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続 式典が"嫌い"だったっていう話

去年の梅雨の時期,6月にこんな投稿をした

当時,未知のウイルス Covid-19が急速に拡大し,その脅威から式典系が全く行えなかった.
私自身は特に出席するような式典はなかったのだが,なんとなく始まりや終わりといった区切れが見えず,式典の重要さを実感していたのだ.



去る3月某日,私は人生の大半を捧げた学生生活に終止符が打たれた.
有難いことに,修士課程まで進学させてもらい,学びに学ばせてもらった学生生活であった(と言いたい)
積思いは諸々あるのだが,その辺についてはそのうち備忘録でも書くこととして,最後の卒業式についてを記す.

今年度は多くの学校がさまざまな工夫を施しながら卒業式を実施した.
保護者の方や下級生は臨席できず,隣の人との間には空席が1つ以上空いていて,内容もやや短縮された式であった.
それでも,去年の状況を思い出してみると十分であり,今までは当たり前に感じていた式典に感謝できるようになった,そんな卒業式だった.




とここまで書いたが,人はそう簡単に変わるものではない




偉そうに式典への感謝を書いた(実際,感謝している)が卒業式への出席はしなかった.
どうもじっと座っているのが得意でなく,長い話を聞いていると春の陽気に誘われて眠気が勝ってしまうのだ.
それなら布団で寝てても変わらないなということで,
最後の卒業式は良い睡眠
に変えさせてもらった.

けれども,式は実際に行われたため,私は「終わり」という区切れを実感することができ,式典の重要さは改めて感じさせられる,そんな最後の卒業式であった.





続 式典が"嫌い"だったっていう話

の結論は,

結局,人は変わらない

だな.

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