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八戸ブックセンターという市営の本屋さん

八戸ブックセンター(以下八戸BC)は八戸市の運営する「市営」の本屋さんである。「市営」、そんな本屋さんなんてあるの? 図書館じゃなくて? と、思ったあなたはまったく正しい。市営の本屋さんはここ、八戸と、北海道の礼文島にしかない(礼文島の「BOOK愛ランドれぶん」は町営の図書館兼本屋。離島にはまた別の大きな事情がある)。
実は数年前、僕の発行する「縄文ZINE」について置けないかと八戸BCから連絡をいただき、配布場所になってもらっていたのでここの存在は知っていた。ただ「市営の本屋さん」って一体どういうことだろう、「縄文ZINE」に声をかけるくらいだからちょっと変なところかな、と、その存在についてなんとなく不思議だなと思っていたくらいだった。
のですが、後日、実際に八戸BCに立ち寄った時にびっくりしたのが、その佇まいのおしゃれさと、居心地の良さ。本のセレクトは都市部のセレクト書店のそれに近くとも、もっとニッチで面白い。これは売れそうにないけど深いなぁという本も置いている。これは自治体の運営する公共施設のセンスじゃない(失礼)!

八戸BCとはその後連絡を取り合い、今回八戸BCと縄文ZINEのコラボ展示が実現するわけですが、その中で色々とお話を聞き、八戸BCという特異な存在を紹介できればとこのnoteを書いてみることにした。

街から本屋さんが消える

八戸の話ではなく、全国の書店の話だ。
現在全国の書店数は約1万2500店、これは20年前から比べると約4割強も減っている数で、さらに紙の本の市場の1割をAmazonなどのネット書店が握っている。
八戸にはまだまだいくつかの本屋さんがあり、本屋さんがなくなることはなさそうだけど、実は書店ゼロの自治体がここ数年で急増している。
去年のデータだが、全国1896の自治体・行政区のうち、2割強の420の自治体・行政区に書店が存在しない。
もちろん、便利さという点だけで言えばネット書店の方に軍配が上がるかもしれない、リアル本屋さんが減れば減るほどネット書店の利便性が上がるわけだから、本屋さんの減っている今、ますますネット書店に依存する人が増えている。
それどころか紙の本の存在意義も年々薄くなっている。タブレットで本を読む人はこれからも増えていくだろうし、ジャンルによっては本ではなくWEBからの情報で十分だという人だっている。本にまつわる様々な工程が時代遅れになりつつあることももちろんわかっている。もしかしたら近い将来、本屋や紙の本自体なくなることだって考えられる。しかし、ここで最近見たある映画のセリフを引用したいと思う。

「そうかもしれない、だが、今ではない」(トップガン マーヴェリック)。

八戸BCの使命

八戸BCには使命がある。それは前市長の掲げた「本のまち八戸」構想に基づくものだ。八戸BCの基本方針は「本を読む人を増やす」、「本を書く人を増やす」、「本で街を盛り上げる」という3つ。
八戸は東北の大都市であるのにかかわらず国公立大学が街に無い。おのずと進学する学生は街を出ることになってしまうケースが多い。本の読み手である大学生が街にいない。「本のまち八戸」はそういった危機感もベースにある。
単純に市営の本屋さんを作るのではなく、街にそもそもある書店、民業を圧迫しないことも重要だ。本で街を盛り上げることは八戸BCだけでは到底達成できない。だから八戸BCの本のセレクトにもそういった慎重さが表れている。いわゆる売れ線の本、新刊本や漫画、さらには地元の本などは街の本屋さんにお任せし(だから八戸BCの本棚の面白さがあるのだが)、お客さんからの注文にも街の本屋さんを紹介し、様々な仕掛けで街の本屋さんや書店員とのコラボレーションを企画している。その結果、昨年9月には先進的な図書館活動に贈られる「Library of the Year 2021」の特別賞を図書館ではないにもかかわらず受賞し、これからの時代に相応しい新たな業態として八戸BCは評価されている。

市営である理由

余談。本屋さんに通うのには人それぞれ理由がある。実は僕はひどい立ち読み人間で、毎日のように学校の帰りに本屋さんに立ち寄り、数日かけて単行本の小説を読み切ったりもした。今となって思えば最低の客だったわけだが、その分本も人よりは買っていたと思う。
社会に出てデザインの仕事を始めた。その頃は雑誌がめちゃくちゃ面白い時代で、毎月のように新しい雑誌が創刊され、それらを見に行ったり、購入したり、本の内容もさることながら装丁やブックデザインという観点でも新しい発見を求めて本屋さんに通っていた。
本屋さんは予定調和な場所ではない。目当ての本があって本屋さんに行ったとしても、全然違う本を手にとってしまうことも多い。そこで見つけた予定になかった本が、後々に何度も読み返すような特別な一冊になることが少なくないことは、本屋さんに通ったことのある人にとっては当たり前のことだ。

実は個人的に危機感を持っていることがある。それはWEBでおすすめされる本やモノのおすすめの精度の高さだ。自分自身の行動から導き出される「おすすめ」は自分の趣味嗜好に沿ったもので、みるからに購買意欲をそそるものだ。僕はそのことにすごく危機感を持っている。
ここには本屋さんで当たり前のようにあった予定調和ではない出会いがない。
効率的だし別にいいじゃんと思う人もいるかもしれない。だけどよく考えて欲しい。大袈裟に言えばこれは生物の進化の過程にもつながる話だ。突然変異と自然淘汰、本屋で突然変異的に出会う本がなければその人は進化することはなく、新しい環境に晒された時に絶滅してしまうのは必至なのだ。
やっぱり少し大袈裟だったけど、新しい発見や発想は、脇道や無駄の中にも隠れている。

短期的な売り上げや目標にとらわれないからこそ、八戸BCの本棚にはそういった売れ線ではない突然変異的な本がたくさん置かれている。

もう一度振り返ってみよう。八戸BCの基本方針である「本を読む人を増やす」、「本を書く人を増やす」、「本で街を盛り上げる」はこれは短期的な目標ではない。5年、10年のその先を見据えている。地道でなかなか結果の見えない作業だが、日々売り上げを上げなければならない民間の本屋とはその点が大きな違いになる。

本をそのまま「文化」とは言わないが、本は文化の化身ともいえる存在だ。時間や場所の制約をこえさまざまな文化が活字となり、本の姿になっている。街が文化に向き合うときに、「本」をテーマにすることは間違えではないと僕は思う。
そういった文化に向き合う姿勢も好感が持てる。効率や財源の名の下に、短期的に利益を産まない様々な文化的なモノやコトは簡単に削られる時代に、文化が街の発展につながると考えること自体が理知的で文化的だ。結局のところ街を作るのは人で、人を育てるのはその地域の持つ文化なのは当たり前のことだ。
市営の本屋さんという前例のない取り組みも応援したい。前例のないことを嫌がりがちな自治体が新しいことをするのは本当に挑戦だと思う。

青森県に立ち寄ることがあれば、ぜひ八戸市の市営の本屋さん、八戸ブックセンターに立ち寄ってみてください。近くには美術館、博物館、少し離れているけど世界遺産になった是川縄文館も八戸だ。海も近い、朝市で新鮮な魚介を楽し無こともできれば、種差海岸という美しい海岸もある。飲み屋は異常なほど充実している。

数年後、10年後、この街を発信源として何かが生まれるかもしれない。
そんな予感を感じたり感じなかったり。
今はただ、八戸BCや是川縄文館があるこの街は僕にとってとても居心地が良い。

八戸BCができて6年、この取り組みをベースにして福井県の敦賀で(完全に市営ではないが)新しい書店がこの秋にオープンする予定になっている。そちらも注目して行きたい。

是川縄文館では国宝の合掌土偶も見れる。

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