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イランの何もない土地で、タクシー運転手とミカンを食べた話

11月5日の深夜2:00、私たちはイランのイスファハーンの空港に到着した。

日本から13時間かけてトルコへ行き、丸一日イスタンブールの観光をしたのち、3時間半のフライトでようやく辿り着いた。

まだイランに着いて何もしていないと言うのに、寝足りなさと時差と機内食を食べることでの胃の休まらなさで身体はヘトヘトだった。

入国審査はスムーズに通り、スーツケースを待つ。

どうしたらそんな大荷物になるのか謎すぎる中東諸国の皆さん。1人5ケースくらいある?ってくらいレーンに荷物が大量に流れてくるのだが、運良く私も親友Nも早めにスーツケースが出てきた。

ラッキー!と思っていたらNは呼び出され、警備員にスーツケースを開けろと命じられた。

中に入っていた栄養ドリンクを指差し、日本語の表記しかないそれを舐めるように見回す。

「これ何?」と聞かれて「エナジードリンク」とNが答えると「ふうん」みたいな顔で「OK」と言った。

ちなみに私のスーツケースにもチョコラBBドリンク入れてたんだけど、見てくれた??ねえねえ。

ようやくイランに入国。

空港にタクシーが迎えに来てくれるということ自体が初めてな私たちだけど、運転手とすぐに出会えるのかな??という心配をしているのと同時くらいに優しげなお爺ちゃんがNの名前を呼びながら話しかけてきた。

思えば日本人どころかアジア人は私たちしかいない。目立ち過ぎなのだろう。

そんなこんなで過去1番くらいのスピードでタクシーに乗り込むことに成功!

ありがとう運転手さん(以下お爺ちゃんと呼びます)!


ホテルまで20〜30分くらいの道中、お爺ちゃんは心地いい英語でゆっくりと話しかけてくれた。

イスファハーンの中心街まで来ると、「ここの夜景が綺麗だよ」とか「こっちに行くとあの観光地があるよ」とか、とても親切に教えてくれるし、

重いスーツケースも当たり前のように持ってくれて、ホテルに着くと私たちがチェックインするまで見守ってくれた。


今回の旅では、イスファハーンとシーラーズという2都市に訪れる予定だ。

イスファハーンとシーラーズは日本で言うと東京から神戸くらいまでの距離。

明後日の12時にタクシーが迎えに来て、6時間かけてシーラーズに移動するスケジュールになっていた。

ツアーでタクシーは手配していたので、シーラーズまで送ってくれるのもこのお爺ちゃんになる。

「ここを出るのは明後日だよね?何時だっけ?」と聞かれ、「12時だよ」と答えると、

「イスファハーンにそんな少ししかいれないんだね…」とお爺ちゃんは何かを考えだした。

そして「僕は君たちを送った後またイスファハーンに戻ってこなきゃいけないんだ。だから本当に少しだけど、13時に迎えに来るよ。

そうしたらもう1時間ここにいれるでしょう?そうしなよ」と言う。

イスファハーンはとても良い場所だから、少しでも長くいて欲しいようだ。

イスファハーンがどれだけ素敵な場所なのかまだ私たちもわからなかったけれど、シーラーズに早く着いても、どうせ夜ならやることはほとんど無い。1時間遅くついても何も変わらないだろう。

ならばということでお爺ちゃんの優しい提案を受け入れ、私たちは次の日からイスファハーンのありとあらゆる美しい光景を楽しんだ。

絨毯売りと仲良くなったり、こっそりミナレットに登らせてもらったり、特別な経験が沢山できて、既にイランの虜になった。



海外といえば、遅刻してくる運転手、鳴りまくるクラクション、ジェットコースターのようなスピード、車酔いになること間違い無しのブレーキの踏み方、車線やウィンカーの意味の無さ…

などなど日本の常識の通じない車事情がほとんどだけど、お爺ちゃんは待ち合わせの時間を守り、運転もとても上手だった。

車が多くなると車線の上を走ったり、車の少ない場所では基本140キロ出してたりはしたけれど、私たちは酔う気配もなく快適に過ごしていた。

出発して1時間も経たないうちに、窓の外は延々とアメリカの西部劇のような景色が続く。

無。
岩山。
お爺ちゃん。


約6時間のドライブ。どう見てもこの国にはサービスエリアのようなものは見当たらず、もはやトイレすら見当たらない。

そもそも高速道路なのかもよくわからない。おそらく有料道路では無さそうという感じ。

超乾燥しているイランでは水分補給を怠らないように気をつけていたけれど、この時間に至ってはトイレに行きたくなっても困るしと控えていた。

しかし3時間を超えたあたりで、時はくる。


「We wanna go Toilet.」


お爺ちゃんに伝えると、「この街にはないから次の街で寄るね」と言った。


どこで街が区切られているのか?そもそも砂と山と土しか見当たらないけど街とかある?って感じなのだが10分ほど走るとついに街っぽいものが遠くに見えた。

「街!(トイレ!)」と思ったが、その街にトイレは無いようで、お爺ちゃんは走り続けた。

すると突然トイレは現れる。

さっきまでのアメリカの西部劇の景色の中に、少しの木々とトイレがぽつんと構えてあった。


ダッシュでトイレに行くが、膀胱がパンパンでチョロチョロとしか尿が出ない。そしてイランめちゃくちゃ寒い。

「あんなにトイレに行きたかったのにこんなにちょっとしか出ないの!?」というくらい尿が出なかった。不安になる。


トイレを出ると、お爺ちゃんが助手席から何やら籠を取り出した。

その中には、日本でいうミカン(手で皮が剥けるタイプ)とオレンジ(皮が厚いタイプ)と大きな水筒、コップが数個入っていた。

「車の外で一緒に食べよう」と言う。

驚きと優しさで感動した私たちは、もちろん喜んで頂く。

私たちがミカンを食べている間に、お爺ちゃんは水筒に入っている暖かい紅茶をコップに注いでくれて、オレンジも小さなナイフで切ってくれた。

英語で少し会話をして、食べ終わると「お茶もっといる?ミカンもっと食べる?」と聞いてくれる。

西には沈みかけの太陽があり、東には白い月がある。星も少し見える。

寒い体に紅茶が染みて、ミカンも、お爺ちゃんが剥いてくれたオレンジも美味しい。

冬の澄んだイランの空気と、不思議なこの時間と、お爺ちゃんの優しい声に泣きそうになった。



再び出発すると、とたんに辺りは暗くなり夜になった。

相変わらずお爺ちゃんは安定の140キロでぶっ飛ばす。

あと何時間で着くんだろうと思いGoogleマップを開くと、2時間半とか言ってくる。

全然着かないじゃん。着かないのは良いけど、さっきから頭の片隅にあった不安要素が大きくなる。


絶対またトイレ行きたくなるよな、って。


寒いし。さっき紅茶飲んだし。ミカンも水分だし。なんならチョロチョロしか出てないし。

日本でこのシチュエーションならどうってことない。トイレがぜーーーんぜん無いイランだから心配しているのだ。


ダメダメ…と思えば思うほど尿意を感じる気がする。と思って数十分。

ううん、気がするんじゃない。これは完全にトイレに行きたいわ。

あと何分で着くかな…とGoogleマップをみると、1時間半。

言ってもすぐにトイレがある国ではないから、早く伝えない大変なことになる。

お爺ちゃんの肩を叩いて、

「I wanna go Toilet again.」


こんなにトイレの無い国でこんなにトイレに行きたがるの、申し訳ない…と思いつつもお爺ちゃんは「OK、ちょっと待ってね」と言う。

しばらく走るがやはりトイレらしきものは無い。

すると突然、大きめの飲食店らしきものが現れた。
お爺ちゃんは車を止める。

一緒に車を降りてみたが、トイレらしきものも客らしき人すらもおらず、野良犬が一匹その辺をうろついているだけだった。

トイレも人もいない

「ちょっと聞いてみるから待ってて」

お爺ちゃんはそう言い残してお店の中に消えていった。

すると2歳くらいの小さな女の子と、そのお母さんである優しげな女性が現れた。

イランの子供、破壊的に可愛すぎる。

「この子がガイドみたいだよ」

お爺ちゃんはそう言いながら女の子を指すと、女の子キャッキャとはしゃぎながらお店の外を走り出す。お母さんは少し離れて着いていく。

女の子に着いて行くと、お店から少し歩いたところに公衆トイレが現れた。

ありがたく無事トイレを借り、お母さんにチップを渡そうとすると「えっ、こんなの受け取れない」と驚いたような顔をした。

英語が全く通じないようだったので必死で「ありがとう!!!受け取って!!」の顔をしたら渋々受け取ってくれた。

女の子はキティちゃんの服を着ていて、「それ可愛いね〜」と服をツンツンすると照れたようにお母さんに抱きついていた。

遠くで見守ってくれてる親子

こんな一瞬の出会いにも関わらず、私たちが車に乗って出発してからも、見えなくなるまで2人と手を振り合った。

イランの人はとても温かい。


シーラーズのホテルにようやく着いた頃には、19:00近い時間だった。

お爺ちゃんはこれからまた今の道を戻ってイスファハーンに帰るのだ。大変すぎる。

「こっちの道をいくと有名な観光地がたくさんあるよ。そこの角を曲がるとたくさん買い物ができる。右の道より左の道がベターだからね。」

車を降りると近くの道を教えてくれて、さらには私たちがちゃんとチェックインできているかをロビーにまで付いてきてチェックしてくれた。


…こんな優しい運転手いる???

お爺ちゃんともうお別れかと思うと悲しすぎる………親友Nも同じ思いで、お爺ちゃんと握手をした後2人で大量のチップを渡した。




お爺ちゃんのことを思い出すと、暖かい紅茶やイランの冷たい空気、ミカンの味、優しい声を思い出す。(尿意もちょっと思い出す)

あんなに親切にしてくれたのに、上手く英語も話せず返せるものも無くて、胸が切なくなった。少し泣きそうにもなった。

お爺ちゃんだけでなく、イランの国の人々は今まで行ったどの国の人よりも親切だった。

道を聞いた時に無責任に適当な場所を教える人はいなかったし、むしろ「また分からなくなったら戻っておいで、何度でも教えてあげるから!」と言ってくれた。

観光地の売人も皆んな押し売りせずに「行きたい?」「欲しい?」って聞いてくれて、断ると「そっかあ〜OK!」とすぐに引いてくれる。

日本人だよと言うと目をキラキラ輝かせて、お菓子をくれたりする。

イランに行く前、多くの人に「気をつけてね!」と言われたけれど、こんなに身の危険を感じない国は無かった。

そのくらい、人は穏やかで道も綺麗で景色が美しくて、本当に本当に素敵な場所だった。

たくさん親切にしてくれたイランの人たちへの恩返しとしても、この記事はきちんと書き上げたかった。

イランに、たくさんの人に訪れてほしいと思う。





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