀用語なのか、はたまたシモネタの単語なのか皆目見当がつかなかった。
「さぁ、今からフリマンでその目的のテレビを探しに行きますか!」と彼は言った。
 今だ、と思った僕は、勇気を出して「フリマン」の意味を聞いた。
彼は笑いながら僕にこういった。
「そんな難しいことじゃないよ、「フリマントル」を略して「フリマン」って言ってるだけ」と彼は言った。
 今までの彼との会話の中で「フリーマントル」と言う時もあれば「フリマン」と略していた時もあったので、なれない地名と英語力が全くゼロの僕にとって、彼の会話の中に混在していた二つは同義だとは思わなかった。
少し考えれば判るようなことなのに、僕はなぜ「略語」だと気づきもしなかったんだろう。てっきり他の意味(特に彼の好きなシモネタ)を持つ言葉だと思いこんでいたが、ただ単純に略していただけだった。彼は会話の時々でどうやら無意識に二種類使っていただけで全くの同義語だったみたいだ。
「それなら、早く聞いてくれれば良かったのに」と彼は言った。
ただ僕は、こちらに来て日本人と話す内容は基本、これからの生活に大きく関わる内容が主だったので、会話の腰を折るより、聞くことを最優先していた旨を説明した。
「なるほどね、初めての海外旅行でしかも単身で宛もなければ英語も全然って言ってたから、僕も同じだからその気持ちはよくわかるよ」と彼は僕の話に納得した。
 彼いわく、バックパッカーではよく地名を縮めて言うことが多いらしく、既に体にしっかりと染み付いているそうだ。そこまで海外での生活に慣れているのはなんとも羨ましい限りだと思い、彼を尊敬した。
どうしても、日本で長く生活していた上、大阪の住んでいる区からすら出たことのない僕は(出張などは除く)、なかなか住み慣れていない土地に順応する事自体が羨ましかった。ちなみに、僕は旅の最後までどの土地も人名もうまく略することが出来なかった。フリーマントルはフリーマントルだったし、後に知り合うオーストラリア人の名前を略することは一度もなかった。
彼の案内で、ビクトリア・ストリート駅に着いた。
どこか地元の市電の駅みたいだなと、貧素な駅で待っていると、もうすっかり乗り慣れたフリーマントル線が入ってきた。文字通りフリーマントル線に乗って、終点のフリーマントル駅に僕たちは向かった。
電車が走り出すと、不意に彼が進行方向の右側を指差す。すると、すべての車両の窓一面がインド洋に変わった。
「今までシドニーで色々な場所に行ったけど、この電車から見える一面のインド洋はなかなかくるよね。俺の中で絶景ランキングのかなり上位にはいるよ」と、彼はインド洋に目を奪われながらボソっと言った。
僕は思わず、目の前に大きく広がるインド洋が車窓から息を呑んで見つめた。
「これだよ。もう、めちゃくちゃ綺麗だ。本当に、こんなきれいな景色が特別な電車じゃなくて普通の電車に乗って簡単に見れるってのも含めて凄いよ」と、やや興奮気味に言った。
「新幹線乗ると見える富士山とは違って、人によっては通勤電車で毎日この景色を見るんだから凄いね」と僕は言った。
 彼は一つ深く頷いた。
「でも、シドニーにはオペラハウスとかあるし、もっときれいな景色の所があるんじゃないの?」と僕は聞いた。
「結構、シドニーってそうでもないのよ。オペラハウスみたいに建物とか綺麗なのはあっても、こういうありのままの壮大な自然の景色ってのはこんな簡単に見られない。あと、テレビでオペラハウスってよく取り上げられているけど見に行くのに結構回らないといけなくって、思っているより不便な所にあるのよ」と、彼は言った。
 案外そんなものなのかと思ったし、子供の頃に『なるほど・ザ・ワールド』というテレビ番組でよくシドニーのオペラハウスが映っていた記憶があり一度は観てみたいなぁとも思っていたのだが、それを実際に何度も観た人がこの何気ない車窓から一面に見えるインド洋の方が上位にランクインするって言うんだから、かなりの絶景なんだと感心した。
とても変な日本語に聞こえるかもしれないが、観光名所でもなんでも無い、まして特別な列車に乗って見に行くものでもない目の前の風景が、世界的に有名な観光名所よりも素晴らしいということに心底驚いた。こんな風景でさえ、このパースという街を構成するただの一部分に過ぎない。故に「世界で一番美しい街」と言われているのだろうか・・・。そして、僕は偶然にもパースというとても良い場所を、とてもいい加減に選んだんだと自分の強運に驚いた。
そんな事をタカと面白おかしく話していると、目的のフリーマントル駅についた。
フリーマントル駅のイメージとしては、駅そのものは思っていたよりとても歴史を感じるこぢんまりとした駅だった。少し薄暗く小さい駅で、とりあえず僕たちは駅の公衆便所で用を足してから二人で駅の外に出た。
外観も古めかしく、なんとなくだがそれなりの歴史を感じ取る事ができた。
一九〇七年に完成し、一九七九年の九月一日に一度は閉鎖されたものの、一九八三年七月二九日に再開されたそうだ。その間何度か修復はされているが、僕たちが帰国したのちの二〇〇一年に、西オーストラリア州の歴史遺産として正式に登録されたそうだ。
その歴史感を感じる建物の前は、打って変わって至って現代的で特に目立つ『TARGET』(こちらはライフやイズミヤ色が強かった)やショッピングモールの角を僕たちは曲がった。
「中古専門店はこっちにあるから」と、タカは言って先頭を切って歩いてくれた。
 彼は、クイーン・ストリートを通り、僕は改めて見る西洋文化独特のレンガ作りの建物(ノースブリッジとはまた異なる趣があった)の多さに驚きながら、全くどこを歩いているのか検討もつかないまま逸れないように彼の後をついていった。
すると突然、タカは立ち止まり「はい、到着。ここがその中古屋さん」と店を指さして僕に言った。
 彼に案内されたお店には『キャッシュ・コンバーターズ(Cash Converters)』という看板がかかっており、当たり前の話だが当然英語しか通じないお店の中を、僕は恐る恐る入ってみた。
僕のイメージしていた「質屋」とは全く異なり、ちょっとした家電量販店のような店内だった。
「じゃあ、早速テレビを探してみようよ」と彼に言われ、二人で店内でテレビが並んでいるところをうろうろと探し歩いてみた。
 実際は買える価格のNTSCのテレビを探していたのだが、どのテレビにも『PAL』と記載されてあった。これもまたカルチャーショックだった。そもそもまず、日本で『NTSC規格』と『PAL規格』を意識してテレビを買うこともなければそんな話も聞いたことがない。
「本当にこの国はNTSC規格とPAL規格が当たり前に混在しているんだな」と少々マニアックなカルチャーショックを受けていた。
「無さそうやわ」と僕がタカに言う。
「じゃあ、今から英語の実施試験がてらで店員に聞いてみますか?」と少し嬉しそうにカウンターの若い男性店員の方に向かっていった。
「通じなかったらどうするん?」と聞いた。
「筆談という奥の手があるさ」と、彼は言って堂々と店員に話しかけた。
 そうだ、彼は「広島大学」という僕が逆立ちしても入ることが出来ない大学を卒業しているから、当たり前に読み書きの英語が出来るのだ、これはなんとも心強い。(というか自分が情けない)
情けなさすぎる自分を嫌になっていると、タカが僕を手招きした。
お店のカウンターで若い男性店員と話している彼の側に行くと「ここには置いてないってさ」と、彼は言った。
「他にNTSC規格でビデオ端子が付いているテレビを売っている所は無いのか聞いてもらえるかな?」と、僕はタカに言った。
 彼は深く考え『ビデオ端子』って、英語でなんて言うの?と僕に聞いてきた。
そんなこと、僕が当然判るわけがない。
ただ、すぐ側に展示用のテレビが置いてあり、その背面にビデオ端子があったのでそれを指差して「『ビデオ端子』ってこれやから「これのINが必要だ」って言えば良いと思うよ」と彼に言った。
タカはペンと紙を借りて英語でスラスラと書いて、若い男性店員に渡すと店員はそれに書き、それを三回くらい繰り返し僕にとっては高レベルな筆談を眺めていた。
最後に、タカは紙に書いた英語で、展示用のテレビのビデオ端子を差し「This input ports」と言った。
その言葉を聞いた若い男性店員は「Wait a minute.」と言って後ろの別の人と話をして、どこかに電話をし始めた。
しばらく僕たちは店内で待っていると若い男性は僕たちを呼び出した。
その後、お店のカードを取り出し空白部分にブルーのペンで『NEC TV TELEPHONE $115 BUY WITH PASSPORT. BG』と書いた。

当時の実物のカード

「キャッシュ・コンバーターズのベルモント(Belmont)店に取り置いてもらったから、必ずパスポートを持ってきてください。だってさ」とタカが僕に通訳してくれた。
 値段は僕の想像よりしたが、タカには念のために、これで間違いなく『NTSC規格』でINのビデオ端子が付いている事と最寄りの駅を確認して欲しいと僕は言った。タカがそれを伝えると、若い男性店員は笑顔で間違いないことと、最寄りの駅は『バーズウッド(Burswood)駅』だと答えた。これは、僕一人では絶対に出来ない事だったので本当にタカに感謝した。
そのカードを大事にポケットにしまって、明日に『バーズウッド駅』の最寄りにある『ベルモント店』へ向かう事を約束した。
僕はキャッシュ・コンバーターズを出て、フリーマントル駅に戻ろうかとした時、「ユキオ、悪いけど前からここでギターを買いたかったからちょっと待っててくれる?」とタカは言った。
 僕もまだこのキャッシュ・コンバーターズの店内に並んでいる商品に興味があったので、快諾をした。
中古品専門店といっても、電化製品はもちろん釣り道具や楽器など、実に様々なものが店内に綺麗に陳列されていた。
彼は、やや小ぶりなガットギターを手に持ち、満足気な顔をして精算すべく一人、そそくさとレジへ向かった。彼の顔つきはどこか満足げでとても嬉しそうだった。
「ユキオもギター弾くんなら、なんか買えば? 一緒にセッション出来るし」と彼は言った。
「まぁ、とりあえずテレビの件が一歩進んだんで今日のところは見送るわ」といって、彼に礼を言った。
 帰り道は、行きとは違う道を歩いている事は判ったが、やはりどこを歩いているかは全く判らなかった。彼は『カントメント・ストリート』を曲がってテクテクと共に歩いて行くと、覚悟していたより直ぐにフリーマントル駅の周辺に着いたことは周りの風景からなんとなく判った。
そこで、一軒とても目につく楽器店があった。
それは、周りに芝生がただ広がっているだけの場所に奇妙に「FREMANTLE MUSIC CENTRE(フリーマントル・ミュージック・センター)」という楽器店がポツンと一軒だけ建っていた。
どこからどう見ても、芝生が広がる場所の道沿いに絵に描いたようにポツンと真ん中に素朴な楽器店があった。それはなんとも奇妙な光景にしか見えなかった。
明日になれば、日本むかし話のようにドロンと無くなっていそうな感じがするほど奇妙な立地条件にその店はあった。
僕とタカは目を合わせ、ほぼ同時に引き寄せられるかのように、その店の中に足を踏み入れた。店舗内は外見通り手狭だったが、並んでいるギターはとても良質なものばかりだった。楽譜もそれなりに取り揃えられており、僕が日本で使っていたものと全く同じ『エリック・クラプトンのアンプラグドのタブ譜』がそのまま売っていた事にとても驚いた(確かに輸入物だと判って使用していたけど)。

残念ながら、今はもう存在しない

 そして、数あるギターを見ている中で、とても目を引く魅力的な十二弦ギターが僕の目に飛び込んできた。
僕は、店の人(いかにもロックが好きそうな長髪の若い男性だった)に弾いてみても良いかというボディランゲージをして、了承を得るとそのギターを軽くかき鳴らした。
とてもなめらかで美しく、なんとも耳あたりの良い音が店中に鳴り響いた。
『そうだ、どうせギターを買うなら、思い出の品になる一本を買おう』
僕は衝動買いに近い状態で『エリック・クラプトンのアンプラグドのタブ譜』と『十二弦ギター』をその場で買った。
合計三百十五ドルの出費にタカが驚いていた。
「それにしても張り込んだね、これで一緒にギターが弾けるけどちょっと手頃なギターにしといた方が良くない?」と、いつもの彼独特の優しい笑顔で僕に言った。
「これはちょっと早いけど、僕自身へのおみやげってことにするわ」と、彼に胸を張って少し戯けた。
「そっか、ならば良し!」と彼は笑った。
 僕たち二人はフリーマントル駅に向かった。
ひょんなことから、僕たち二人はギターを一本ずつ手にして電車に乗り、彼の絶賛したインド洋に太陽が沈みかかっている壮大な風景を車窓越しに二人で眺めながら家路についた。

率直に申し上げます。 もし、お金に余力がございましたら、遠慮なくこちらまで・・・。 ありがたく、キチンと無駄なく活動費に使わせて頂きます。 一つよしなに。