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縄文時代の災害について

縄文時代はだいたいにおいて1万年続いてきたわけだから、そりゃあもうたくさんの自然災害があったと言える。例えば100年に一回の地震なら100回来ているわけだし、50年に一回の台風だったら200回は来ていたのだろう。まあ、その計算なら1000年に一人という橋本環奈氏は10人ということになるわけだけど。

遺跡にはしばしば火山灰の堆積層や、土石流などの堆積層があらわれたりする。地震ではっきりと地層がずれていることだってある。平和に暮らしていたとされる縄文人だって自然には随分悩まされていたのだ。

縄文時代は早期。場所は九州南部。この地域はこの頃の縄文文化のトップランナーだった。作られる土器は他のどの地域よりも洗練され、多様で、おしゃれをするためのものも大量に出土している。しかし今から7300年前、鬼界カルデラの大噴火という九州南方の海域で起きた噴火で、九州どころか西日本の縄文文化は壊滅的なダメージを受けてしまった。ほとんど全滅といってもいいくらいの破壊だったようだ。(下の写真は縄文早期鹿児島上野原遺跡の壺型土器。洒落てます)

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噴火はもちろん九州だけではない。東北では十和田火山、もちろん富士山だって何度も噴火している。そのたびに縄文人はその場を去らなければならなかったのだろう。

それからよく言われるのは津波や河川の氾濫などの水害の対策だ。実際東日本大震災ではほとんど100%、太平洋側にたくさんあった縄文時代の貝塚は津波の被害に遭っていない。津波の来ない高台を選んで縄文人は集落を形成していた。内陸でも同じだ。縄文時代の集落のあった場所の地形を見るとほとんど、全くといっていいほど、大きな河川の支流が近くを流れる台地の高台のへりに作られている。これは自然災害を折り込んで集落を作っていたからなんだと思う。

流されたから遺跡が残らないのではないか、という指摘もある。しかし、もしそんなことが頻繁に起きていたとしたら、一部が流されて、一部が無事だったという集落が結構あってもおかしくないはずなのだが、どうやらそういう遺跡はほとんどないことからその指摘は当たらないと思う。

自然災害が頻発する温暖化の地球、縄文時代からまだ何か学べることがあるんじゃないか、縄文の研究者から何か伝えられることがあるんじゃないかと、そのたびに思う。迫り来る台風のニュースを見ながら。


山梨県富士吉田市にふじさんミュージアムという施設があり、そこにはこんな展示がある。上中丸遺跡という富士山麓の遺跡で、注口土器の中に黒曜石と綺麗な磨製石斧を入れ、穴に埋めその上に扁平な石で蓋をしたものが出てきたという話だ。これは明らかに意図的に埋められている。この当時の富士山はかなり火山活動が活発でこの遺跡は火山灰に埋まった竪穴住居跡が見つかっている。もしかしたら噴火や土石流でムラを出なければならない状況になってしまった縄文人が、近い将来にここに戻ってくることを願い、ここに埋めたのではないかと言われている。

縄文人のその時の状況や顔を思い浮かべる。どんな思いで穴を掘ってこんな宝物みたいな石器を埋めたのだろうか。絶対に戻ろうと決意して埋めたのだろうか。

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戻ってこれなかったから発掘されたわけなんだけど……。


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