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「フェイク」の言葉に苦しまないで。

こんにちは。岡山史興と申します。
普段は70seedsという会社でスモールビジネスや地域を支援することを生業にしています。

「小さな営みの時代」をテーマに、こんなnoteを書いています。

そんな私が、今回さのさんのnoteで「大人に怒られそうなこと」を書くことになりました。

テーマは「フェイク、プロレス、ファッションパンク」。しばしお付き合いいただけたら幸いです。


SNS時代に問われる「言葉」の力

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先日、こんなツイートがTwitterをにぎわせました。

2000を超える「いいね」がついたこのツイートには批判も多く寄せられ、発信したアカウントはその後、釈明ツイートも行なっています。

一連の流れで恐ろしいなと思ったのは、発信者やブロガー業界のモラル以上に、この発言に対して「勉強になった」「こうすればいいのか」と持ち上げるリアクションがとても多かったこと。

身近で感染者が出たり、重篤な状態に陥っている方がいる一方で、「とにかく注目されればいい」という価値観が蔓延してしまっていることに危機感を覚えました。

このような風潮は、手軽に発信できる、発信した情報が広がっていくSNS時代におけるある種の流行病のようなもの。そして、その先にあるのはあらゆる情報が「信頼できない」ものになってしまう未来だと思っています。


「信頼」ともうひとつの「フェイク」

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SNSで強い言葉やセンセーショナルな情報があっという間に拡散してしまうのは、今に始まったことではありません。

さして重要でもない情報を見出しやフェイクニュースで煽るメディア、注目を集めたい一心で繰り返される「嘘松」ツイート。そのたびに、メディアやSNSプラットフォームの信頼が損なわれていきます。

その問題は、「必要な人に必要な情報が届かなくなってしまう」こと。

病気のことに限らず、情報を探している人はなんらかの必要に迫られてインターネットで検索をおこなっています。そんな人たちにとって、情報が「信頼できるもの」であることは大前提で、その前提が崩れることは、インターネットというツール自体の存在意義が問われる事態につながります。

そして、その弊害は情報を発信する側にも降りかかります。

それがもうひとつの「フェイク」。

専門家でもない人物が、強い言葉でもっともらしいことを言う。その陰で本当の専門家やその道で踏ん張っている人たちの声がかき消されていくーー。

声の大きいわけ知り顔の人たちの言葉は、デマを拡散するほど悪意はない、でも人を苦しめる実態のないもの。そんな「フェイク」が、いろんな場面で世の中をかき乱しているように見えます。


「地方」を食い物にするSNS強者たち

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「フェイク」たちがはびこる舞台のひとつが、「地方」というフィールドです。

国が推し進める地方創生の動きを背景に、さまざまなプレイヤーが地方の専門家顔をして、もっともらしい発言を繰り返しています。

SNSでの発信力や情報発信の「ハック」技術を武器に、自治体や企業の予算を引っ張って成果のないアクションを繰り広げる。そんな様相について以前、こんな記事を書きました。

広告費をつぎ込んで獲得した再生数は、アウトプットとしては見栄えのいいものかもしれません。ですが、その結果本当に移住者は増えたのか、地域に愛着を持つ人は生まれたのか。

残念ながら、当時よりも薄く広く、「それっぽいことを言う人」がもてはやされやすい状況になってしまっているように思います。

事例だけには詳しいコンサルタント、各地のわかりやすいキーマンと仲間ごっこに興じるメディア。彼らの歩いた後に何が残されてきたでしょう。

さらに、「フェイク」な彼らがもてはやされる状況は、もともと土地に根ざして地道に価値をつくりだしてきた人たちや、本当に好きな地域の人たちのことを丹念に掘り起こして発信する人たちに、焦りと無力感を植えつけます。

「やっぱりTwitterで過激な発言をしないといけないのか・・・」
「手っ取り早くインフルエンサーに頼らないといけないのか・・・」

「ホンモノ」だった人たちが「フェイク」に飲み込まれていく瞬間です。

こんな風潮を、どうやって乗り越えていけばいいのでしょうか。


立場を知るとラクになれる

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その答えは、「立場を知ること」にあると思っています。

「フェイク」な人たちは、自分の立場を守るためにポジショントークを繰り広げているだけ。自分たちのフィールドにとってはあくまでも外野であるという意志。

目の前をよく見てみれば、「フェイク」よりも自分の言葉を信頼してくれる人がいる。

その事実が、自分を現実に引き戻してくれるはず。

自分はどの立場で、誰と向き合っていくのか。そこでどんな価値を生み出す役割なのか。

リアルな人とのつながりや、自分自身が生み出した価値は、「フェイク」に引きずられずに自分らしく生きていくための最強の「立場」なのです。


「フェイク」を「フェイク」にするものは

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でも。

「悪意なく」と上でも書いたように、意図して「フェイク」である人たちって、実は多くないとも思っています。

彼らも自分なりの解釈を、自分の生存戦略として発信しているにすぎない。

そのことに気づくと、「フェイク」に引きずられる必要もなくなっていきます。

きっと大切なのは、自分の価値に自信を持つこと。

そして、「フェイク」がはびこるフィールドから距離を置き、淡々とリアルな「信頼」を積み重ねること。

その先に待っているのは、ホンモノっぽい「フェイク」たちが行き場をなくして本当の「フェイク」になっていく、そんな未来なのだと、そう思っています。

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