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蓑虫山人とは何者か、いくつかのキーワード

『蓑虫放浪』10月9日「土偶の日」に発売

蓑虫山人、ひとことでこの人物を言い表すのは難しい。偉人ではない、有名でもない。何か大きなことを成し遂げた訳でもない。そんな人物の本を書いた。『蓑虫放浪』10月9日「土偶の日」に発売だ。この本になぜこの男を追いかけ、一冊にまとめたのかは書いた。ぜひ読んでほしい。

土偶と何か関係があるのかといわれれば、「大いにある」と言える。簡単に言えば蓑虫山人は「土偶が好きだった」ということなのだが、そのことについてもこの本で語るべき重要なエピソードがある。だから土偶好きにもぜひ読んでほしい。

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(写真:田附勝)

蓑虫山人は放浪の絵師である

蓑虫山人といえば、放浪者であり絵師である。やはりまずはそのことに触れるべきだろう。14歳で家出、そのまま放浪生活が始まるのだけど、20代の頃から絵筆を取り、各地でたくさんの絵を残している。小さなものから掛軸や襖絵、得意の画題は寒山拾得や達磨大師のようなレジェンド放浪者に山水画から、庶民の生活まで、同時に絵は常に蓑虫山人自身を助けた。

絵の評価はマチマチで決して高くはない。だけど、そのどこか優しく楽しい絵はそれを贈られた者にとっては評価とは関係なく嬉しかっただろう。僕も一幅掛軸を持っている。さらりと描かれた漁樵問答図だ。いくら見ても飽きがこない蓑虫山人の傑作だと思ってる。

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家を背負って旅をするスタイル。

放浪のスタイルにも特徴がある。なんと背負っている笈(修験者などが背負う箱型のリュックサック)を展開すると小さな庵になるものを発案し、それを持って旅の宿を自由にしたのだ。もちろん「蓑虫山人」という名前はそこから付けられている。虫の蓑虫が家を背負っているように。

気に入った景色があればそこに庵を開き、湯を沸かし茶を点てて一服。なんて優雅な旅のスタイルだろう。

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(写真:田附勝)

蓑虫山人は絵日記家である

蓑虫山人は絵日記ストである。絵日記を日常的に描き続けていた。実はここにこそ蓑虫山人の特徴がある。放浪で出会った人やモノや風景や何か、その驚きと感動を必ず絵に残し、その時代の空気を現代に伝えている。

祭りや各地の風俗も絵日記の画題となることが多い、放浪者の蓑虫山人にとって新鮮な驚きがそこにあったのだろう。

また、絵日記の主役は常に蓑虫山人。真ん中に自分を描き、笑ったりおどけたり。まずは絵日記を見てほしい。蓑虫山人の絵日記は常に楽しい。

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パーティー仙人蓑虫山人

蓑虫山人の絵日記に何度も繰り返し描かれるのは実は宴会の風景だ。しかしただの宴会風景ではない。そこには絵の邪魔になるくらい参加者の名前が短冊状に描かれている。これは、楽しかったこの宴席を忘れないために、またはこれを皆に見せ、その楽しさを共有したかったのではないだろうか。現代でも思い出にみんなでパチリなんてよくあることだけど、この一連の絵はそういうことなんだろうと思っている。

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(写真:田附勝)

蓑虫山人は西郷隆盛の命を救った?

突然幕末の偉人である西郷の名前が出てきてびっくりしたかもしれないが、以下は括弧つきの話だと思って聞いてほしい。

西郷隆盛と京都清水寺の僧月照が、薩摩の海で入水自殺をしたことを知っているだろうか。月照は助からず、西郷だけが同舟していた月照の従者である重助に助けられ一命をとりとめたという話がある。その時の重助というのは変名した蓑虫山人だったと、蓑虫は後に甥の光孝に語っているのだ。

この件、本書で取材をし、考察している。蓑虫山人は西郷隆盛を救ったのだろうか。

蓑虫山人はインフルエンサーである

蓑虫山人は明治時代のインフルエンサーである。旅をし、旅をして出会ったものを各地で喧伝、絵に描きあらゆる場所にそれを見せて回った。感動を皆と共有しようとしていたのだ。

実際に岩手県にある猊鼻渓という渓谷は、蓑虫山人の拡散によって世間に広まったと言っていい。現在では日本百景にも数えられるこの地は、猊鼻渓を宣伝したいと考えた佐藤猊巌の頼みでここを視察、自身も感動し、これを世間に宣伝したという。そのことは後に猊巌も蓑虫山人のおかげであると認めている。

他にもいくつかの名勝や楽しい場所、モノを旅をすることによって蓑虫は世間に拡散していたのだ。その拡散力はフォロワーの数で計れなくても、決して小さくなかっただろう。

『蓑虫山人画記行』陸中国2

蓑虫山人は公園を設計した

岩手県水沢、現代でも都市公園として、桜の名所として市民に親しまれている水沢公園は蓑虫山人の設計だ。もちろん当時に比べて水沢公園は範囲を広げ、野球場まで作られている大きな公園だけど、蓑虫山人が設計をして自ら作業もしたのは今の1/4ほど、桜の木がたくさんあるその範囲だ。公園の設計は特殊な例としても、庭造りも蓑虫山人の特徴だ。各地で庭を作り、喜ばれていた。

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(写真:田附勝)

土偶を連れて旅をした

土偶が好きだったのはすでに述べたとおりであるが、東北を巡っていた頃、蓑虫山人は土偶を連れて旅をしていた。自慢の笈には土偶を飾るために飾り棚を作り、野原で、宿で、素封家で、常に土偶を眺めていたのだ。

g『蓑虫山人画記行』羽後国34

「あの土偶」を発掘している

こちらも括弧つきの話ではある。しかし、あらゆる状況証拠はそれを支持している。『蓑虫放浪』で詳しく書いた。ぜひ読んでほしい。そう、「あの土偶」の話だ。

蓑虫山人はプロの観光家

蓑虫山人はプロの観光家だ。ただ楽しんでいただけではない。一つの目的に向かっていた。

蓑虫山人、滝が大好き

観光の中でも滝を見に行くことは、蓑虫山人のDNAに刻まれているようだ。絵日記にも、掛軸にも様々な滝が描かれる。たとえ、遠くとも、そのアプローチが険しくとも、滝と聞けば必ず見に行っているのが蓑虫山人だ。

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勝海舟が蓑虫山人の歌を詠んでいる

 「あぶら虫根切り虫多き世の中に ひとり蓑虫かくれてぞ棲め」勝海舟

これは明治になって勝海舟を訪ねた蓑虫が詠んでもらった歌だ。勝だけではなく、他にも多くの著名人に知り合いが多かったようで、多くの人に自身のことを詠んでもらっている。しかし、オレを詠んでほしいとでも言ったのだろうか。

 「なきがらの真心ときて世の人に まごころさとす 真心の君」澤宣嘉

 「はだか虫なれども君は天地を みのになしたる虫にぞありける」山岡鉄舟

 「晴れぬれば雨を忘るる世の中に みのきてくらす虫もありけり」税所敦子

 「秋山の梢にすがるみの虫は しぐれの雨も知らずやあるらむ」小池道子

 「雨みのを晴れてもおのが身にまとひ世のひじりこにそまぬこの虫」下田歌子

蓑虫山人は変人である

20代ですでに「蓑虫山人」と名乗り始め、各地で様々な人たちに世話になり、それ以上に楽しませた。蓑虫山人には多くの変な話と、多くの小さなほっこりする話が残されている。

青森でおこした「しょんべん事件」、秋田で限定の家庭体験をして、岩手で暗殺者と遊び、サンドイッチマン伊達みきおの先祖とも仲が良かった。変な格好をして、1メートルあるキセルでタバコを吸い、茶道具一式を縄文土器で揃える。それがなんだと思うかもしれないが、大分では散々に殴られて若者の股間をくぐらされている。

本書では多くの変な話を収録した。これも楽しんでほしい。

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本当か?蓑虫山人

本書の序文を載せておく。蓑虫山人の話を読むときには、これは本当なのか?蓑虫、と常に警戒してほしい。そしてそれを楽しんでほしい。

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意外と律儀な蓑虫山人

多くの小話が残されている蓑虫山人にはお金に関するトラブルは一度も起きていない。実際にお金儲けは蓑虫の目的ではなく、頼まれて絵を描いても良心的な金額で請負、むしろ気が向かなければ断ることも、自分より適任者がいればその間を取り持ったりもしていたようだ。

秋田には借りた1円札を返却した手紙が1円ごと残っていて、その丁寧な文面も読める。いくら変人でも、お金には律儀だったのだ。

独自のクラウドファンディングで竹製の庵を作る

詳しくは本書に記した。財力のない蓑虫山人は、美濃で独自のクラウドファンディングを行い、見事プロジェクトは達成し、竹製の「動く」庵を作っている。正直に言えば、嘘みたいな本当の話だ。時代の一歩も二歩も先を行きつつ、そのプロセスまで楽しんだ。

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(写真:田附勝)

蓑虫山人は日本初の縄文展を開いた

明治28年9月、秋田県扇田で、同年11月に岩手県水沢で、明治30年頃には岐阜で、蓑虫山人は「縄文展」を開催している。国が開催した博覧会なども始まったばかり、書画展などは各地で行われていても、この時代に縄文展は考えられない展覧会だっただろう。

決して思いつきの展覧会ではなく、蓑虫山人は明治11年頃から各地で縄文時代の発掘を手がけ、地域の所有者を訪ね、その遺物をスケッチし、巻き物にまとめていたのだ。

当時、縄文時代という言葉は浸透していなかった。蓑虫は「神代品」とそれらを呼び、縄文展の名前は「神代品展覧会」。これは日本初である。

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(写真:田附勝)

蓑虫山人には夢があった

ただ各地を放浪していたわけではない。蓑虫山人にだって、身を落ち着ける機会はいくつもあった。蓑虫山人には大きな夢があったのだ。それは「縄文展」にも通じ、「旅、放浪」「観光」にも通じている。残念ながらその夢は叶わぬ夢となってしまったが、最期の最後までその計画のことを考えていた。

蓑虫山人は絵に署名ををするときに、肩書きとして「六十六庵主人 蓑虫山人」と署名し続けた。そう、蓑虫山人の夢はズバリ「六十六庵」。このことも本書に詳しく書いた。

変人の描き続けた叶わなかった夢を、ぜひ体感してほしい。

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『蓑虫放浪』国書刊行会から10月9日発売だ。各予約サイトで予約は始まっている。ぜひ予約してください。誰も知らない、偉人でもない。だけど、蓑虫山人に会えて良かったと、きっと思うはずだ。

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