ぼくの家庭での教育論
お金の教育、歯の教育は学校じゃ教えてくれませんよね?
そのまま大人になるということは非常に危険なのです。
たとえば、信号の赤と青のルールを知らないまま社会に出ると、車にはねられますよね?
だからこそ教育者というのは「知識」を援助しなくてはならないのです。
そこには社会で生きていく「知」があり、それを「人間知」と呼んでいます。それを教えるのが教育者なのです。
教育や指導をするときに、大切なことは相手に対する尊敬の意です。
基本的に教える側の先生、親が教えられる側の子どもを尊敬しなかったらクラスや家庭は荒れ放題になってしまいます。
え?逆じゃない?先生や親が尊敬されないから荒れるんじゃない?
と思われた方もいるでしょう。
順番としてはまず子どもを尊重して、価値を置くことがとても重要なのです。
尊敬とは自分の価値観を子どもに押し付けずその人であることに価値を置くことなのです。いわば対等な関係性をお互いが感じること。
ぼくは子どもたちの関心ごとに関心を寄せるようにしています。
次女は幼稚園に行くときに、気の葉っぱを眺めたり、集めたりするのが大好きな女の子でした。もう20分くらいそれに没頭するのです。だから出発の時間もその時間を確保するために30分早めてスタートするようにして、飽きるまで次女に付き合っていました。
ぼくも同じく葉っぱに興味をもつようにして「その葉っぱめずらしい形しているね!」なんて一緒になって興奮します。
長女は公園に連れて行っても、ダンゴムシやアリの行列に興味があり、遊具ではまったく遊びません。でもぼくは遊具には誘導せず、気のすむまでやりたいようにさせていました。海に連れて行っても貝殻を集めたり、カニを追いかけたり海に入ろうとはしませんでした。それでいいのです。
どう考えても大人からすると楽しくないことでも、ただひたすら子どもたちの関心ごとに関心を寄せる。
どんなにくだらないことだとしても否定せず、それを理解しようとしてみること。
子どもたちにそれが伝わると、その時、はじめて子どもたちが自分たちが認められていること、子ども扱いされていないこと、一人の人間として尊敬されていることを実感できるんです。
子どもたちがやりたい遊びを自由に気のすむまでさせてあげる。
その考え方が相手を尊敬するということにつながり、その子どもたちに価値を置く行為だということです。
いやいや、そんな時間ないよ、という意見もあると思います。
ぼくの家庭は朝方です。
みんなで夜9時までに布団に入り、あさ6時までには起きるという習慣にしています。長女なんてあさ4時半に目を覚ませてスマイルゼミを集中してやっていますし、ぼくも5時に起きてルーティンはじめています。
夜に無駄なスマホをみるくらいなら、朝にゆとりをもって生活する。
時間をどういう風に使うか、それは自由です。
ぼくはできるだけ価値のある使い方をしたいと考えています。
同じ判断をするときでも朝に判断した方が良い結果になることは実験で分かっています。だから重要な意思決定をするときは、朝の方がいいです。
深夜にテレビショッピングでいらないモノをかったり、アマゾンでぽっちってしまうのは深夜が圧倒的に多いですよね?
夜はからだを休める時間です。
自分が元気でないと、子どもや他人にも優しくすることができません。
時間と心に余裕を持つには、いわゆる早寝早起きです。
話はそれましたが、あなたがもし教える立場で子どもが話を聞いてくれないなら、相手に対して尊敬の念を抱けてない可能性があります。
尊敬とは人間の姿をありのままに見て、その人が唯一無二の存在であることを知る能力のことです。
この人はこの世界にたった一人しかいないということを意識する必要があります。
いずれ子どもは成長してあなたのもとから巣立っていきます。
今しかできない、子育て、
かけがえのない時間を価値のあるものに。
ぼくの記事は無料です。有益だと思っていただいたらサポートいただけますと嬉しいのね。当院では月に1度来院したこどもたちに歯ブラシを配っていて、サポート収益はその購入代金に全額あてているよ。お母さんもとても喜んでいるし、それを心待ちにしている子どもたちもたくさんいるのね。