見出し画像

便利なこの時代に、自分の力でジャッジすること

久々に心が震えた言葉があった。

自分の声と言葉を持ち、自分の目でジャッジして自分の人生を生きている人たちに着てもらえるブランドになりたい。

これはウィメンズブランド「カナコサカイ」のデザイナー、サカイカナコさんの言葉。


この現代に、自分の目で見てジャッジして自分の人生を生きてる人、どのくらいいるんだろう?

昔と比べたらそれはそれは自由になった。価値観も多様化してると実感してる。

けど、多様になっただけで、ひとつひとつの選択肢を心から認められる人は一握りだと思う。

自分と違うものを否定したり、過剰に擁護したり。

他人の意見を放っておけずに、見ず知らずの人が意見する。

他人の声に迷わされて、揺れて、迷いが生じて。

インフルエンサーとかPRとか、広告だらけの世界にもなった。

会ったことも喋ったことも無い人の口コミやネットで書かれた意見ばかりで判断する。

宝探しみたいに自分の足で探しに行って、自分の目で見て触って成分や質を見て、良い物だって心から思える。

そんな選び方をしたことがここ最近どれだけあっただろうか?

自分自身が1人の物作りをする人として思うことは、センスが良いと感じる人ほど自分でジャッジしてるということ。

そしてその人たちは自信があって(本心は分からない)、“その人らしさ”みたいなオーラが出てる。

きっとそんな人たちは過去に色んな選択をして、挑戦もして、失敗も成功も経験があるからこそ自分の選択に芯があるからそう見えるんじゃないかな。

だからジャッジが上手で、失敗した時のリカバーも良く出来る。

最近は自分で選ぶことを放棄したり、自分で選択できない人の方が多く感じていて、実は私はそのことにそこそこのモヤッと感を抱えていた。

インフルエンサーが紹介してたとか、口コミが良かったからとか。

他人のジャッジと自分のジャッジが混在してる。

その選び方が失敗だったとしても、ほとんど何の経験にもならない。見る目も磨かれない。

時間が無かったり面倒だったりという理由で私もやってしまう時があるけど、普通につまんないな、と思う。

自分の感覚で物を選ぶこととか考えてみることとか、そういうのは手間でもあるけれど、自分の好きなものが対象の時はとても楽しいと思う。

寧ろ他人の意見を全く入れずに、自分の気持ちだけで選びたいくらい。

そういう時間がもう少し色んな人にあるべきだと思った。

便利な世界に埋もれて、自分のセンスや感覚が失われていくのはシンプルに嫌だ。

私も「自分の声と言葉を持ち、自分の目でジャッジして自分の人生を生きている人」になりたい。

その為に沢山の経験を重ねていきたい。





この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?