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25歳、女、現実。

いつからこんな思考になったんだろう。

高校生まで私は、自分は24歳くらいで結婚して27歳くらいで子供を産んで、ゆる〜くパートでもしながら主婦業に専念するような、

ありきたりな女の理想(と一般的に言われるやつ)みたいな人生を歩むと思っていたのに。

25歳の代の今、仕事が何よりも充実していて、増えていく趣味に簡単に課金して、プライベートもそこそこ楽しんでいて、

彼氏もいなければマッチングアプリも全然上手くいかない、結婚の兆しも見えなければ子供も全然欲しいと思えない、そんな女になってしまった。

高校生の時に思い描いていた私は何だったんだ。この6〜7年で私の何が変わったんだろう。

思い描いていた私に程近いのはママで、ママは24歳で結婚してすぐに私を妊娠した。専業主婦だった。
だけど34歳で離婚して、40歳前後で再婚した。ずっとシングルマザーで働いていたけど、これは人生の予定に無かっただろうなあと思う。

大人になって給料の手取りの低さにビビるし、主婦上がりの女の給料なんて大したことないに決まっているのに、そんな中で私と妹を育てあげたママはすごいと思う。でも想像しただけで大変過ぎて同じ思いをしたいとは全く思えない。

不倫したパパを恨んだことはないけど、あんなに優しかったパパが不倫なんぞするものなら何を信じたらいいかわからないし、結婚するメリットってなんなんだろうと思う。

17歳年下の妹が出来て、子育ての大変さも散々見てきた。たしかに我が子は可愛いかもしれない、だけど自分の生活全てを捧げて子供を産んで育てるなんて、精神的に辛いが勝ちそう。ううん、勝つに決まってる。今すぐ子供を産むなんて絶対に考えられない。

こんなにも愛に溢れたママと祖父母に育てられて、再婚したパパも性格は合わずとも信頼できる人間で、赤ちゃんだった妹が成長する過程を見てきて、

それでも私は「愛」に対してあまりにも冷た過ぎる気がする。なぜなんだろう。

定期的にこの悩みは襲ってきて、

自分には何かの感情が欠落してるんじゃないかとか、道徳心の無い何かしらの病気なんじゃないかとか、このまま一生誰とも「家族を作る」ような意味の愛を育めないんじゃないかとか、そういうネガティブに陥る。


今日、久しぶりに高校時代の友達と飲んだ。

看護師の男の子とフリーランスのライターの女の子。

ものすごく仲が良いわけじゃないのだけど、SNSでたまに連絡を取り合っていて、今日初めて3人で飲んだ。

飲み始めて分かった、私たち3人の共通点は、「仕事にある程度やりがいを感じていて、すぐに結婚や子供など全く考えられないこと」だった。

同じ思いの同い年がいる事に、心の底から安心してしまった。

「20代で結婚しなきゃなんて女の呪いだ」「みんな計画的過ぎて凄すぎる」「他に楽しいことがもっとあるのになんで?」「結婚早くする意味あんの?」

各々が結婚に対してネガティブ過ぎて、多くの幸せ像をめちゃくちゃにしていく。こんな奴らが何年後かに、東京タラレバ娘みたいになるのかな。

今の私の目には、私生活があり得ないほどだらしなくて、ネタみたいなエピソードを山ほど持ってるフリーライターの彼女が死ぬほど魅力的に見えたし、

「もっと人が死ぬデカい病院に移る!」「人を救うことでしか生きがいを感じれないかもしれない」って言ってる彼がとても生き生きして見えたし、

ゲスい話ばかりでも、自分自身にベクトルが向いていて、夢中なことがたくさんあって、未来よりも今を1番に楽しんでいる友達はとてもキラキラして見えた。

思い描いていた25歳像は私の中で完全に崩れ去って、私自身も新たな現実の25歳に向かっているっぽい。

いつか結婚がしたくなっても出来なくて、今日の夜の自分達を責める日が来るかもしれない。

自分が欠陥品だと思えて、ネガティブに襲われる日がはきっとまた来る。

それでも私は今日の飲み会は忘れられないと思うし、ふわふわした謎の幸福感に包まれて、こんな文章を書いている。

#日記 #エッセイ #25歳 #独り言

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