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コンクリートに火は燃え移らない

みなさん、こんばんは。
昔話の中で、自分が大卒だったばかりに、専門的な正しい知識を持っていたがために、無知の知である人間たちの放つ正論ナイフや正論の拳が重く感じることはないだろうか。

私は、これでも大卒だ。
学歴は錆びついたと言っていい。社会は大学で学んだ通りに動いていなかった。新卒チケット以外に、思い出製作所としての機能しかなかったと思ってる。GPAも今はもう必要ない数値で、むかしの頭の良さや成績の良さを晒すほど、学歴コンプレックスの人間を煽るだけに過ぎない。

いまなら職歴がすべてだ。
と言いたいが、そうとも言えない時代だ。即戦力とか都合のいい人材とか色々言ってるけど、要はそんな人は社会において1人くらいしかいないだろうというくらい、素晴らしい能力と活用コストが比例してない。即戦力になろうと努力を積み重ねてきただけの普通の凡夫たちには行き場などなかった。遠い異国の土地から日本を批判するおじさんになれば、未来は拓けるかもしれない。逆に言えば、その能力の高さを持って、その反社会性ゆえに日本からより遠くの国で何もしないで生きることは「幸せな退屈」だと思う。私も将来そこへ行きたい。そして、寂しがりだから、仕事で呼ばれて日本に帰れる機会のあるビジネスに関われる人材になりたい。

明らかに、可笑しくて狂った夢だと思う。それが現実的だと思えて仕方ない。持論だろうが、大学の専門的なドクターだろうが、この国で働くことができない側にいる人間は大勢いて、それに倣うしかない。

どうして、公務員に一度はなれたことがある人間が、次には「即戦力」とか「経験者」とか不可能なステータスを転職で要求されるのか分からない。この国で働くように努力することは尊い。大変に尊いが、きっと成功しない。私たちなら成功できない。根拠のない自信が、それを支える。

言い訳で片付けられるけど、あの場所で絶対に他人が死ぬことは無かったんだよな。

「建物に火が燃え移る」という常識的な考えは、建築系の常識よりも勝り「ガキでもわかること」と言われる。コンクリートは燃えない。燃え移らないと最初からわかってたのは大卒の俺だけ。悲劇すぎる。周囲の無知の知。

私は自分の勤める会社で、夜中に「謝ってください」とメールしたことが原因でコンプライアンス部に諮問されて不当解雇された。ネットではこれを『よほど仕事ができない無能だったに違いない』と推測されてる。常識的に人が夜寝てる時間に連絡することは頭がおかしいと言われたその当時に、私たちはそのみんなが寝てる時間の朝5時からのブラックな仕事に身を置いてた。今の自分ならそんな時間に連絡をしたことがおかしいと思うし、中身はどうでもいいことだと思う。仕事が始まる前に謝ってくださいとメールでなく、口で言ってたらこんなトラブルは生まれなかったから、俺は言葉を消す習慣が身についてしまった。

「自殺に他人を巻き込もうとしたこと」という客観的事実だけで、知らないガヤの徹底的な正義感と義憤によるもので自尊心を殺されかける。

初出の元ネタがが共同通信なんだぞ?といっても、共同通信がマスコミ業界でどんな立ち位置か全く分かってない分、信じてブン殴る拳の重さがエグい。

本当に大学に進学してから人生を失敗してる分、定時制高校や通信制高校の時の知り合いの人たちと関わろうとしたら、昔はまだ一度の失敗で戻ってきて友達だったから多様性の許容範囲内にいたから許され付き合えた。

自殺して以降は、本当に串刺し。用語知らずに「被告」とかじゃなく「前科あり」「犯罪者」とか教養のなさが辛辣さを増す。

結局じゃあ「主観において、ツラいと感じたことや繊細な感性というのはなんだったんだろう」って思う。豊かさに結びつかないものに、意味も価値もあったのだろうか

主張にどれだけ大学で学んだ根拠を並べて説得力を身につけても、専門学校卒の予備校の先生みたいに「まず最初から常識的に間違ってます」で蹴散らされた。

あの2019年からの闇堕ちっぷりを主観に寄り添わずに、親の都合で大学中退した人の客観的な視点で見るなら👁️

・大学にも私立に通わせてもらってる
・国家公務員にも合格して、教員免許もあるし、先生の仕事もしてる
・なのに、その仕事を自ら辞めるとかおぼっちゃまみたいな選択をとっててムカつく
・命を粗末にしててありえない

で4つ並べられてノックアウト。
逆らえない。
学校においても、同期においても部活で一番悲惨な人生やってると共に、同情さえできないからな私。

語る自由だけが残されたが、その代わり他人には石を投げてもいい自由が与えられているようだった。好き勝手に書いた文章を読んでもらえる光栄とともに、著者の存在そのものが恥だった。

「辛いことが色々あったんです」の主観も、発達障害でこだわりがあって、そのこだわりにこだわりすぎて自爆してるとか言われたらそれで泣きたくなる。

変更不可のIQで「ズレてる」と言われてしまったら、もう4ぬ以外にどうしようもないから、苦しくなる。もはやIQがズレてておかしいと言われる場合に至っては、環境を変えるしかない悔しさがある。残り続けてても、鬱病で頭の動きが鈍くなることはあっても、根本的な頭が悪くなることはない。一方で、努力することが頭を良くしてきた自分が「もうこれ以上あたまを良くしたくない」というトラウマを刻まれたのは、正真正銘さいしょの職場が原因なので、私は単に不幸だった。

被害者ヅラが100%だろうと、
悲観的な歪んだ解釈だと指摘されようとも、自分のせいにして自責するよりも、そっちの方がまだ有意義だ。

自責の先には、何もない。
反省したって、やり直せる行動より、正しいと思ってやった行動が多いのだから、更生も直すのクソもない。直して欲しいのは社会のシステムであり、心の傷の方だ。
これを見て不愉快になる人間や気持ち悪く感じる人間が一定数いる世の中だからこそ、noteというサービスを自分の武器にできるとは思わない。

共感できない文章は不愉快だ。
日本語を書いてるのに言葉遣いが悪かったり、独特なだけで責められる。こんなはずじゃなかったのに。

ターニングポイントがあるなら今だろう。

この文章を終わるのは、ここでいい

現実は、あぁ、もう生きたくないんだなぁって。でも日付を見ると何もやらないわけにはいかなくて。代償込みで師走を駆け抜ける。精神的に愛されたい、肉体的にも欲求不満なのは私には許されないことだからいろんな人と関係性を持ちたいという考えは脚本以外でも許されていい世界に旅立ちたい。

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